本物の絵は見たことないのですが、
カタログ絵をながめている楽しみ。
時に、コンビニで拡大コピーして、
それを壁に貼り見ていたりします。
海北友松(かいほう・ゆうしょう)。
講談社「水墨画の巨匠」。その第四巻(1994年)は『友松』でした。
本の凾に、寒山拾得図屏風のカラー部分写真が載っており、
本の表紙は、その屏風図の寒山・拾得2人の顔が白黒のアップで載ります。
はい。気に入っているので、その図を説明したくなります。
岩や木のある庭でしょうか、
寒山が、立って巻物を左右にひろげています。
左手を高く掲げて、右手は巻物へ目線が落とせるようにひろげています。
拾得も、寒山の右肩の後ろから、巻物を覗き込んでいます。
二人とも眼尻をさげ、口は笑っているようにみえます。
拾得は、右手で箒の柄をおさえ、左手は寒山の左肩に手を置いています。
私には、この巻物は書物でなく、手紙なんじゃないかと思えるのでした。
たとえば、子からの手紙で、孫らの家族の近況報告を知らせている手紙。
それを二人で読んで顔をほころばせているような場面に見えるのでした。
この本の解説には、友松について、こうありました。
「雪舟のように中国に渡り、異国の山河風俗をじかに目にしたばかりか、
帰朝後も晩年まで、日本国内をスケッチ旅行して歩いた画家にくらべると、
友松には旅を好んだ形跡があまりうかがえない。
花鳥樹木などは実物の写生をこころみたであろうけれど、
そのほかは名作や手本の臨模を重ねるうちに、
想像をふくらませそれを消化して、
自分自身の個性を形成していくタイプの画人だったようだ。 」(p17)
ちなみに、p13には、小さな図が載っておりました。
それは息子の海北友雪が描いた海北友松夫婦像です。
それは、描いたか、描き途中なのか、絵を前におきながら、
夫婦二人してその絵を見入っている姿を写しておりました。
もどって、友松の寒山拾得図なのですが、
壁のコピーを見て勝手なことを思い浮かべます。
そんななかに、寒山から寒月を、連想しました。
夏目漱石『吾輩は猫である』に出てる水島寒月。
この寒月君は、寺田寅彦がモデルなのだそうで、
それならば、手紙好きの漱石が寺田寅彦へと送った手紙があるはず。
最後に、それを引用しておきます。
明治34年11月20日に高知県にいる寺田寅彦へ
送った夏目漱石の手紙がありました。
「今11月20日君の手紙を拝見、何か肺尖カタルとかで
御上京にならぬ由コイツは少々厄介の事と遠方から
御心配申上る先日大学宛にて手紙を一通出したが
恐らく君の處へは届くまい・・・・
小生不相変碌々別段国家の為にこれと申す
御奉公を出来かねる様で実に申訳がない
今から十年もしたら何か出来想に思ふが
此十年が昔からの事だから頗るあてにならない
こちらの様子も種々申述る事もあるがどうも
ひまがなくていづ方へも御無沙汰のみをして居るから
君にも御勘弁を願はねばならぬ
君の妻君は御病気はどうです君の子供は丈夫ですか
学校抔はどうでもよいから精々療治をして
御両親に安心をさせるのが専一と思ひます・・・・ 」
『遠方』とあり、ロンドンに居る夏目漱石が送った手紙なのでした。
手紙を受けとった寺田寅彦は、どのようにして受け取ったのだろうと、
思う時に私は海北友松の『寒山拾得図屏風』を結びつけておりました。
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