まずは、『安房震災誌』を紐解きます。
そこにある安房郡の関東大震災を引用。
「 地震襲来の状況を記せば・・・
南西より北東に向て水平震度起り、
続いて激烈なる上下動を伴ひ、
震動は次第に猛烈となり・・・
鏡浦沿ひの激震地方は、
大地の亀裂、隆起、陥没、随所に起り、
家屋その他の建築物又一としてその影を
とどめざるまでに粉砕され、人畜の死傷限りなき・・
続いて大小の余震間断なく襲ひ、大地の震動止む時なく、
折柄南西の方向に恰も落雷の如き鳴動起り、
余震毎に必ず此の鳴動を伴った。・・・・ 」(第1編第1章p3~4)
安房郡の地図を示しながら語られてもいます。
「 震動の大小は・・・館山湾に沿ふた・・・
8町村が、最も激震で、その震動の勢いは、
内湾から、一直線に外洋に向って東走してゐる。
そして此の8町村に隣接した町村が之れに次ぐのである。」(第4章p90)
最初の方はこうもありました。
「 今回の大震災は、銚子測候所の報告によれば・・・・
震源地点は安房洲の崎の西方にして、
大島の北方なる相模灘の海底である。
震動の回数は、初発より9月25日までに850回を算した。」
( 第1編第1章 p2 )
安房郡からだけでなく、ひろく首都圏から見る余震については、
武村雅之著「関東大震災 大東京圏の揺れを知る」(鹿島出版社・2003年)に
気になる記述がありますので、最後に引用しておくことに。
「 マグニチュード8クラスの代表的な地震の
震源域(震源断層のある領域)・・・・
太平洋プレートに伴うものとしては
昭和27年と昭和42年の2つの十勝沖地震
( 平成15年には、昭和27年と同様の地震が再来 )、
フィリピン海プレートの南海トラフからの潜み込みに伴うものとしては
昭和19年の東南海地震と昭和21年の南海地震がある。
相模トラフに関しては、言うまでもなく大正12年の関東地震がある。
関東地震は、これらM8クラスで超一級の規模をもつ地震の中では、
断層面の広さやすべりの大きさなど、決して最大規模のものではなく、
むしろやや小さめの地震である。 」(p85)
この記述のあとに、関東地震の余震の特色を示しております。
はい。今回は、ここが肝心な箇所になります。
「 ・・・それにも増して(注:十勝沖地震と南海トラフと)
関東地震による大規模余震の発生数は多い。
M8クラスの巨大地震が発生した場合、
M7クラスの余震が発生することはそれほど珍しいことではないが、
関東地震の場合、その数は翌年の丹沢の余震を含めると
実に6つに達する。つまり余震活動は文句なく超一級といえるのである。
・・・・伊豆半島と本州の衝突境界に近く、
関東地震の本震の断層がすべった際に、
特に大きくすべった周辺に大きな応力集中が
起りやすくなることも考えられる。これらの条件は、
一回の地震の発生で大きく変わるとは考えにくいため、
将来再び関東地震が起こった際にも、同様に
大規模な余震活動が起こることが十分考えられる。
大きな地震の後には揺り返しに注意しろとよく言われるが、
関東地震はその中でも特に注意が必要な地震だったのである。」(p85)
はい。私の視点は、首都直下地震の発生に関しての
貴重な資料として『安房震災誌』を紐解くことです。