キチンと本を最後まで読まない私なのですが、
これはもう直しようがないと思っております。
この前、古本で買った
高橋喜平著「ノウサギ日記」(福音館日曜日文庫・1983年)は
函入りで、表紙は子ウサギが後ろ足で立っている写真。
うん。いいね。本の最後には50ページほどの河合雅雄氏の解説。
この解説を読めただけで私は満腹。
また、そこだけでも再読してみたいのですが、
とりあえずは、解説からすこし引用しておきたくなりました。
二箇所引用。最初はこの箇所。
「動物好きの人は、世の中にはごまんといる。
犬や猫をペットにして飼っている人は、何百万人におよぶだろう。
しかし、高橋さんのような日記をものした人は、
ほとんどいないにちがいない。
なぜなら、高橋さんはたんなるペット好きなのでなくて、
心からの自然愛好者――ナチュラリストだからである。
この日記を見て感動を覚えるのは、
ナチュラリストとしての高橋さんの人柄であり、
動物に対する視点のたしかさ、
すぐれた科学的な観察眼がもたらすものである。
そこには、自然に対する温かい心と動物に対するやさしさとともに、
動物の生態に対する鋭い目と洞察があり、独自の解釈が行なわれる。
これこそナチュラリストの本領だといわねばならない。 」(p268~269)
さてっと最後に引用する箇所は、
この長い解説の終わりの箇所にあたります。
そこでは、今西錦司の「都井岬(といみさき)のウマ」に触れて
河合さんは読んだときの感想を記しております。
「この著作は、毎日のフィールドノートをそのままに写したようなものである。
動物社会学の創始者である今西さんの最初の動物記であるから、
期待に満ちた心躍らせてページをめくるうちに、しだいに
速度が落ちてくる。そして、なにがなんだかよくわからなくなってくる。」
( p308 )
このあとに、その今西氏の文を数行引用して説明しておりました。
そのあとでした。
「このごろの動物の行動に関する論文を読むにつれて、
今西さんがこのとほうもない文体によってなにを主張し、
なにを訴えようとしていたかが、ますます明瞭になてきたと思う。
動物の行動や社会関係を表わすのに、最近は厳密で正確な数量的表現と、
それにもとづく分析が要求される。2分ごとの行動をチェックし、
それをまとめて個体の行動型を表記するといったことが、
普通のレベルで行われている。
このことはもちろん、非難されるべきことではない。
しかし一方、科学的な精密さ、分析のメスの鋭さを競うあまり、
いのちをもった動物の生きいきとした行動や生活のしかたが、
どこかへ押しらやれてしまう、という状況が濃厚である。
科学哲学者として著名なイギリスのホワイトヘッドが、
最後の講演を行なったさい、『 精密なものはまやかしである 』
とぼそっといって壇を降りたという話を、
鶴見俊輔さんが書いておられたのを思い出す。
彼は、分析のいきすぎが全体像を見失う危険を警告したのであろう。」
( p309~310 )
そして、いよいよ解説の最後です。
「『都井岬のウマ』は、科学の進歩が、生物の実像を失わしめる
危険があることに対する予言的警鐘として、重要な意味を
もっていると、今にしてつくづく思うのである。
『ノウサギ日記』は、『都井岬のウマ』と同列の作品であるといえる。
その意味で、この旧(ふる)い日記が現在に登場する価値の重さに
あらためて思いおよぶのである。 」(p310)
はい。私はこの解説をめくってもう満腹。
本文を読まずにスルーしちゃういつもの私がおります。
ひとまず、本棚に置いて、つぎこそは・・・。
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