和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

子ども文化の培地。

2022-01-13 | 本棚並べ
1月7日に注文した古本が届く。その一冊がかこさとし著
「日本の子どもの遊び(上)」(青木書店・1979年)。

はい。かこさとしの本ははじめてです。
目次を見ると、「季節の遊び」という箇所があり、
そのはじめが、「お正月」でした。
うん。そこからの引用。
お正月の集まりを紹介しながら、こう切り出します。

「・・こうした高まり、機運づくりということが
子ども達も大切なことなのですが、お正月といえば、
双六(すごろく)、カルタというのが、戦前までの
子ども達のきまり文句でした。・・・・

双六の遊びは至って単純で、各自のコマをふり出しのところにおき、
順番をきめてサイコロをころがし、出た目の数だけコマを進めて、
はやく上りに到着すればよいという遊びです。

この単純さがあるからこそ、ちいさな幼児からおばあちゃままで、
家中でこの双六を中心に何人でも遊ぶことができたのです。
年齢や経験の差によって、いつもそれに長じた者が優位に立つ
ような遊びは、こうした家中での遊びには適しません。

と同時に、家中が一つのものを中心に遊ぶときの、
かもし出される暖かい雰囲気やたのしさに、各自がひたります。
まけてくやしがるわが子の性格をかい間知ったり、
おばあさんのガンバリを見ならったりするよい機会となります。

そうしてこの単純な双六のルールのなかに、
『一回休み』があったり、もとのところへもどるとか
 ・・・・・・」(p44~45)

はい。楽しくてついつい長く引用したくなりますが、
これくらいにして、つぎに行きます。

「さて、もう一つのカルタについて・・・・
たとえば、『いろはかるた』と呼ばれるものは、
明治時代以降の庶民の子ども達の正月には、不可欠の遊びでした。

それは『一寸先は闇』という『上方いろは』や、
『犬も歩けば棒にあたる』の『江戸いろは』、あるいは
『一をきいて十を知る』といった『中京いろは』というように、

たくさんの同類異型をうみ出し、そのなかで当時の子ども達へ
伝えたい、教えるべき諺を選んでいたのです。年末年始だけ
売られる、しかも4、5歳からせいぜい10歳くらいまでの、
庶民の子相手のものであるから、いたって粗末なものであり、
いずれも出版元など明確にしないものでありながら、
生活の知恵や人生訓がおりなされており、遊んだ子の心に残り、
後々まで少なからぬ文化の培地となっていきました。
・・・・」(p46)

はい。こちらもまだ続きますが、ここまでにします。
昨日この古本が届いたのですが、
そうだ、今年のお正月もすっかり双六・カルタを、
私は思い浮かべることもなく過ごしておりました。
そうですよね。せいぜい『いろはかるた』くらい
思い浮かべれば楽しめただろうになあと、思うは
『あとの祭り』『あとは野となれ山となれ』。

まったくもって、『いろはかるた』を本で知る、
私みたいな者は、そもそも『いろはかるた』と、
『お正月』とが、むすびつかないでおりました。


注:『培地(ばいち)』とは
「微生物や生体の組織などの培養のために、
 栄養物を組み合わ調製した、液体又は個体の物質。・・」


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