え~と。本は黙っているので、
こちらが、ほっぽりだしても文句を言わない。
ですから、こちらの好き嫌いなわがままを通せる。
そう思ったら、思い浮かんだ本がありました。
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)。
そのはじまりのページには、こうありました。
「良い文章を書ける見込みのある人、
文章というものと縁のある人というのは、
一体、どういう人なのでしょうか。それは、
文字や言葉や文章に相当の好き嫌いのある人のことです。」(p9)
はい。こうして、はじまっておりました。
読者をウキウキさせるような始まりです。
けれど、始まりより本文がもっと面白い。
ここは、はじまりだけで話題をかえます。
好き嫌いから続いて、ひいき筋へ。
丸谷才一著「思考のレッスン」の、レッスン3「思考の準備」に
『ひいき筋』という言葉がでてきます。
「普通は書評の読みっぱなしでいいんですよ。
『ちょっとおもしろそうだ』ぐらいでみんな読もうとしたら、
とても身が持たないもの(笑)。
うんと感心した書評があったら、読んでみる。そして、
もう一つ大事なのは、その書評を書いた人の本を読んでみることです。
この二つをやるととても具合がいい。別の言い方をすれば、
ひいき筋の書評家を持つことですね。」(p120・単行本)
「・・ひいきの書評家をつくれと言いましたが、この場合も、
ひいき筋の学者を持つことをお勧めします。
学者をひいきするのは、タレントをひいきするより、
はるかに長持ちする(笑)。・・・・・
・・・ひいきの学者を決めて、その人の本は必ず読むようにする。
すぐに読まないままでも、一応は買っておいて、気が向いたとき
に開けてみる。それをぜひお勧めしたい。 」(p121~122)
ところで、学者といえば最近気になるのが、尾形仂。
尾形仂著「歌仙の世界」(講談社学術文庫)のあとがきに
ちらりと、恩師の本の題名がでておりました。
「 学生時代に連句鑑賞の手ほどきを受けた先師能勢朝次博士の
『連句芸術の性格』をはじめ・・・ 」(p272)
あとがきに、本の題名はこの一冊だけでしたので、気になる。
はい。今は居ながら古本が手に入る。
能勢朝次著「連句芸術の性格」(交蘭社・昭和18年)。
きたないながらも、初版。送料共837円。
本文のはじまりは「連句研究の現代的意義」。
はい。その3ページだけを読んで、私は満腹。
うん。全文引用したくなる誘惑にかられるのですが、
それは我慢して、断片を引用。
「・・・現代の俳人諸君には、古い時代の作品を味はふ暇を惜んで、
ひたすらに現実の世界から句を得ようとせられる傾向が多い。
しかし、物は『見る眼がなければ見えない』のだし、
自分一人の眼で見得るものは極めて狭い。
・・・それも大てい発句だけである。
だが、発句だけでは、古人の開拓した風雅の世界の
全貌を知る事は不可能である。どうしても連句にまで
進まなくてはと、私は考へてゐる。 」
こうして、3ページほどの短い本文の書き出しに能勢氏は
残りのページを寺田寅彦の『俳諧の本質的概論』からの
引用をしておりました。
う~ん。寺田寅彦の俳諧関連の本を、それでは
「すぐに読まないまでも、一応は買っておいて、
気が向いたときに開けてみる。」ことにします。
コメントありがとうございます。
うん。気のせい。気のせい(笑)。
はい。のりピーさんのコメントで、
たのしく本への拍車がかかります。