和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

即吟。

2010-02-12 | 他生の縁
福原麟太郎著作集を手に入れて、とりあえずパラパラとめくっております(笑)。
「福原麟太郎著作集7」に「吉田健一・人と作品」という文がありました。そこから引用。

「私などの知っているイギリス人で、いやしくも詩人だとか批評家だとか言われる人と、英文学の話を私がしているとする。あの詩人は好きだな、と私が言うとする。相手は、『ああ、あの詩人、何とか何とか何とか』(この、何とかというところで、相手は、すぐ、その詩人の作のすぐれた詩句をたちまち暗誦する。)と応じる。決して『ああ、あの詩人は、象徴的で、極左の思想をほのかに表現する西暦何年生れの、ケンブリッヂ大学出の有望な人だね』とは答えない。そんなことを言うのは日本人である。吉田さんは、そういう点で日本人ばなれがしている。」(p445)

さてっと、
「福原麟太郎著作集1」の月報のはじまりに、その吉田健一氏の文が載っていた。
題して「福原さんとシェイクスピア」。そこからも引用。

「いつだったか、何人かのものが集まって英国にいる英国人の知人に寄せ書きをすることになった時、福原さんはこっちはそれまで知らずにいて今は又忘れてしまったシェイクスピアからの適切な引用を二、三行書いて署名なさった。余り適切なので読みながら福原さんがシェイクスピアの作と称してその幾行かを即吟なさったのではないかと思ったくらいだったが、その響きは確かにシェイクスピアのものだった。他にそういうことをするオーストラリア人の新聞の特派員で飲んだくれの友達が一人いる。しかし要するに、福原さんのシェイクスピアはそうしたものなので・・・」

「ああ、あの詩人・・・」と「即吟」と。福原氏と吉田氏のお二人がそれぞれに相手を語るときの文を読むと、めったに味わえない感慨がわきます。
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それは、いけない。

2010-02-11 | 他生の縁
2月9日に米沢市の古本屋より「福原麟太郎著作集」全12巻が届く。
函入り、月報付。それで6000円に送料500円の6500円。
本に蔵書印が各冊についており、見返しに書き込みあり。
そのために安いのですが、本文はきれいで、ありがたい。
一冊だけ赤ラインがひいてあるのですが、気にならない。

ところで、その第8巻の編集後記を外山滋比古氏が書いております。
そこからすこし引用。

「若いときに書かれたものにはするどい個性と才能が表面に出ており、文章も思考も花やかであるが、年とともに円熟し、地味な大いなるもの、典型的なものの世界に関心が移っていっているのが感じられる。・・・・
個性は近代的なものであるが、典型は時代を超える。著者の文業は小さな個性を克服することによって古典的性格を得ることになった。その『おもしろさ』は典型に参入し得たもののみが感じさせることのできる重みと広がりのある『おもしろさ』である。」


さて、このくらいにして、
この8巻の月報を引用させてください。
ちなみに、月報の文字「福原麟太郎著作集」は福原麟太郎氏ご自身の題字で印象深い。
さて、月報の最初は安藤鶴夫。題は「ご縁」。
こうはじまります。

「都新聞という、生粋の、東京ローカル紙があった。文化部に、早田秀敏という映画記者がいた。・・・・この早田秀敏が、いつも、まるで、神さまのように、尊く、ありがたく思っているひとに、飛田穂洲と福原麟太郎の、両先生があった。・・・
その秀敏が、ある時、福原先生の書かれたものを読んでいるのか、と、たずねた。わたしとは、どッこい、どッこいの、酒のみの多い文化部の中でも、名だたる大酒のみで、よく、しらしら明けまで、一緒にのんだ。独身で、結局、その酒のために、いのちを落とした。酒と早稲田の野球と、本と、映画の好きな男であった。
その時分、わたしは、福原先生の文章を、読んではいなかった。正直に、そういったら、秀敏は、わたしを、まるで、叱るように、だめだ、と、いった。酒をのんでも、大きな声にならない男で、そんないいかたをする男ではなかった。それが、まことに、めずらしいことに、わたしを叱るように、そういった。お前が、福原先生を、読んでいないッてことはない、それは、いけない、と、いうのである。秀敏は、まったく、めずらしく、激しい語調で、なんども、そういった。・・・」

