和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

うしろの正面 どなた

2024-10-24 | 詩歌
わらべ歌を、いつか読んでみたいと思うのですが、
何だか漠然として捉えどころがない感じがします。

くらべて、京のわらべ歌には手応えが感じられる。
というので、京と、わらべうたとで関係しそうな
題名の、安い古本があるとまず題名買いをします。

今回もそうでした。白川淑著「京のほそみち」(編集工房ノア・2013年)。
副題に「 あるきまひょ うたいまひょ 」とあります。
著者名に覚えはありませんが、そこはそれ題名に惹かれました。

どうやら、この白川さんというのは、詩人のようです。
そのエッセイらしい。ご自身のことを語っております。

「父も夫も転勤族で、何度か住居を移らされた。
 結婚してからでも、はじめに大阪、ついで奈良、
 大阪、神戸、福岡、神戸といった具合に、いくつかの町を経験した。
 
 結局、わたしの60年の人生の中で、心から安心して
 抱かれた土地は、ふるさと京都しかないと言えるだろう。
 祖父母、両親ともに京都人であり、
 この地から教わった生き方の物差しを、
 京を去った後も、ずっとかたくなに変えることはできなかったのだから。」
                        ( p42 )

神戸にいたときに、震災を経験されております。

「 神戸市中央区、山裾のマンションで、わたしは震度7を体験した。
  幸いにも家族は無事、家屋も一部損壊ていどで済んでくれたが、
  父が用意してくれた嫁入道具など、日常の電気器具も含めて、
  ほとんどの家財は処分せざるを得なかった。・・・・ 」(p132)

パラリとひらくと曽祖父と祖父と父のことが載っております。
最後には、そこを引用しておしまいに。

「 わたしの祖父は、老境に入ってからこの(安養寺)弁天さんの堂守り
  をしていました。一人息子でちょっとした男前で上背もあり
  お小遣いにも恵まれ、気ずい気ままに大きくなった人でした。
  環境もあったのでしょうか、早くから祇園街で遊ぶことを覚え、
  そのうえ淋しがりやで賑やかなことが好き、遊ぶ度に沢山の
  人を呼び集めて振る舞うので、近所ではマルイチのアホボン
  と呼ばれていたそうです。

  ・・・京都市がまだ上京区と下京区の二区しかない時代に、
  下京を抑える事業(ハイヤー業)を営み、地域のお世話も
  していた曽祖父にとっては不肖の息子でした。二代目が事業に
  ふさわしくないうえに、昭和初期の大恐慌と円タクブームも手伝い、
  時勢に乗り換えられずに『マルイチ自動車』は倒産いたしました。

  その後、安養寺さんからのお誘いで、弁天さんの堂守りを
  させていただくことになりました。初めての就職といえるでしょうか。
  宵っぱりだった人ですが、早朝より起きて作務衣姿で
  境内をきれいに掃き清め、晩年はすがすがしい生き方でした。
  祖母と二人でひっそりと暮らしていましたが、ここで、
  ぎおんおとこは息をひきとりました。73歳、
  わたしの22歳のお誕生日(7月18日)でした。・・・・

  三代目の父は、事業に向かない文学青年でした。
  学生時代には、学内の文芸同人誌を出していたような人でしたが、
  事業が倒産してからは、志を捨てて一介のサラリーマンになったのです。

  ――むかいの≪玉喜≫さんのお女将さんが紹介してくれはった
  会社へ入ったんや—― なんと呑気な時代だったのでしょう。

  京都人は、もともと転宅を嫌います。
  ――宿替えは夜逃げのときだけ――と思っていたのに、
  大阪へ転勤命令が出たのです。
  今考えると笑いたくなるほどの大騒ぎでした。
  そのとき、高校二年生だったわたしは、転校を嫌って、
  とりあえず、円山の祖父母のもとでお世話になることにしました。

  暗いオレンジ色の電灯の下に、祖父母と小卓ひとつだけの夜。
  中京で家族6人賑やかに住んでいた頃でもあり、
  夜はぞっとするほど寂しいものでした。
  時折、しゃらんしゃらんとお参りの人が振る
  鈴の音が聞こえてきます。夜更けて一人、
  試験勉強などをしていると、ほうほうと梟の啼き声が
  追いかけてきます。仙人ならぬ尼さんになったような気分でした。」
                     ( ~p21 )


はい。京のわらべ歌を読みたいと思っていたら、あにはからんや
京の生活をたどることとなりました。これはこれで京の覚え書きの味わい。

さっそく、思い浮かぶ、京のわらべ歌はというと、

      坊さん 坊さん どこいくの
      あの山越えて お使いに
      わたしもいっしょに 連れてんか
      お前が来ると じゃまになる
      カンカン坊主 クソ坊主
      うしろの正面 どなた



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4 コメント

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わらべうた (きさら)
2024-10-24 22:08:16
このわらべ歌

私は
湯舟に浸かって
タオルをお湯に浮かせて 空気で丸くなったのを
ぼうさんの頭に見立てて
「かんかん坊主 くそ坊主」の所で
ぐしゃっと つぶすので ありました(笑)

これは 関西だけ
いや 神戸だけ?
それとも 我が家だけの風習でしょうか?
返信する
おはようございます。 (和田浦海岸)
2024-10-25 08:42:24
おはようございます。きさらさん。
興味深い指摘ありがとうございます。
これは、今日のブログで扱わせていただきます。
返信する
わらべうた (きさら)
2024-10-25 08:52:26
一応
私の覚えていた歌詞は。。。

ぼーさん ぼーさん どこ行くの
あの山こ~えて 傘買いに
ほんなら 私も連れてって~
お前が来ると邪魔になる
この かんかん坊主 くそ坊主

かなりガラの悪い 歌でした(笑)
返信する
おはようございます②。 (和田浦海岸)
2024-10-25 09:50:07
おはようございます。きさらさん。
さっそく、ブログ更新しておきました。

そのあとに、このコメントを読みました。
「かなりガラの悪い」といえば、
私も面白い話をしたかった。
お風呂では、ついオナラがプクプクと出てくる。
はい。まど・みちおの詩「おならはえらい」を
思い浮かべますが、お風呂では
『 においだらくさかった 』
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