和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

3冊の古本。

2012-05-16 | 本棚並べ
注文してあった古本がとどく。

北山書店(大津市比叡平)
 「わたしの知的生産の技術」3冊(正・続・新)
 講談社の単行本3冊で1800円+送料300円=2100円なり。

いままで、
岩波新書の梅棹忠夫編「私の知的生産の技術」という本があることを、それとなく知っていたのですが、講談社の「わたしの知的生産の技術」は、それとは別物でした。
講談社の方は、何だこれはという、そうそうたるメンバーが書いている3冊。うん、読むのが楽しみ。まずは、本棚へ(笑)。
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読みやすい火山。

2012-05-15 | 前書・後書。
鎌田浩毅著「次に来る自然災害」(PHP新書)が、読みやすい。
パラパラしか読んでいないのですが、
そのあとがきに、同じ著者の本が紹介されているので、
ついつい、そちらもひらいてみる。
鎌田浩毅著「火山はすごい」(PHP新書)。
パラパラ読みの私には、プロローグにある
「知っている火山から読んでもらって、一向にかまわない。
興味のわいたところだけ、好きにサーフィンしてもらったらいい。」
という言葉に、うれしくなります。
この「火山はすごい」のエピローグの18㌻は
わかりやすくて、楽しくて、おすすめの現代文章入門だと、私は思います。
そこに、向井敏著「文章読本」を取り上げてあったりして、
へ~ェ。と思いながら、
このエピローグは、またあとで読んでみたいと思いました。
そういえばと、向井敏著「文章読本」を本棚に探しに行ったり。

とりあえず、エピローグから一箇所引用。

「もし火山が噴火したとき、私の文章が理解されないのであれば、緊急時に、必要な情報が正しく伝わらないだろう。災害を未然に防ぐための有効な手だてが、打てない恐れがある。・・・・一人でも多くの人にとって、噴火が青天の霹靂とはならないことを、私は願っている。火山学を始めとして地球科学が、社会の役にたつときがやってきたのだ。」(p232)

ちなみに、鎌田さんの、このエピローグは2002年5月に書かれておりました。
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ご当地古本屋。

2012-05-14 | 他生の縁
古本は読めればよい。
というタイプなので、できるだけ値段の安いのをネット注文。

最近の注文したのは、
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」で紹介されていた
吉川清の「一遍上人」「遊行一遍上人」を
値段の安さにひかれて、注文しました。

太田書店(静岡市葵区)
吉川清著「一遍上人」協栄出版社(初裸本背小口ヤケ)
 1050円+送料210円=1260円

書肆八松(藤沢市辻堂)
吉川清著「遊行一遍上人」紙硯社
 600円+送料160円=760円
(こちらは、注文すると、保存状態の確認として
写真を送ってきました。表紙裏表とページとで4枚も)

さて、とどいた2冊の、どちらも昭和19年発行となっておりまして、
つまり、紙質がもともと、わるい。それは承知のうえなので
気にならないのですが、思わぬ発見は
どちらも、装幀・鳥海青兒。
「遊行一遍上人」の表紙は
空也立像(歴史や美術の教科書の載っているあれです)のような
立ち姿の絵です。数珠をもった左手を前に差し出して、
素足ですこし腰がこごんだような姿をして、
坊主頭の顔を前につきだしたような。
空也像は口から何やら出ておりましたが、
こちらの絵は、いまにも話が聞こえてきそうにも思えます。
(空也は杖をついて、いろいろぶら下げたり、もっていましたが
一遍はみすぼらしく臭ってもきそうな着物を縄のようなものでしめて、
もっているのは数珠のみ)

「一遍上人」の表紙は
「南無阿弥陀仏」の民芸風の文字が、ならび
その上に題名と著者名が赤くすこし透ける文字で印刷されています。
その二冊の表紙を並べてみると、
本の状態は、まったくよくないのですけれども、
何とも気品というか気迫がある。


