福原麟太郎著作集を手に入れて、とりあえずパラパラとめくっております(笑)。
「福原麟太郎著作集7」に「吉田健一・人と作品」という文がありました。そこから引用。
「私などの知っているイギリス人で、いやしくも詩人だとか批評家だとか言われる人と、英文学の話を私がしているとする。あの詩人は好きだな、と私が言うとする。相手は、『ああ、あの詩人、何とか何とか何とか』(この、何とかというところで、相手は、すぐ、その詩人の作のすぐれた詩句をたちまち暗誦する。)と応じる。決して『ああ、あの詩人は、象徴的で、極左の思想をほのかに表現する西暦何年生れの、ケンブリッヂ大学出の有望な人だね』とは答えない。そんなことを言うのは日本人である。吉田さんは、そういう点で日本人ばなれがしている。」(p445)
さてっと、
「福原麟太郎著作集1」の月報のはじまりに、その吉田健一氏の文が載っていた。
題して「福原さんとシェイクスピア」。そこからも引用。
「いつだったか、何人かのものが集まって英国にいる英国人の知人に寄せ書きをすることになった時、福原さんはこっちはそれまで知らずにいて今は又忘れてしまったシェイクスピアからの適切な引用を二、三行書いて署名なさった。余り適切なので読みながら福原さんがシェイクスピアの作と称してその幾行かを即吟なさったのではないかと思ったくらいだったが、その響きは確かにシェイクスピアのものだった。他にそういうことをするオーストラリア人の新聞の特派員で飲んだくれの友達が一人いる。しかし要するに、福原さんのシェイクスピアはそうしたものなので・・・」
「ああ、あの詩人・・・」と「即吟」と。福原氏と吉田氏のお二人がそれぞれに相手を語るときの文を読むと、めったに味わえない感慨がわきます。
「福原麟太郎著作集7」に「吉田健一・人と作品」という文がありました。そこから引用。
「私などの知っているイギリス人で、いやしくも詩人だとか批評家だとか言われる人と、英文学の話を私がしているとする。あの詩人は好きだな、と私が言うとする。相手は、『ああ、あの詩人、何とか何とか何とか』(この、何とかというところで、相手は、すぐ、その詩人の作のすぐれた詩句をたちまち暗誦する。)と応じる。決して『ああ、あの詩人は、象徴的で、極左の思想をほのかに表現する西暦何年生れの、ケンブリッヂ大学出の有望な人だね』とは答えない。そんなことを言うのは日本人である。吉田さんは、そういう点で日本人ばなれがしている。」(p445)
さてっと、
「福原麟太郎著作集1」の月報のはじまりに、その吉田健一氏の文が載っていた。
題して「福原さんとシェイクスピア」。そこからも引用。
「いつだったか、何人かのものが集まって英国にいる英国人の知人に寄せ書きをすることになった時、福原さんはこっちはそれまで知らずにいて今は又忘れてしまったシェイクスピアからの適切な引用を二、三行書いて署名なさった。余り適切なので読みながら福原さんがシェイクスピアの作と称してその幾行かを即吟なさったのではないかと思ったくらいだったが、その響きは確かにシェイクスピアのものだった。他にそういうことをするオーストラリア人の新聞の特派員で飲んだくれの友達が一人いる。しかし要するに、福原さんのシェイクスピアはそうしたものなので・・・」
「ああ、あの詩人・・・」と「即吟」と。福原氏と吉田氏のお二人がそれぞれに相手を語るときの文を読むと、めったに味わえない感慨がわきます。