「足立美術館 日本庭園と近代美術」(山陰中央新報社・昭和55年)。
足立全康著「庭園日本一 足立美術館をくつった男」(日本経済新聞・2007年)
はい。「庭園日本一・・」から引用。
「美術館を造ることを決意したとき、
日本画の美に最も似つかわしいものとして、日本人の
美意識の深いところで関わる日本庭園をイメージに描いた。
小学校六年のとき、近くの雲樹寺で見た庭園にいたく感動した
ことがあったが、その時の印象が心の片隅に生き続けていたのかもしれない。
雲樹寺は臨済宗の古刹で・・・枯山水の禅宗庭園で、春になると
雲仙ツツジが境内一帯を埋め尽くすところからツツジ寺とも呼ばれ、
地元の人たちに親しまれている。
庭づくりを思い立ったのも、こうした故郷の美しい風景が
あればこそと思うが、私の父がとにかく庭いじりが好きだったことが、
あるいは直接の原因かもしれない。何かにつけて意見が衝突した父と
私であったが、年をとるにつれて血はいよいよ争えないものとみえる。
美術館の庭園は、大阪芸術大学の中根金作教授に設計いただいたもので、
築山林泉式庭園と枯山水式庭園から成っている。・・・・
昭和45年秋に開館して以来、毎年のように絶えずどこかを
いじくりまわしてきたので、庭の風景はしょっちゅう変わり、
設計時の面影はあまり残っていない。・・・・
私の場合、収蔵品を喜んでいただくのはもちろん嬉しいが、
庭を褒められると殊のほか嬉しい。・・・・
庭からほんのちょっと目を上げると、そこには戦国時代の昔、
毛利、尼子の両雄が戦い、毛利氏が戦勝を記念して名付けた
という勝山が連なっている。その背後には、この地方で一番
高い京羅木山(きょうらぎさん)がヌッと頂を突き出している。
四季の変化をいち早く知らせてくれる、見張り山でもある。・・・」
( p189~190 )
うん。以前に親しいご夫婦の家に食事に招かれたことがありました。
その際に、夫婦して足立美術館へと行った思い出を奥さんが語って
何だかわからないながら、気になっておりました。
それから古本で、その関連本が安く出た時に読まない癖して買って
置いてありました。今頃、ひょんなことで、この本をひらけました。
もちろん(笑)。私は行ったこともありません。
庭園と収蔵品とのカタログをひらくだけです。
コメントありがとうございます。
読ませてもらったら、
岡倉覚三著「茶の本」が思い浮かびました。
利休の息子が露地の掃除をしている。
『おとうさん。・・・
地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。』
『ばか者、露地の掃除は
そんなふうにするものではない。』・・
こう言って利休は庭におり立ち
一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を
片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。
利休の求めたものは清潔のみではなくて
美と自然とであった。
『好き家』という名はある個人の
芸術的要求にかなうように作られた
建物という意味を含んでいる。
以上は岩波文庫「茶の本」のp57。
はい。きさらさんのコメントで
いろいろな連想がひろがります。
関西からは近場なので
ずっと以前に訪れたことがあります。
夫はとても感激していましたが
あまりに整然としていて 美しいので
あまり私の好みではありません(笑)
乱雑な自分が拒絶されているような~
と そこまでは思いませんが。。。