和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

闇夜只一個の提灯を携へ

2024-03-17 | 安房
「安房震災誌」に
県庁への急使を派遣して、その後の安房郡長のとった行動が、
おそらく、編者白鳥健氏によって書かれたと思われる箇所としてあります。

「 無論、県の応援は時を移さず来るには違ひないが、
  北條と千葉のことである。今が今の用に立たない。

  手近で急速応援を求めねば、此の眼前焦眉の急を救ふことが出来ない。
  しかし、どの地方に応援を要求したら好いか。
  郡長は沸きたつやうな気分を抑えて、沈思黙考して見たが、

  先づ大鳴動の方向と、地質上の関係から考察して、
  被害の状態を判断するより外はなかった。

  そこで、郡長は平群、大山、吉尾等の山の手の諸村が
  比較的災害の少ない地方であろうと断定したから、
  ・・・・応援を求めることに決定した。 」(p237 「安房震災誌」)

 そこに、税務署員の久我武雄氏が急使を受けてくれることになります。

「 然し、北條から、平群、大山、吉尾などの諸村へ行くには、
  平日でも可なり道路のよくないのに、夜道ではあり、
  大地震最中のことで、果して使命を全うし得られるか、
  否か多大の疑問であった。
  血気の久我氏は『 死ぬまでやります 』といって、
  快諾一番、郡長の意をうけて、
  夜中此等の諸村に大震災応援の急報を伝へた。・・」( p238 同上 )


さて、当時の急使を受けた側の大山村役場の記録が残っております。
そのはじまりには、こうありました。

「 9月1日午後8時頃千葉県農会技手伊藤正平、
  北條税務署属久我武雄の両氏来着・・・  」
             ( p935 「大正大震災の回顧と其の復興」 )


今回は大山村役場の記載に最初に登場する
「 千葉県農会技手伊藤正平 」を取上げてみます。

まずは「千葉県農会技手」から、
「大正大震災の回顧と其の復興」下巻に「郡農会の活動」とあります。

「 郡農会は当時郡長を会長とし、
  職員は大部分郡吏員兼務なり、
  萬事郡長の指揮により、その対策に万全を期したり・・ 」(p409)

「大正大震災の回顧と其の復興」上巻に
編者・安田亀一氏が、直接元安房郡長だった大橋高四郎氏へのインタビューの
梗概を録した箇所があり、震災当日の午前中の大橋氏の自宅でのことが
語られている中に、伊藤正平氏の名前が登場しております。

「 まだ一つ不思議がある。当日午前中地震の少し前に
  農会の伊藤君(正平)がやって来た。

  農事の指導講習会の臨席のお禮に来たものらしい。
 『 やあ、伊藤君、お禮かい 』・・・・      」(p816)


現実には2日未明より、ぞくぞくと北條の郡役所前に到着する応援です。
それを依頼するために、久我武雄氏、一人を大山村へと行かせることはせず。
郡役所の部下である、伊藤正平氏が急使と一緒になって行ったのだ。
ということが、大山村役場の記録によってわかるのでした。

おそらく、北條に住んで22歳の税務署員久我氏だけでなく、
日頃、農事指導で地域にも明るかっただろう伊藤正平氏が
率先案内して、2人してむかったであろうことがわかります。
何より大山村役場の記録に最初に伊藤氏の名前が出てくる
ことで、その地域と伊藤正平氏との関係がわかるような気がします。

村役場の記録には、こうもありました。

「 両氏は人々色を失ひ戦慄恐怖の際
  克く旨を了し快諾闇夜只一個の古提灯を携へ、
  亀裂凸凹の悪路や陥落の橋梁を乗越え来り
  郡長の意を述べ、直に応援出動せられ度旨
  聞く事々に被害の惨禍は驚愕せざるものなし・・・  」(p935)




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