和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

70代半ば過ぎて平川祐弘。

2021-12-09 | 本棚並べ
雑誌に連載中で、まだ単行本化されてない、
それで気になり、この機会に古雑誌を出してきては、
平川祐弘の「一比較研究者の自伝」をひらいてみる。
今回は、2020年12月号(連載28回)をひらいてみる。

はい。こんな箇所がありました。

「もしかすると平川祐弘は、若年の著述もさりながら、
そんな中年以後の一連の活動と、老年の作品ゆえに・・・
記憶されるかもしれない。私はそんな風に自分を感じ、
位置づけている。」(p346)


「七十代半ば過ぎから文章を書く機会がふえたのは、
第一に、日本人の寿命が延びたからで、この年齢を
晩年と呼ぶこと自体が、はやまっているのだ。

第二に、私の個人的事情として、直腸癌の手術以後、
生活にいささか不都合が生じ、外出を控えた。
それで執筆の時間がふえたのである。・・・・・・

そんな有様で、知的エネルギーをいまはパソコンに集中し、
書くべきことは書き上げようとつとめている。・・・」(p348)

「七十五歳以後の私は、余生のつもりで、
荻窪のよみうりカルチャー・センターで教えだした。
まず2007年は、第二・第四土曜日午後そこで行った
ダンテの『神曲』講義を、毎回帰宅すると、本論も
本線も、余談も脱線も、計算して書き上げた。

2008年は・・・国際シンポジウムに招かれ、そこで
〈アーサー・ウェイリー『源氏物語』の翻訳〉をまとめた。
・・よみうりカルチャーで《「源氏物語」を日英両語で読む》
を始めたのはその時からで、

聴講者数が十人を切れば、採算が取れぬから閉講する、
と事務所からあらかじめ申し渡されたが、めでたく
13年間続き、宇治十帖を読んでいる。
過去に休講は一度、3・11の大地震の翌日だけである。」
(p350)

うん。この2020年12月号の最後も引用しておくことに。
昔に、『平和の海と戦いの海』を新潮11月号に掲載した時のこと
に触れられておりました。

「・・・京都大学では政治学の高坂正堯教授が演習で、
島田洋一学生に平川作品を渡し、
『君、これをまとめて教室で発表したまえ』と命じた。

冒頭で師弟再会にふれたが、その何人かは若い日に
『平和の海と戦いの海』を読んだ人たちである。
かつての学生たちの年齢もとうに60を越した。

現在、私のよみうりカルチャーの聴講者は、
高学歴で多彩な経歴の人が過半である。
海外生活の実体験に基づき、活発に議論する。

中には私の孫より年下の高校生もいて、
その母親と並んで出ている。受け答えして
これほど愉快な人たちをかつて教えたことはない。
・・・」(p361)

はい。連載の一回分を読んだだけで、もう私は
満腹でつぎの連載を読む気がしなくなります。

はい。でもこの機会に古雑誌をしばらく
めくることにします。





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