大村はまが、教室で授業の終りに語った言葉を、
中学生の苅谷夏子が忘れずに残してくれてます。
「 はい、そこまででやめましょう。今考えた文章は、
書きたかったら書いてみればいいでしょうが、
書かなくてもかまいません。
構成を考えたメモだけは、しっかり
学習記録に入れておきなさい。 」
( p51 「教えることの復権」ちくま新書 )
『 書かなくてもかまいません 』の言葉が忘れがたい。
そのことと、関連づけて井上靖を取りあげたくなります。
函入り単行本の「井上靖全詩集」(新潮社・昭和54年)には、
詩集にある各詩の発表誌紙一覧があります。まずはそこから。
詩集『北国』(昭和33年3月、東京創元社)。
その最初の6篇は昭和23年に雑誌に掲載されておりました。
詩は、「人生」「猟銃」「海辺」「北国」「愛情」「葡萄畠」。
その次の11篇が昭和22年に雑誌掲載。さらに7篇が昭和21年・・。
そんな感じで一冊の詩集がまとめられて、成り立っておりました。
そこで、全詩集の最後に「『北国』あとがき 」が載っています。
( 単行本ではp454~461。新潮文庫ではp244~250どちらでも読めます )
今回。私が注目したいのは、このあとがき。
詩集の数式を解くための、謎解きの鍵が隠れているような手ごたえ。
ということで、『あとがき』を紹介してみます。
『北国』に掲載された詩について、以前をふりかえっておられます。
「それから、もう一度『婦人画報』へ『井上靖詩ノート』と題して
二十篇ほどの作品を掲載したことがある。・・・」
このノートを、さらに井上氏は語っております。
「私はこんど改めてノートを読み返してみて、
自分の作品が詩というより、詩を逃げないように
閉じ込めてある小さな箱のような気がした。
これらの文章を書かなかったら、とうにこれらの詩は、
私の手許から飛び去って行方も知らなくなっていたに違いない。
・・・・そういう意味では、私にとっては、これらの文章は、
詩というより、非常に便利調法な詩の保存器で・・覚え書きである。 」
うん。よく井上靖の詩は、散文詩に分類されているようなのですが、
『 詩を逃げないように閉じ込めてある小さな箱のような 』
というイメージのほうが、私にはしっくりと理解できる気がします。
箱といえば、サン・テグジュペリの『星の王子さま』(内藤濯訳)の
この箇所が私には、思い浮かんできてしまいます。
大村はま先生なら『重ね読み』ということになるのでしょうか。
忙しいぼくが、ぼっちゃん(王子さま)に、
ヒツジを描いてとお願いされます。何回か
さっさと描いても許してくれず、さいごに、
『大ざっぱ』な絵を書き見せる場面でした。
「 『こいつぁ箱だよ。あんたのほしいヒツジ、その中にいるよ』
ぶっきらぼうにそういいましたが、見ると、ぼっちゃんの顔が、
ぱっと明るくなったので、ぼくは、ひどくめんくらいました。 」
そうそう『詩を逃げないように閉じ込めてある小さな箱』を
井上靖氏はつくりあげていたのですが、同時に詩人に対する
イメージも「『北国』あとがき」に書いてくれておりました。
その箇所を引用しておかなければ
「 私は自分の周囲に何人かの尊敬している詩人を持っているが、
尊敬しているのは、彼等が作った何篇かの、
自分も理解できた秀れた少数の作品のためである。
自分に理解できない、また自分に無縁な作品というものは、
そうした尊敬している詩人の詩集の中にもたくさんある。 」
はい。この尊敬する詩人のなかに、竹中郁もはいっているのだろうなあ。
星の王子さまが、ヒツジの絵を描いてもらいながら描き直しを迫るような
そんな箇所も、あとがきにはありました。
「 詩の座談会に行って殆ど例外なく感ずることは、
出席者の数だけの全く異なった言葉が、お互いに
無関係に飛び交うていることである。
自分の言葉も他人に依って理解されないし、
他人の言葉も自分にはそのまま理解できない。
お互いの言葉はそれぞれ相手には受け留められないで、
各自のところへ戻って行く。 ・・・ 」
私は思うのですが、『 井上靖詩ノート 』というのは、そして、
『 詩を逃げないように閉じ込めてある小さな箱 』というのは、
いったい何なのか?
降りそそぐような、疑問のなかで、
大村はま先生の言葉が聞こえます。
「 はい、そこまででやめましょう。今考えた文章は、
書きたかったら書いてみればいいでしょうが、
書かなくてもかまいません。
構成を考えたメモだけは、しっかり学習記録に入れておきなさい。 」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます