関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日。
今年は2021年だから、震災後もうすぐ100年。
さて。九鬼周造著「『いき』の構造」(岩波文庫)の
最後の解説は、多田道太郎氏でした。そこを読む。
はい。本文はいまだ未読。
ひとつ気になった数字がありました。
「九鬼周造がヨーロッパにいたのは
1921年(大正10年)から1929年(昭和4年)までである。
・・・・・
甲南大学の九鬼文庫には『「いき」の構造』の、
かなり部厚い草稿が保管されている。これをみると、
九鬼周造がこの論文を書きおえたのは
1926年12月、すなわち大正15年、昭和のはじめのときであった。
書きはじめはさだかでないが、まずパリ留学中、それ後期から
書きはじめられたと推定するのが妥当であろう。
本書がパリで書かれた――ということは、強調しておいてよい。」
(p200~201)
はい。多田道太郎氏の解説には、とりたてて、
関東大震災に触れるような言葉はありません。
私といえば、そこに興味をそそられます。
本棚からとりだしたのは、
内藤初穂著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房・2006年)。
「星の王子さま」を訳した父・内藤濯をテーマにした本でした。
そこに、内藤濯氏がパリに留学した箇所があります。
そのパリで、関東大震災の知らせをうける内藤氏。
初穂氏は、濯氏の日記を引用しております。
「9月4日――
『東京横浜大災害の知らせが益々険悪になる。
東京市街は二区を除く外悉く壊滅し、死傷者の数15万に及ぶといふ。
・・・被難者は食に窮して互に掠奪をはじめたともいふ。
新聞記事に誇張があるものとしても、何さま由々しき大事である。
家族親戚知己の上に事なかれかしと切に祈る』
9月5日――
『大災害の報、日を追うて確かになって行く。
大島及び江ノ島の消失が伝へられる。新聞をよむと、
涙がこぼれてならない。気が落ちつかないので、
何も手につかぬ』
9月6日――
『東京の恐ろしい出来事が伝はりだしてから
まだ凡そ3日ほどにしかならないが、
もう10日も経つたやうな気がする。
支那からの電報で、日本の避難民が続々と上海へ
やつてくるといふのがある。
支那人の偽善が見えすいてゐて、さもしく思ふ』
大震災の第一報いらい、父は道行く人々の視線に
暖かなものを実感していたが、この日、宿の主人夫婦が
旅から帰着するなり、固い握手をして、いろいろと日本の様子を
聞いてくれたのが格別に嬉しかった。・・・・」(p226~227)
このあとにも、画家のエピソードなどが続くのですが、
引用はここまで。
そういえば、柳田国男も、この時にヨーロッパにおり、
帰国して民俗学を立ち上げるのでした。
うん。それはどの本で読んだのか?
それはそうと、九鬼周造著「『いき』の構造」は
こういう時期に、パリで書かれたのでした。
はい。私はまだ本文を読んでおりません。
解説でもって、まずは脱線しております。
「『いき』の構造」を、何とか読めますように。
【注記】多田道太郎氏には
安田武氏との対談[「『いき』の構造」を読む](朝日選書)が
あるので、そちらに、関東大震災との関連が書かれているかも
しれないなあ。この本も未読。
うん。柳田国男と関東大震災との関連は、
こちらはテーマとしてよく取り上げられているようです。
興味ぶかいテーマなので、紹介できればいつか、
引用したいと思います。
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