読んでない本をひらくのは、おっくうです。
それで、読んだ本をひらく。
「教えることの復権」(大村はま/苅谷剛彦・夏子:ちくま新書)
をひらく。これら数冊を読んで、大村はま国語教室を読もうと思った。
また、最初にもどってみることに。
はい。一回読んだ本というのは、二回目からはパラパラ読み。
線が引いてあれば、そこを読み直したりします。
こんかい気がついたのは、『西尾実先生』が登場する箇所でした。
印象的だったのは、大村はまが戦後、中学校へ赴任した時でした。
うん。引用してみます。
「 学校とは名ばかりのあまりにひどい状態に、
たちまち絶望してしまってね。
これでは真心でなんとかなるものではない。
このままでは自他ともに滅することになる、
だめだと思って、ほかに相談できる方もなく、
それまで個人的にはお会いしたことのなかった
西尾実先生のところへ行ったんです。 」( p130 )
はい。つづけます。
「 西尾先生は人の話をおしまいまでよく聞く方だったんですよ。
・・・・・・・・・・
ま、とにかく西尾先生は・・一生懸命聞いてくださったんです。
私は実情を話して、努力してもできないということがわかった
と言いました。戦後のああいう状態の子どもには、
自分にはなにもできない、不可能だと言ってね。
『 困ったね、では高等学校へ戻れるようにしてあげよう。
そこでできることをやったほうがいい 』
などとおっしゃってくださることを期待していたわけです。
それなのに私が全部お話しして、おしまいになったら、
西尾先生は『 話はそれだけか 』とおっしゃった。
それだけかって言われてもねえ(笑)。
しかたがないから、『 はい 』って言った。
そうしたら、
『 死んでしまったり病気になってしまったりしたら困る。
でもそうでなければ、これが本物の教師になるときかな 』
っておっしゃったんです。・・・
帰り道でどうしたものかと考えましたよ。
先生はもう私をどこへも移してくださるはずはない。
そのとき、ふと新聞のことを考えついた。 」 ( p131 )
はい。この新書では西尾実先生が、私が読み返して
3回ほど、肝心な箇所で登場しておりました。
p70~71 p130~131 p168
読まない癖に、つい気になると本を買いたがりの私は
いったい西尾実先生とは何者?
うん。安い古本を買うことに。