「安房震災誌」に
県庁への急使とともに、
「手近で急速応援を求めねば」と思案して、もうひとつの
急使を探しあぐねている安房郡長の姿が書かれております。
そして久我氏が見つかると
「 その時の郡長は、ありがた涙で物が言へなかった。
と後日郡長の地震談には、何時もそう人に聞かされた。 」(p233)
そして、この手近の諸村からの応援が来る
「 すると、此の方面諸村の青年団、軍人分会、消防組等は、
即夜に総動員を行って、2日の未明から、此等の団員は
隊伍整々郡衙に到着した。・・・ 」(p233)
私は、このくだりを読んでいると、つい思い浮かべる本があります。
それは門田隆将著「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」。
そこに出てくる文でした。それは宗教にかかわる話題の箇所でした。
はい。今回はそこを引用して終ります。
吉田昌郎氏の洋子夫人の言葉に、免震重要棟に本を持って行ったとあります。
「・・若い頃から宗教書を読み漁り、
禅宗の道元の手になる『正法眼蔵』を座右の書にしていた。
あの免震重要棟にすら、その書を持ち込んでいたほどだ。 」
(p345 単行本の第22章 )
そして、そのあとに小見出しで「その時、菩薩を見た」という文が続きます。
「吉田が震災の1年5カ月後、2012年8月に福島市で開かれたシンポジウムに
ビデオ出演した際、現場に入っていく部下たちのことを、
『 私が昔から読んでいる法華経の中に登場する
≪ 地面から湧いて出る地涌(じゆ)菩薩 ≫のイメージを、
すさまじい地獄みたいな状態の中で感じた 』
と語ったことだ。これをネットで知った杉浦(高校時代の同級生)は
この時、ああ、吉田らしいなあ、と思ったという。
『 ああ、吉田なら、命をかけて事態の収拾に向かっていく部下たちを見て、
そう思うだろうなあ、と思ったんですよ。
吉田の≪ 菩薩 ≫の表現がよくわかるんです。
部下たちが、疲労困憊のもとで帰って来て、
再びまた、事態を収拾するために、
疲れを忘れて出て行く状態ですもんね。
吉田の言う≪ 菩薩 ≫とは、法華経の真理を説くために、
お釈迦さまから託されて、大地の底から湧き出た無数の菩薩
の姿を指していると思うんですが、その必死の状況というのが、
まさしく、菩薩が沸き上がって不撓不屈の精神力をもって
惨事に立ち向かっていく姿に見えたのだと思います。
そりゃもう凄いなあ、と思いましたねえ。
部下の姿を吉田ならそう捉えたと思います。
ああ、これは、まさしく吉田の言葉だなあ、と思ったし、
信頼する部下への吉田の心からの思いやりと優しさを感じました 』 」
( p347~348 単行本の第22章 )