ちなみに、この第8巻月報は昭和44年10月とあります。
編集部が、安藤氏の文章のあとに、原稿用紙の安藤氏の文を写真入りで載せて、
あわせて添書きがしてありました。

「この原稿は、8月24日群馬県の四万温泉から郵送されました。御帰京後、電話で安藤先生の元気なお声を聞くことができましたのに、9月9日には、突然、悲しい知らせに接しました。謹しんで御冥福をお祈りいたします。」
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おまえさん。

2010-02-10 | 他生の縁
昨日の夜。
9時頃、風呂に入っていると電話。
二人で、飲んでるけれど、来られますか?
さっそく、出かける。

そりゃ、二人より三人の方が話は楽しい。
話題は、どういうわけか西郷隆盛。
よくは知らない私は、
そういえば、桜島を見に、鹿児島へ行ったことがあった。
という話をして、あとは大山巌とか話題が流れて。
10時半ごろ帰宅。

今日になって布団で思い浮かんだのは、
田村隆一の詩「桜島」。
短い詩なのに、最後の二行以外は忘れてました。
さっそく詩集をとりだしてひらいて見る。


    桜島  ――黒田三郎の霊に

 きみは 
 たしか鹿児島の造士館の出身で
 城山にすまいがあった
 ぼくが
 山を見ればその山は桜島であって
 はじめてみた桜島は雪がつもっていた

 おまえさん
 おまえさん また逢おう
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漱石以上?

2010-02-09 | 他生の縁
ちょっとパラパラ見て気になる箇所。

福原麟太郎著「夏目漱石」(荒竹出版)というのがありました。
そこに「漱石についての私見」という5ページほどの文。
はじまりは、
「漱石に関して、私は『坊っちゃん』と『三四郎』とを繰返して読む」でした。

辰野隆著「忘れ得ぬ人々(講談社文芸文庫)には気になる箇所がありました。
小宮豊隆氏が「藪柑子集の後に」と題する跋を書いている。として引用してあります。
その引用箇所
「・・・春秋の筆法を用ふれば、集中に収められた『団栗』や『竜舌蘭』は、三重吉の『千鳥』の父であり、漱石先生の『草枕』の祖父である。此意味に於いて、明治の文学史を編まうとする者は、明治の一つの流れの上に於ける『藪柑子集』の位置を決して見遁がす事を許されない・・・・」(p121)

また、こんな箇所。

「数年前、森田草平氏が『六文人の横顔』という随筆を文藝春秋に寄稿した事があった。その中に次のような一節があった。
『・・・漱石先生の所謂門下生の中で、先生自ら生前ひそかに畏敬してゐられたのは、恐らく寺田(吉村冬彦)さん位なものであつたらう。或は寺田さん一人だつたと云ひ切つた方がいいかも知れない。この人には何処か――勿論全体としてではないが――その人柄に漱石以上と思はれるものがある。』(p128)

うん。こんな意見があったのですね。
知らなかった、勉強になります。
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人間わざとは。

2010-02-08 | 他生の縁
本を読んでいると、つい関連本へとそれていってしまうことがあります。
すると、最初に読んでいた本の流れを忘れてしまうことがあります。
幹を飛ばして枝ばかりになるような、何ともたよりない読書になります。
そして、ある程度の興味がそがれると、そのままに食い散らかし読書となります。
今回は、外山滋比古氏から、どうやら福原麟太郎氏の本へと、興味がそそられております。
肝心の外山氏の本もろくに読んでいない。
ちょいと書き込んでおいて、目印にして進まないと、とんだことになる。
こりゃ、どうどうめぐりに陥るおそれがありそうな気配。
というか、いつものパターンに陥りそうであります。

外山氏から福原氏へ
思い浮かぶのは、
外山滋比古著「日本の文章」で、語られる福原麟太郎氏。

「学生時代からずっと師事している福原麟太郎先生の麗筆は広く知られている。・・・先生の随筆は残らず読んだが、まるで別世界のようで、真似てみようという気も起らない。人間わざとは思われなかった。・・」(p72)

