房総の関東大震災を語っているのですが、
ここで、富津の近くにあった飯野村の竹内氏が
震災10年後に記した回顧から引用しておきます。
「・・・不安な夜は来たが余震は尚続いた、
北方の空は真紅に染り、帝都は火を発した、
夕食をし様とする人もなく不気味な夜は沈々と更けていった、
蚊群に攻められつつ余震におびやかされ乍ら落着かぬ心にて
まどろむのだった。明るくなれば2日の太陽が上った・・・・
午前10時頃余震は少くなったと言ふものの
未だ人々の胸から不安は去らず、徒に心配するのみ
新聞紙の燃え残りノートの燃え残り等飛来しそぞろ帝都の惨状を思はせる、
不逞の徒が某方面へ100人上陸した、某方面へ50人此方へ向って来るそうだ、
流言は飛んで蜚語を生み、村中は蜂の巣をつついた様其の騒ぎは一通りでは無い、
刀を持出す人、竹槍を造る人等、女子や子供は地震よりも恐れ戦いた。
一人の正しき指揮者も無く村は無警察状態だった。
思ひ起せば10年前当時の模様が走馬燈の様に私の頭に行き来する、
その事も後で聞けば全然流言だったそうだ、
此の事では如何に多くの村人が心配した事だろう。
思へば馬鹿馬鹿しくも悲しい事である。・・・ 」
( p856~857 「大正大震災の回顧と其の復興」上巻 )