和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『絵』を翻訳する。

2021-04-15 | 本棚並べ
注文してあった加藤周一著「絵のなかの女たち」が
今日届く。パラリとひらいたけれど、あ、これは
私には読めない本だなとわかる。
若ければ、ムダでも読んだかもしれないけれど。
いまでは、この本は読めない。送料とも371円。

うん。何で読めないのか。
そういうことなら、書けそうです。
杉本秀太郎氏の文をめくっていると、
いろんなことが、私の方で浮かんでくるのでした。
たとえば、翻訳に関するこんな箇所がありました。

「翻訳は労多くして、まことに利得のとぼしい作業である。
だがこの作業によってしか露呈しない局面を回避しないなら、
得る所は大きい。局面はすべて現代の日本文の問題に
係わってくるからである。」
  (p89・杉本秀太郎著「だれか来ている」青草書房)

思い出すのは、桑原武夫氏の七回忌での
杉本秀太郎氏の大学院での演習の思い出ばなしでした。

「二年目の演習は今度はサルトルの『文学とは何か』
というのがテクストでした。・・加藤周一さんの翻訳があります。

きのうもその翻訳と、原文とをちょっと覗いて、
当時を思い出していたんですが、とにかく一番熱心だったのは
先生と僕で、僕の手もとの加藤さんの訳本は本当に真っ赤に、
無惨に朱が入っております。その演習のとき、
先生はなかなか厳密に訳文を原文に照らされた。いうまでもなく、
フランス語の語感が非常に確かな方でしたから、
加藤さんの訳文は洗いざらい底まで見えてしまったような
感じがしました。」
 (p78「桑原武夫 その文学と未来構想」淡交社)

ここに、「フランス語の語感が非常に確かな方でしたから」
と桑原武夫氏を回想されておりました。
ここにあった「語感が非常に確かな」というのは
どんなことなのだろうかなあと思っていたら、

杉本秀太郎著「絵 隠された意味」(平凡社)の
いちばんはじまりが、画家の力量という話題から
はいっているのでした。
うん。画家の力量と、フランス語の語感の確かさと、
つい、同じ土俵にのせて読んでしまいました。
では、「絵 隠された意味」のはじまりを引用。

「好んで静物を描く洋画家が、自発的にせよ、
注文に応じてにせよ、薔薇の花を描く。

すると、描かれた花のうえに、描いた画家の
持ち前の色彩感覚、形態把握の力量が露骨に
あらわれてしまうのはおそろしいほどである。
機転、才覚の有る無しまで分かってしまう。
画家は薔薇にためされる。

描かれた薔薇にまさるとも劣らぬくらい
画家の天性が咲き出ているような薔薇の絵
というものには、容易にお目にかかれるものではない。」
(p8)

このはじまりに『画家は薔薇にためされる』とあります。
杉本秀太郎氏は『作家は絵画にためさえる』と宣言してるように読める。
この絵画論の口火を、こう切って語られて連載がはじまります。

どうしても、読む方でも、その気持のまま読みすすめます。
その面白さが、加藤周一氏の本には、残念ながら伺えない。
こんな読書の選り好みも、年を取ったせいかもしれません。

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