何だか、変な興味をかきたてられてしまうのでした。
とりあえず、外山氏は「先生の随筆は残らず読んだ」とあります。
これは、「福原麟太郎著作集 全12巻」を、外山氏が、すくなくとも随筆の箇所だけでも編纂したのじゃないかと
かってな推測をして、そちらへと興味をもちます。
ちなみに、ネットで古本を調べると
6000円にて全12巻が手に入る。
印が全巻にあるため安いようです。
月報も全巻分ある。送料はなんと500円。
う~ん。
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すべて省略。

2010-02-07 | 手紙
板坂元著「何を書くか、どう書くか」(php文庫)に
「『面と向かって話すつもり』で書く」という箇所があるのを思い出します。
そこに、こうある。

「第二次世界大戦中に『タイム』誌で大活躍したジャーナリストで、今では歴史家とも言われているT・H・ホワイトは、最近『歴史を求めて』という自伝を書いたが、その中で彼は、ハーバード大学で学問的にも人間的にも彼を援助してくれたフェアバンク教授についてふれ、『自分はフェアバンク教授に読んでもらうということを頭に置かないで、書いたことは一度もない』と言っている。
フェアバンク教授は、現在アメリカにおけるアジア問題の権威だが、若き日の教授の物心両面にわたる援助を受けたホワイトは、その恩に報いるために一生懸命に書いたのである。ホワイトの文は、名文として広く愛読されているが、その名文の陰には『恩師に手紙を書くつもりで書く』という基本精神があったのである。・・・」(p60)

ちなみに、このもとの単行本は1980年に出ており、
この文庫は、1997年。いまはもう絶版で古本でしか手にはいらないだろうなあ。

この文庫の1ページ前に、こんな箇所もありました。

「あるジャーナリストが『文章を書くコツは、自分が尊敬する先輩や友人に、個人的な手紙を書くつもりで書け』と言っている。手紙の場合、読み手がどれだけ知っているかは、われわれは前もってよく知っている。そして、そういう情報はすべて省略するのが礼儀でもある。文章を書くときも、相手の知っていることをくどくどと書くのは失礼だし、気の短い読み手ならカンシャクを起こしてしまうだろう。」

そういえば、福原麟太郎著「シェイクスピア講演」の文庫解説を外山滋比古氏が書いていた中に、こうあったのを思いうかべるのでした。

「ところで、この本にはシェイクスピアの作品について目のさめるような解釈が随所に見られるが、創見だからといってとくに強調されているわけではない。低い声で静かに語られていることもあって、うっかりすると見落とされかねない。」

この言葉。外山氏が福原麟太郎氏の文からうける印象は、私が外山滋比古氏の文を読みながらうける印象と重なってくるのでした。

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郵便。

2010-02-06 | 手紙
福原麟太郎随想全集3「春のてまり」福武書店。
そこに「郵便」と題した文あり。
こうはじまっております。

「郵便を待ち焦がれているのは、私ばかりであろうか。
返事はなかなか書けないくせに、来る手紙には、来るべき義務があるかのように、毎朝何かしらを期待して、郵便配達夫の足音を待っている。私の家へ彼がやって来るのは大体午前九時である。・・・」

うん。外山滋比古氏のエッセイを読むと、同様の言葉をみつけることが可能なのを面白く思うのでした。胸襟を開いた言葉が、お弟子さんに自然と、同意とともに、その言葉のバトンが受け継がれていっているような按配みたいに思えます。

さて、福原麟太郎氏の「郵便」には、
こんな箇所もあります。

「英国では18世紀から19世紀の半分までの150年が手紙文学の黄金時代であった。その先蹤として、トマス・グレイ、あの『墓場にて詠める挽歌』というエナヂーの詩人は、手紙をたくさん残している。グレイは詩の数が少なく、13篇ぐらいしか無い。ほかの断片を合わせても、一冊にはならないので、手紙をたくさん挟んで、長い伝記をつけ、それへ詩を添えて出した。それは詩人自身でなく、メーソンという友人が詩人の死後、編集したのだが、それが俑をなして、手紙を材料とした長い伝記を書き、手紙に内面的自伝をさせる方法が起ったといわれる。グレイにしてもクーパーやラムにしてもはなはだ自由に、うそを吐かないで、しかも、ヒウマーを含んだ手紙を書いている。そして自然身の上話をしている。そういうところに面白味があるので、つまり、随筆、いわゆるエッセイ的な興味を多分に持っている。・・・この頃われわれの手紙に、そんなのんきなのは、はなはだ少ない。」


