本棚から、以前買った文庫本をとりだす。
岩村暢子著「普通の家族がいちばん怖い」(新潮文庫)。
副題は「崩壊するお正月、暴走するクリスマス」。
この本は、自分で文章を組み立てようと思うなら、
置き場に迷い、消してしまいたくなるそんな一冊。
本棚なら、どこに置いてよいのやらと困惑する本。
何を言っているのやら(笑)。
とりあえずは、岩村暢子さんのこの文庫から引用。
「単行本あとがき」にこうあります。
「・・私は対象者の回答(発言・記述)内容も
あまり信じてはいない。対象が虚偽の回答をする
と思っているからではない。理由は大きく二つあり、
近年多くの対象者が『本当にそうであること』より、
『そう答えるのが正解だと感じること』を答えるように
なってきているという事がひとつ。
二つ目に人は自分の行ったことに対して、
そんなに自覚的ではないものだという事がある。
人が『している』と回答することと
『実際にしている』ことの間には、
調べると大きな乖離があるものだ。
そこで私たちの調査では、
対象者が『行った』と言うことについては、
必ず『写真』記録を求めることにしている。
無論、本調査でもそうだった。
特に多くの人がまだはっきりとは捉えていない
新しい変化を調べるとき『写真』は欠かせない。
自覚せずに行い始めている人たちにいくら言葉で
『行っていること』を尋ねても、出てくるはずがないからだ。
正月元旦の殺伐としたバラバラ食光景などは
その好例でもあったと思う。しかも写真は、
『お屠蘇』『御節料理』『クリスマスケーキ』などと聞いて、
私たちが暗黙の内に思い描くイメージさえ、
時に大きく裏切ってくれる。そして、その言葉の示す
『現実』も突きつけてくれるものだ。
だから、『写真』データは、やはり欠かせないと思う。
では、語られた『言葉』は軽く扱うのかと言えば、
それも軽視はしない。
実はインタビューはすべてテープに録り、いつも
『一言一句漏らさず、すべてベタで起こしてください』
とテープリライターに頼むことにしている。
しどろもどろで堂々巡りの発言も、
神社の『境内』を『場内』と言い誤ったのも、
ひとこと言いかけてやめた沈黙も、
自分にいちいち相槌を打ちながら話す人の癖も、
すべて・・・・」(p268~270)
うーん。マスコミ関係者のための宣言
のようにして読めるのでした(笑)。
こうして調査された、その肝心の本文は、
私には、どう扱ってよいのやら始末に困ります。
はい。困惑するので、引用はしません(笑)。
そのかわり、『文庫版あとがき』から引用。
「たまたま、私は毎年御節を作るのだが、それは
小さい時分から長年母親に手伝わされてきたため、
すっかり身体に染み付いて、年末になると
『作らずには居られない』状態になるからだ。
いわば条件反射みたいなものであって・・・・
確固たる信念や思想ゆえのことではない。
第一、私の実家にも婚家にも、
守り伝えなければならないほど立派な御節料理が
あるわけでなし。雑煮にいたっては、私の母の味と、
夫のために姑に習った味とが渾然一体となり・・・
夫とは縁が切れた後も元には戻せなくなっている。
食べ物とは、面白いものだとつくづく思う。
近年は娘が率先して御節を作るようになったが、
台所で黙々とやっているので声をかけると、
辰巳芳子先生の本と首っ引きだったりする。・・・・
訳を聞けば、『お母さんの健康のためには、辰巳先生
の作り方のほうが身体にいいんじゃないかと思った』
とのことだった。
家庭の中の伝承とは、そんなものかもしれない。・・・・
家族の関わりと時の流れの中で・・・・・
だから、それが無くなるとしたら、そのような暮らしや
そんな家族の関わりが無くなったことを意味している
に違いない。・・・・」(p275~p277)
はい。また引用ばかり(笑)。
この宿題の、ひとつの答えとなるような文として、
この次に、『京のおばんざい』の中の、
秋山十三子さんの文を引用します。
条件反射の、ルーツをたどる試み。
それに、京都が答えてくれるのかどうか?
こんかいは、ここまで。
京の都を造るのに
大きな影響を与えたと言われ
地名にもなっている 秦氏についての本を
読んでいますが その本では
秦氏とは ユダヤ系民族だったのでは?と
書かれていて 興味深かったです。
秦氏ですか。
深いなあ。
私の場合、基本は
安い古本が守備範囲(笑)。
古本検索で興味をもった
「平安遷都と鴨川つけかえ」は
古本で4000円でしたので、
読んでみたいのですが、
あきらめました。
うん。あきらめが肝心(笑)。