河合隼雄著「泣き虫ハァちゃん」(新潮社・2007年)。
この本ところどころに付箋が貼ってあって、
たしかに読んだのだろうけれど、忘れてる。
きっとスラスラ読んで、スラスラと忘れてしまったのに違いない。
とりあえず、題名だけ思い出したので、本をひらいてみることに。
本の最後に2ページの文がある。平成19年10月河合嘉代子とありました。
そのはじまりを引用。
「この『泣き虫ハァちゃん』は、夫が遺した最後の本になりました。
世界文化社発刊の『家庭画報』に連載中、平成18年8月に脳梗塞で倒れ、
そのあと書きためてあった文が掲載されましたが、
まだ本人が執筆予定であったこの続きを書くことはできず、
倒れてから11ヶ月後にとうとう、意識がもどることなく逝ってしまいました。
本当に突然のことでした。
夫はこれまで思い出というものを書かない人でしたのに、
なぜこの本を書いたのでしょう。なにか、
はかり知れない運命を感じていたのでしょうか。
この『泣き虫ハァちゃん』が、夫の置き土産だったのかと思っています。」
あれ、こんな箇所があったのか、それを読んだのか、
すっかり忘れてしまっています。付箋もところどころ
貼ってあるくせに、どうして貼ったのかも分からなくなっている。
それはそうと、一箇所引用してみます。
本の「しおり」ヒモがはさまっていました。
うん。せっかく本をひらいたので、この箇所を引用することに(笑)。
「 ハァちゃんは部屋中を見回し、『やっぱりハイカラやなぁ』と
感心していると、『城山君、グリムの昔話知っていますか』と
クライバーさんが話しかけてきた。ハァちゃんは日本児童文庫の
『グリム童話集』を愛読しているので嬉しくてたまらない。
『僕、グリム童話集、ものすごう好きです』と答えると、
クライバーさんも嬉しそうに、『どんな話、好きですか』と訊いてきた。
あんまり普通の話ではないのにしようと、ハァちゃんはとっさに判断し、
『 つぐみ髯の王様! 』と誇らしい声を出して答えた。
クライバーさんは日本語がわからぬらしい。日本語の得意な奥さんと
何かドイツ語でやりとりしているうちに、
『あ! ケーニヒ・ドロッセルバルト』と大声を出した。
『あれは、私も子どものとき大好きでした』。
ハァちゃんは嬉しくなってきた。
『あのお姫さん、威張りで嫌いやったけど、だんだん可哀相になってきました』
『あ、私も子どものとき同じことを感じました』
ハァちゃんはクライバーさんと友達みたいに感じ出した。
少し目が潤んできたが、ごまかし気味に、
『クライバーさん、日本の昔話知っとってですか』と大きい声を出すと、
『ああ。大分読みました。かちかち山、浦島太郎』
これを聞くと、ハァちゃんはいいことを思いついた。
『あの、クライバーさん、ちょっと訊いていいですか。
乙姫さんは何で浦島太郎に玉手箱みたいなもん、
みやげにあげたんですか。あけたらいかん言うし、
あけたら老人になるだけなんてもん、何でみやげにやるんですか』
ハァちゃんは真剣だった。・・・ずうっと気になっていた。
そして、クライバーさんなら答えてくれそうに思ったのだ。
『面白い!』とクライバーさんは言った。そしてまた奥さんと
ドイツ語で話し合った後で言った。『 面白い質問です 』
少し考えた後で、クライバーさんは実に真剣な顔をしてハァちゃんに言った。
『私は、玉手箱のなかには浦島太郎の年齢(とし)が入っていたと思います。
あけなかったら、トシがそちらに溜って浦島はずうっと若いままだし、
玉手箱をあけるとトシが出てきて、浦島は老人になります』
ハァちゃんは、『 あっ 』と思った。嬉しかった。
『クライバーさん、クライバーさんは賢い人です』
クライバーさんはハァちゃんの手をしっかり握ってくれた。
ハァちゃんは嬉し涙をぐっとこらえて握り返した。温かい手だと思った。」
( p104~106 単行本 )
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