「ふたたびラムの話になるが、ラムの手紙の面白さは無双である。おそろしく長い手紙を出す。何日もかかって一本の手紙を書いている。P・S・すなわち『追伸』として、またもう一つくらいの長さになる文句を書き続けている。用事などなくてもよい。・・・」

どうやら、福原麟太郎氏にとっての手紙というのは、重要な意味を含んでいたようです。
さて、同じ福原麟太郎随想全集の8巻月報に福田恆存氏の文が掲載されておりました。
そこに、こうある。

「私は英文学の他のどの先輩よりも先生を身近かに感じたのである。私は直ぐ思った、『この人は英国のために英文学を研究した人ではない、日本の文学を豊かにするために英文学を研究した人だ』と。・・・」

日本の文学を豊かにするためにというのは何だろうと、
「郵便」の文を読みながら、思うわけなんです。
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筆不精。

2010-02-05 | 手紙
外山滋比古氏のエッセイを読んでいると、
手紙についての言葉が印象にのこる。
たとえば、ことわざについでも印象に残っているのですが、
それはそれ、ちゃんと単行本としてテーマを深めておられる。
けれども、手紙については、とても印象的なのに、
それについての、ちゃんとまとまった一冊の本を出しておられない。
不思議におもえます。

ということで、外山滋比古氏と手紙ということで拾ってみます。

「とにかく根本は筆まめである。ひところは、年にハガキ三百枚、封書を百本くらい書いていたことがある。年賀状は別としてである。一部で、礼儀正しい人といわれたが、それはきちんと礼状、あいさつを書くからであろう。原稿を送るときにも、原稿だけではなく、かならず、短いあいさつを添える。それで受取った人は、礼儀正しい人だと思うらしい。」(p132)

これは外山滋比古著「コンポジット氏四十年」(展望社)の言葉。
この本には、また、こうもありました。

「現代、乱れているいちばんは、返事を書かなくなったことだと根本は考える。
手紙を書かないのを筆不精といったが、いまさら筆をもち出す人はいない。ペン不精などということばはないが、めったなことでは手紙を書かない。かなりこみ入ったことででも、電話ですます。こみ入っているから電話にするのだという人もあるが、本来、難しい話は電話ではムリ。相手にじっくり考える時間を与えないのは不親切である。電話でとっさの返事をすれば、あとでトラブルになりかねない。いった、いわなかった、ということになったりもする。手紙なら、すくなくとも、一両日は考える時間がある。」(p129~130)


うん。外山氏の手紙に関する文は、さまざまなエッセイの箇所で登場するのですが、一つだけ読むのなら、この「コンポジット氏四十年」が概してよくまとまっているような感じをうけます。

面白いのは、外山滋比古著「自分の頭で考える」(中央公論新社)にある「手紙のたしなみ」。同じ題材を扱ってもスパイスが違うと味わいがかわるという例。

ここから、福原麟太郎の手紙についての文と、外山滋比古の手紙の文との比較。
それから、板坂元著「何を書くか、どう書くか」(php文庫)の
「恩師に手紙を書くつもりで書く」(p60)へと引用を重ねようと思うのですが、

また機会があれば。
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海の子。

2010-02-04 | 短文紹介
読んでから、たとえば一晩寝たあとに、本の一行が思い浮かぶことがあります。それは、一晩とは限らずに数日だったり、数週間だったりするわけです。
さて、その一行がどこにあったか、気になる。
最近もありました。誰か分かっていたのです。外山滋比古氏の本。数冊読んでいたからで、その際には、他の人の本を読んでおりませんでした。その一行がみつからないわけです。
数日してでも、それが見つかる。すると嬉しいですね。
他の方には何でもない、たわいもない言葉なのですが、私は嬉しい。
最近もこんなのがありました。

外山滋比古著「少年記」(展望社)

「こうしてみると、こどもには、海の子と山の子があることがわかる。いまは、都会の子、マチの子が圧倒的に多いけれども、かつてはこどもは、海の子か山の子のどちらかであった。大きくなっても、その違いは残っているはずである。ぼくも、海辺ばかりに住んでいたわけではないが、はっきり海の子である。海というとなにかがさわぐような気がする。」(p90)


外山滋比古著「実のある話」(旺文社文庫)

