池田弥三郎著「日本故事物語」(河出書房新社・昭和47年)。
はい。古本です。文庫にもなっているようです。
ここに、正月14日の祭が紹介されておりまして、
気になっておりました。はい。すぐに忘れるので引用しておきます。
はい。途中からの引用になります。
「江戸っ子は、こういう悪態のせりふを作ることもうまかったし、
実際に悪態をつく技術もすぐれていたようだ。これは、
江戸のことばのもつ性質や、江戸っ子の性格が、たんかをきるのに
適当であったということによるのだろうが、これがいまでも
のこされて随所に出てくるのが江戸歌舞伎の『助六』の舞台である。
ここな、どぶ板野郎の、たれ味噌野郎の、出しがら野郎の、
そばかす野郎め。引込みやがらねえか
わるくそばえやがると、大どぶへさらい込むぞ。
鼻の穴へ屋形船蹴こむぞ。こりゃまた何のこってェ
助六の芝居では、この悪態を中心とする言語技術が
芝居の大きな要素となっている。・・・・・・・・
・・・・
江戸っ子は明治になっても、この伝統は失っていない。
前にあげた漱石の『坊っちゃん』の中の悪態も、読者の溜飲をさげさせる。
では、なぜ日本人はこんなに悪態が好きで、
また悪態のうまい国民なのだろうか。
日本の祭に、昔から悪態祭というのが各地にある。
悪口祭とも悪たれ祭とも言うが、こういう祭には
氏子同士が悪口の限りを尽して言いあいをし、
悪態をつかれても、つきかえしはするが
おこりはしないという風習がある。
『総合日本民俗語彙』によれば、
茨城県西茨城郡岩間村の愛宕(あたご)神社の
正月14日の祭では参詣者の群の中で悪口の上手な者が幅をきかす。
唾をはきかけるものまであって、初めての人は驚嘆するというし、
あるいは、和歌山県有田郡の山村に残っている御田の舞でも、参詣者が
悪口の言い合いをし、けなすと秋のこなしがよいなどという、とある。
実際に、三・信・遠の国境の村々に行なわれる花祭では、
舞処(まいと)に舞う舞人に対して、さらには普段見かけぬ
よそ村の人やわれわれ旅行者に対しても、まわりにつめかけた
村人たちが悪態の限りをつくすのが一つの見どころにさえなっている。
大きなまさかりを持って舞う山見鬼が、
その舞のはげしさにややもすればおどりの手がにぶるが、
そのたびに、腰がふらふらしているとか何とか、
悪態を言ってはやしたてている。
東京から採集に行った際に、遠来の客に山見鬼を舞わせてくれたが、
見様みまねで一生懸命舞っている採集者に
『ダンスみたいだぞ』という悪態がとんだこともあった。
ここで気がつくことは、
悪態をつかれても絶対におこらないということ。
もうひとつは、かならず悪態を言わねばならぬ
という生活が、日本人にはあったということである。
・・・・」(単行本・p75~76)
このあとに、池田弥三郎さんの締めくくりの言葉があるのですが、
うん。引用はここまで。ちなみにこの短文の題は
『おしゃれしゃれてもほれてがないよ』となっておりました。
はい。悪態。
ということで、正月14日の悪態記念日。
うん。サザエさんを描いた長谷川町子さんが、
描く意地悪ばあさんのようなものでしょうか。
それにしても、一年中悪態をつきっぱなしの、
野党者もいるのだろうなあ。
おそらくですが、
悪態への免疫が肝要かと。