和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

頻々(ひんぴん)として。

2024-03-06 | 安房
地震のあとに津波が来る。余震のあとに津波が来る。
ニュースで繰返される注意連呼の共通認識について。


安房郡の関東大震災において、のちに「館山町役場報」に
掲載された文が、一読忘れがたいので長いのですが引用。

「・・大正12年9月2日の夕刻、日は西山に落ちんとして
 西天は夕焼に燃えて暮色蒼然たる午後6時頃の事・・・

 余震は頻々として来り、
 海嘯の噂は頻々として起り、
 不逞漢襲来の叫は頻々として伝へられ、

 人心は不安と恐怖とに襲はれて殆んど生きた心地もなく、
 平静の気合は求めようとして求められず唯想像力のみ
 高潮して戦々兢々として居た時であった。

 ・・・山田丸が東京から帰って『 今来たやう 』と叫んだのを
 『 海嘯が来たよう 』と聞き誤って伝へられた事に端を発したものであった。

 山田丸は漁獲物を満載して魚河岸に一と商に出掛けたのは震災2日ばかり前
 のことであった。山田丸乗組の人達は、ひと商を終ったので月嶋の河岸に
 船を繋いで色々帰港の準備に忙殺せられて居た折柄間一髪を入れずして
 あの恐ろしい大震災に遭遇した。

 ・・まざまざと目撃して来たので、自分の家族の安否が一と入気付かはれる
 ので数名の避難者を便乗させて一路帰港を急いだのであった。

 船は・・・思ったより早く2日の夕刻夕焼の日を浴びて
 6時頃に無事に帰港したのである。

 何時も船が帰る頃には、大勢の人達は船を迎へてくれるのが通例であるのに、
 其の日は地震直後の事とて誰も迎へに出る人もなく、
 唯海辺は籟々として磯吹く松風の音と、時々海嘯の噂に
 驚かされて海を見に来る人ばかりであった。

 船の者は人の気配もないので無関心の裡に『 今来たやうー 』と
 陸をめがけて叫んで見た。

 日に何回ともなしに海嘯の噂に怖えて居る人達は、
 聞くともなしに其の聲が耳に入ったので『 ソレ来た 』とばかりに
 人々の間に宣伝されたので、忽ちの間に海嘯襲来の事実話となって
 各方面に伝へられてしまったのである。

 然し恐怖して聞き伝へた人は其の事実を確かめたのでもなく、
 又誰がそれを云ふたのか、そんな事なぞ勿論知らう筈もない。

 海嘯襲来の噂は忽ちにしてそれからそれへと伝へられた。
 泣きわめく子供を背負って逃ぐる者、老人の手を引いて逃ぐる者等、
 城山の中腹や岡沼の高地は避難者の雑沓で一時は町全体は混沌として
 名状すべからざる状態に陥ってしまったのである・・・・

 僅かばかりの言葉の聞き違ひから(館山)町八千有餘人の
 人々を忽ちにして不安と恐怖とに陥し入れたと云ふこの挿話は、

 毎年9月1日の震災記念日には、毎時も老若男女の戒めの語り草として
 永遠に云ひ伝らるべき悲惨な珍話となって居る。  」

     ( p771~773 「大正大震災の回顧と其の復興」上巻 )


関東大震災から百年を過ぎると、
この『戒めの語り草』もすっかり風化しするばかりか、
東日本大震災の後に、こういう誤解による津波避難の
語り草を取上げるのは憚れる気さえしてくるのでした。

けれど、地域の館山町の関東大震災の教訓が、
『戒めの語り草』として、ここにありました。

大きく広げて、津波の不安ばかりか、ここに流言蜚語の
現実を見てとることができ、これを読むさまざまな視点
が『語り草』の中に提供されているように思えてきます。
いかがでしょうか?

コメント
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