「小学四年まで住んでいた郷里の町は、町とは名ばかりの半農半漁の田舎で、本屋というものがなかった。ずっと後になって、太平洋側はどうしてこんなに本を読まないのか、と考えるようになった。日本海側へ行って、ちょっとした町にも、われわれから見ると、分不相応と思われる大きな本屋がある。幾つもあるのだ。
厳しい冬の気候に堪えるには本を読むよりほかに手がないのか、と想像したりする。昔から暖かい地方は読書に冷淡だったのではないかと思う。ほかにすることがあれば、大人は本など読まない。とにかく、田舎のまた田舎の小学生が五年になって、郡の中心の町の学校へ転校、いろいろ物珍しかったが、とりわけ本屋があることに興奮した。ごく小さい子供が、なまいきに本を買っている。これはうかうかしてはおれないという気がした。大きいといっても人口一万とちょっとぐらいではなかっただろうか。新本屋が隣合せに並んで二軒あった。」(p144)
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本届く。

2010-02-03 | Weblog
注文本届く。

渡部昇一著「裸の総理たち32人の正体」(李白社)
伊良林正哉著「権力への階段」(文芸社)
山口仲美著「犬は『びよ』と鳴いていた」(光文社新書)

古本は
松浦嘉一著「英国を視る」(講談社学術文庫)
これは、解説を外山滋比古氏が書いているので注文。

さて、一度に本がまとまると、
どれから読もうかと思っているうちに
読まずに終ってしまうのが、今までの私流。
こうかいとけば、すこしは読むかなあ。
と、とりあえず書き込み。
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静かに。

2010-02-02 | 他生の縁
福原麟太郎著「シェイクスピア講演」(講談社学術文庫)の解説は、外山滋比古氏が書いておりました。ということで、興味をもって注文。では、外山氏の解説をつまみぐい。

「この本はシェイクスピアに近づこうとするとき、まずははじめに読むのにもっとも適している。読者にこれほどあたたかく深切な理解をあたえる手引はほかにないといってよいほどである。」

「著者の英文学は、難しいことでもいたって平明に、しかも興味深く表現するという、わが国の学者には珍らしいスタイルをもっているのでよく知られているが、この本はそのめざましい実例であると言ってよい。」

「著者はつとにすぐれた文章家としてきこえたが、話芸においても卓越し独自の風格をそなえていたことがこの講演集によってもよくわかる。」

「いかにもやさしそうに見える表現の中に、重要なことはしっかりおさえ、深い洞察を包みこんでいる。・・・著者の本を読んで英文学を志した学生がすくなくない。」

さて、おもむろに外山氏は、こう書き始めております。


「著者の英文学の特色は『おもしろさ』にある。・・この本の『おもしろさ』はものの見方にもとづくおもしろさ、言いかえると、ヒューマーのおもしろさである。(ついでにひとこと加えると、著者はけっしてユーモアと書かなかったし、言わなかった。編集者がうっかりユーモアとしたりすると、かならず訂正した)
本書の中でも『ヒューマーというのは人間であるがゆえに持っているもののおかしさという点をつかまえたものであるといわれております』という定義が見られる。・・・
インタレスティングは日本語のおもしろさとすこし違うところがあって、表面的なおもしろさではなく、より深く心にふれる興味について用いられる。この本から受けるしみじみとした感銘はインタレスティングというおもしろさである。読むものの心を動かすということで、この本自体が一箇の文学になっているというわけである。」

つぎ引用。

「ところで、この本にはシェイクスピアの作品について目のさめるような解釈が随所に見られるが、創見だからといってとくに強調されているわけではない。低い声で静かに語られていることもあって、うっかりすると見落とされかねない。」

この言葉。外山氏が福原麟太郎氏の文からうける印象というのは、
私が外山滋比古氏の文からうける印象と重なってくるのでした。
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本が届くまで。

