和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

中桐は神戸やな。

2010-09-15 | 詩歌
現代詩文庫特集版として戦後名詩選1・2があり、ちょうどそこに選ばれている方々の名前を見ておりました。
さてっと、戦後名詩選1のあとに、野村喜和夫の「戦後詩展望」という文がありました。
こうはじまります。

「戦後詩を読む時代に入ったようだ。いきなり奇妙な言い方に聞こえるかもしれないが、それについて論じたり、その理念や方法の有効性を検討したりという時代は終わり、ひとつのまぎれもない古典として、それこそ戦後詩人たちが萩原朔太郎や西脇順三郎を読んだように、われわれは戦後詩を読まなければならない。・・・」
とはじまり、すこしあとに
「まず、われわれが戦後詩と呼ぶのは、その第一世代である『荒地』グループの登場から、五十年代六十年代の最盛期を経て、大衆消費社会が到来する七十年代八十年代の変容期までの詩産出を指している。・・・」


「荒地」といえば、岡崎武志・山本善行著「新・文学入門」(工作舎)に

「山本:・・ちょっと話が硬くなってきたから、こんへんでいっぷく。『荒地』の母胎はむしろ、第一次『荒地』より、中桐雅夫がつくった詩誌『LUNA』、『LE BAL』のほうで、ここに戦後の『荒地』の主要メンバーが結集している。中桐は神戸やな。神戸に現代詩の拠点があったこと、ちょっと言っておかなあかん。」(p326)


 そして、杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)に触れて

「山本:固い詩の歴史の本ではそういうことが抜け落ちるからな。こういう回想というかたちを取った随筆――おれは随筆と呼んでええと思うけど――の場合にこそ、そんなささいな風景が残されるんや。これこそ随筆の功徳やろ。・・・詩の言葉で鍛えた人の言葉は、どこか違うんやな。」(p337~338)


う~ん。戦後名詩選の詩人の名前を見ていると、関西系の詩人がすくないように感じます。それが、なんだか片側だけを描いているような味気ない感じがします。

これも、まあ「戦後関西詩壇回想」を読んでしまったからかもしれないのですけれど。
それにしても、ありがたかったのは、岡崎・山本お二人に「戦後関西詩壇回想」という本を教えてもらったことです。これを読むと、詩と詩人とが改まって立ち上がってくるような実感を持つのでした。

ちなみに、現代詩文庫の近代詩人篇に杉山平一詩集が入っております。
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