和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『喜怒哀楽』のバランス

2024-03-23 | 安房
『安房震災誌』を開いているとエピソードが、
あらためて、気になる安房郡長の大橋高四郎。

そのエピソードを、ひろい読みしていると、
「喜怒哀楽」のバランスを思い浮かべます。

まずは、そのエピソードの一例を引用。

「 ・・・昼のうちは勿論、夜半になっても郡役所の
  仮事務所の中央の薄暗いところに、棒立になって
  顔の見さかへも付かぬまでに、汗とほこりにまみれて、
  白服の黒ろずんだのを着て、

  丁度叱るやうな、罵るやうな大声を挙げて、
  一瞬の休息もなく人を指揮してゐる小柄な男がある。

  『 あれは誰れだらう。 』と
  一般の通行人は可なりの問題となってゐたのであったが、
  聞いて見ると、あれは大橋郡長であったのだ。

  といふ噂が、其處にも此處にも拡がったさうである。
  郡長の着てゐた白服も確か鼠色以上になってゐたものと見える。

  総じて此の頃は、洗濯の自由もなければ、
  着換えのあられやうもなかった・・・・    」(p317~318)


ここに『 丁度叱るやうな、罵るやうな大声を挙げて、
     一瞬の休息もなく人を指揮してゐる小柄な男がある。』

とあるのでした。大声で叱るように何を語っていたのか?

昭和8年に発行された「大正大震災の回顧と其の復興」に
その大橋高四郎氏の回想が載せられており、
そこには、このような言葉がありました。

「・・俺のかうした覚悟と方針は、相当他の人の心にも影響したらしい。
 俺はいつも損害をかこつ人に

『 家や蔵が何だ、目の玉の黒いのが此の上のない仕合せじゃないか、
  泣言を云っては罰が当る。
  死んだ人や重傷を負ふた人に済まないじゃないか 』

 と怒鳴るのが常であった。

 郡役所の諸員は勿論、その他の官公衙、各団体の人々、
 郡有力者諸君も、全く自己を忘れて盡して下さった。
 郡民諸君もよく此の微力なる郡長を信じて協力して下さったことは、
 永く感銘して忘れられない所である。

 3日の夜、俺は部下に対して訓示した。

『 諸君は等しく罹災して居られる。
  然るにかうして不眠不休で、一身一家を顧みずして働かれることは、
  何とも同情に堪へないと共に、
  郡民の為に感謝して措かない所だ。

  社会公共の為に粉骨砕身することは
  人間の最も尊い所であり且つ男子の本懐である。
  
  どうか諸君、お互に時間も少い中だが、
  健康に注意し、協同一致で力一杯働いて呉れ、頼む 』

 との意であった。部下の人々の中には、
 おろおろと泣く人もあった。・・・・    」(p822~823 上巻)


もどって、『安房震災誌』のエピソードをもう一ヵ所引用。

「 感謝に就て一挿話がある。震後或る日の未明であった。

  郡長は何時ものやうに、中学校の裏門通りを郡役所に急いだ。
  途に一人の老翁が、郡長を見かけて

『 誰れの仕事か知れませんが、毎晩来てうちの芋畑を 
  すっかり荒して了ひました。どうかなりませんでせうか・ 』

  と訴へるのであった。すると、郡長は

『 折角の作物を盗まれるのは、洵に気の毒だが
  とらなければ今日此の頃、生きて行けぬ方の
  身にもなって御覧なさい、どんなに苦しいか分からない。

  殊にお前は、世間の多数が死んだり負傷したりした
  大震災の中に、無事なやうだ。並み大抵の時とは違ふから、
  辛棒して大目に見てやって呉れ! 』

 と頼むやうに諭してやったさうである。
 郡長の話を傾聴してゐた老翁は、郡長の言下に

『 ああ分りました、分りました。
  どうも済みませんでした。よろしうございます 』

 と幾たびか低頭して其處を去った。 ・・・・・    」
             ( p314~315 『安房震災誌』 )

はい。安房郡長による、青年団への感謝状に示された言葉もそうですが、
未曽有の震災を体験した時に、2日未明駆けつけた山間部からの援助隊を
受け入れた喜びも含めた安房郡長の『喜怒哀楽』の、そのバランスの振幅
を思うにつけ、私に思い浮かんでくる詩がありました。


      自分の感受性くらい   茨木のり子

   ぱさぱさに乾いてゆく心を
   ひとのせいにはするな
   みずから水やりを怠っておいて

   気難かしくなってきたのを
   友人のせいにはするな
   しなやかさを失ったのはどちらなのか

   苛立つのを
   近親のせいにはするな
   なにもかも下手だったのはわたくし

   初心消えかかるのを
   暮しのせいにはするな
   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

   駄目なことの一切を
   時代のせいにはするな
   わずかに光る尊厳の放棄

   自分の感受性くらい
   自分で守れ
   ばかものよ


はい。この詩の最後の3行だけ引用すればよかったのでしょうが、
そう。このブログでは、詩の全文を引用しちゃいました。

この未曽有の被災の中で、郡長が叱り泣き喜ぶという喜怒哀楽の
そのバランスのエピソードを、引用しているのが『安房震災誌』。

はい。私は最初にこのエピソードを読んだときに、
どう咀嚼したらよいのかと、とまどったのですが、
今でしたら、きちんと整理できる気がしています。


   

コメント
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