2010-02-01 | 前書・後書。
産経新聞2010年1月31日の書評欄を見ていたら、
あれ、谷沢永一氏が書評を書いている。
これ、さっそく本を注文しなきゃ。
その「渡部昇一の人物戦後史 裸の総理たち32人の正体」(李白社 1995円)は
どう書評されているか。
こりゃ、さっそく引用しておきましょう。そうしましょう。
題して「現代版『貞観政要』」とあります。
うん。渡部氏と谷沢氏の対談「上に立つ者の心得」を楽しく読んだ者にとって、これは気になるわけです。
はじまりは
「近頃珍しい読み応えのある大著である。」とあります。
ひきつづき
「戦後の宰相32人を俎上に乗せ、縦横無尽に切りまくっている。リーダーとは何か、国益とは、外交とは、はたまた人間の運とは何かまで活写している。・・・・人物分析は著者の体験と客観的な歴史認識に貫かれている。・・・種本は「貞観政要」。この本は唐の太宗が諫議大夫や諫臣たちと交わった対談をまとめたものである。・・『皇帝・帝王とはどうあるべきか』『政治はどうするべきか』が、極めて具体的に記されている。いわば高位にある者が政治を執り行う場合に心得るべき要諦がすべて書いてある百科事典。そう、『裸の総理たち―』は政治・経済を運営する人たちへ向けての『現代版 貞観政要』なのである。」

鳩山首相の国会答弁を聞いていると、
いったい、何が欠けてしまったのか。
さらに、それをどう指摘し、考えてゆくべきなのか。
あれこれと思うのでした。そこから、
この未読本の内容をあれこれ思い浮かべてみるのでした。

めずらしく、谷沢永一氏が新聞の書評をかいている。
短い文に、ちょっと情報を盛るのに、よく私には読解が及ばないところではあります。
それでも、こうして書評を書かれている一冊。
気になる、ということで、本の注文をしたのでした。

さて、読了すると沈黙を余儀なくされる本というのがあります。本は読後よりも、読む前の方が楽しかったりする私なので、こういうのもご勘弁ください。
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卒業論文。

2010-02-01 | 他生の縁
昨年。外山滋比古著「思考の整理学」を読んで、外山氏のエッセイに興味を持ちました。ちなみに、「思考の整理学」では、卒業論文が重要なキーワードになっておりました。それからは、「思考の整理学」ということば文中にでてくると、つい着目します。たとえば、外山滋比古著「中年記」(みすず書房)に

「『知的創造のヒント』という本になった。・・・それから数年して、『思考の整理学』を出した。これは思考をより技術的に扱っている。セレンディピティという発見に興味をもっていたころで、偶然を重視している。醗酵もそうだが、アイディアは締切りをしらない。期日のある卒業論文などには役に立たないのはそのためもある。・・・」(p108)

ここから、福原麟太郎氏へと軸足をもっていこうと思うのでした。
外山滋比古著「日本の文章」(講談社学術文庫)に、清水幾太郎氏を語る際、なにげない様子で福原麟太郎氏が登場しておりました。こうです。

「学生時代からずっと師事している福原麟太郎先生の麗筆は広く知られている。・・・先生の随筆は残らず読んだが、まるで別世界のようで、真似てみようという気も起らない。人間わざとは思われなかった。・・」(p72)

う~ん。「セレンディピティと福原麟太郎」というテーマが思い浮かびます。
ここは、そのテーマとは別世界の卒業論文について。
「中年記」には、こんな箇所がありました。


「教師とは因果な商売である。ロクにものを書いたこともない若造が、卒業をひかえた学生に、こともあろうに、『論文の書き方』を教えなくてはならない。もちろんできるわけがない。・・・・福原先生が、卒業論文を書こうとしていたわれわれ学生に話されたアドヴァイスが実によかったと思い返した。

○まず、テクストを精読すること。(信じられないことだが、テクストをよく読まない論文を書くものがある。)
○気のついたところ、興味をもった箇所、疑問点などをノートにとる。
○テーマを絞る。
○ 参考書を一つか二つ読む。(これを先に読むと、参考書の解説のような論文、ないしは盗用論文に近いものになる。)
○ まとまったら、一気呵成に下書きを作る。ただし、清書には時間をたっぷりとれ。うっかりすると締切りに間に合わなくなる。

こんな趣旨を、受け売りで話したが、いかにも迫力がない。借りものだから仕方がないだろうと甘えていたが、考えてみれば情けない話である。論文の書き方を自分流で考えてみようと思った。」(p101~102)

そういえば、この中の
「参考書を一つか二つ読む。(これを先に読むと、参考書の解説のような論文、ないしは盗用論文に近いものになる。)」が気になります。
吉田健一氏の言葉に、こんなのがありました。

「まだ学生のころ先輩に、そのものよりもそのものについて書いたものを読む癖を付けないようにしろと言われたのを思い出す。『ファウスト』の代りにその解説を、あるいは『資本論』は読まずにそのダイジェストを持って要領よくやった積りでいることを指すのである。」(「吉田健一集成・別巻」新潮社1994年。p175)

福武書店の「福原麟太郎随想全集7 思い出の記」に「卒業論文」という2~3ページほどの短文が入っておりました。せっかくですから、そのはじまり。

「私も一遍粗末な卒業論文というものを書いたことがあるが、その後は、ひとの書いた論文を見るばかりで、借金の方が多くなっているという心持がする。ひとの論文を見るなら自分も始終論文を書いているべきである。そんな理屈なはいけれど、こっちも論文に苦心しているという身の上でひとの論文に臨まなければ、本当にひとの論文は読めないという気持である。卒業論文は一生に一つしか書かなくとも、その後、自分は、つねに研究をつづけて、いくつも書いているというのでなければ、ひとの論文を見る資格はないのだ。それは教師の心得である。」

うん。ここで引用をやめちゃうのは惜しいので、ひきつづき、貴重なウィリアム・エンプソン氏が登場する箇所も引用しておきます。


「提出されてくる論文なるものは、種々さまざまだ。卒業論文ではなかったが、ふだんの試験の英文学の単位を取る小論文に、その一部を英国の週刊誌の文学批評から取って、だまって出したのがいた。私に出したのなら、私は、うまうまと、だまされていたのかもしれないが、相手が悪かった。現在では英文壇随一の詩人評論家といわれるウィリアム・エンプソンがまだ若い昔であった。私のところへそれを持って来て『君、この文章は、誰だか知らんが、おそらく筆の立つ、年期を入れた評論家の書いたもんだ。日本の学生などにできる芸当じゃない』といった。そんなのもある。そんなのには、だまされて感心していればすむが、だまされようにも、だまされまいにも、意味のよくとれないのがある。論文読みは辛い。」

と、ここまで引用してくると、ですね。
外山滋比古氏の言葉がもう一度思い浮かぶのでした。
この箇所「先生の随筆は残らず読んだが、まるで別世界のようで、真似てみようという気も起らない。人間わざとは思われなかった。」
この味わいを知るには、「卒業論文」という短文の全文を引用しちゃうにしかず。
ということで、あと最後まで引用。

「それは英語で書いた論文だから、そういうことが起るのだが、日本語で書いてもよろしいということがある。そうすると女子学生などで、私の著書に書いてあるとおりを、文章もそのまま拝借して、つづり合わせて出すのがいる。妙な心理である。日本語で書いてあれば、しかし、大抵は意味が解るが、さて解ってみると、何という支離滅裂であることかと、途方に暮れるようなものに出くわす。しかし同情してもよい。とにかく苦心しているのだ。だが総体において、ふだんから指導しておいて、いよいよ卒業論文にして出されると、できぐあいはどうかしらと、悪いのは悪いなりに楽しみなものである。だから、ふだん手がけている学生の論文を読むのは、本当は苦しいものではない。
論文は正直なのが何よりである。だましたり、ごまかしたりする料簡が見えると憤然として腹が立つ。だますなら、すっぽりだましてくれと、いきまく。そのうちに良い論文に出くわす。ああ、うまいもんだな、偉い学生もいるものだなと、三嘆する。おれよりも上等の頭をしていると感服させるのが時々あるものだ。そういう時は、まさに教師みょうが、という気がして、ありがたいと思う。ある年、英語はいかにもまずいが、芝居のことは実によく解っていると、感心した、イギリスの劇作家を研究した論文が出たことがある。その晩私は興奮してねむれなかった。」

とうとう全文引用してしまいました。
ちなみに、福原麟太郎氏の論文とういのは、どういうものだったのか。
ちらりと、吉田健一氏の文にありました。

「ドナルド・キイン氏から聞いた話では日本人が外国語で書いたものでその専門のものにとつて必読の書になつてゐるのは二つしかなくてその一つは矢代幸雄氏のボティチェリ研究、もう一つが福原さんのグレイの詩に就ての書誌学上の研究だといふことだつた。」
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