さらに、今日届いた古本がありました。

古書リゼット(鹿児島県鹿児島市)
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」(大蔵出版株式会社)
1000円+送料160円(ヤマトメール便)=1160円
こちらは、何と、
坂村真民氏の「こんにちただいま」という筆書きが
してありました。それに、包装紙の裏に
謹呈と赤いマジックで、そのあとサインペンのような
文字が5~6行、雑誌をいただいたお礼に送ったもののようで
そのような内容のことが書かれてありました。

坂村真民氏については、だいぶ以前から、ある方に、「一道を行く 坂村真民の世界」(到知出版社)という本を読んでみるようにと、あずかって、そのままになっており、ちょうど、一遍上人との関連で、これで読むキッカケが、つかめたので、ひとり喜んでおります。


ちなみに、坂村真民氏は熊本生まれ。
ネットで日本中の古本屋を検索できる楽しみ。
というのがあるのを、偶然ですが知りました。

余談になりますが、
一遍上人といえば、思い浮かんだのが
加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論新社)の追記(p214)。
そのはじまりの箇所をすこし引用。

「一遍上人ゆかりの江刺の聖塚を訪ねたのは平成18(2006)年夏のことであった。そこで供養された『すすき念仏』が、それをつたえる『薄念仏会』という名で毎年9月15日におこなわれていることもそのころに知った。場所は神奈川県藤沢の遊行寺(正確には藤澤山清浄光寺(とうたくさんせいじょうこうじ))。江刺訪問から二年後の平成20年の9月当日、かねてからの念願をはたすべく、わたしは藤沢にむかった。・・・・」

うん。わたしは藤沢の古本屋へ注文したのでした。
機会があれば、9月15日に遊行寺へと行きたいなあ。
そう思って、いまだ実現していないのでした。
まあ、届いた古本の表紙をながめながら、
そんなことを思っているのでした。
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書評再読。

2012-05-13 | 短文紹介
検索しているうちに、BK1に掲載されている書評のなかの
谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKベストセラーズ)の書評を読んでみました。
うん。自分で書いたのに、すっかり忘れております(笑)。

あらためて、まず本を書棚にさがして、ひらいてみました。
気になったのは、安東次男氏の本をとりあげている箇所(p222~223)。そこにこうあります。

「ただし残念ながら、俳諧表現の陰影を解き明かすのに成功した注釈は少ない。私は教職にある時数年かけて七部集を講じ、近世期以来の夥しい注解を比較対照したが、そのほとんどは些事に拘わる近世学問に共通する通弊のため、題材に選ばれた事象の故事来歴と出典の考証に傾き、句から句への移りに込められた連想の感得力に乏しいのが常である。」


「俳句の評釈として読むに足るのは、柳田国男『俳諧評釈』(昭和22年、のち全集17)中村幸彦『宗因独吟俳諧百韻評釈』(平成元年)『此ほとり一夜四歌仙評釈』(昭和55年、のち著作集9)ぐらいであろう。」

「芭蕉の発句の評釈では、安東次男が『定本 芭蕉』(筑摩叢書)を書いており、加藤楸邨の『芭蕉全句』上下(昭和53年)山本健吉の『芭蕉全発句』上下(昭和49年、のち全集6)も解りやすいであろう。また知られていないけれど、柴田宵曲が島田青峰の代作として書いた『芭蕉名句評釈』(昭和9年)が秀逸である。・・・」


そういえば、山本健吉著「芭蕉全発句」は最近文庫になっていたなあ。
谷沢永一氏の本の、この箇所は、安東次男著『定本風狂始末芭蕉連句評釈』をとりあげた中にある言葉なのでした。

うん。まず、安東次男氏の本から読み始めようと思って挫折しておりました。
まず、柳田国男と中村幸彦から読めば、すんなり本丸へとたどりつけそうな気がしてきました。

自分で書いた書評を、すっかり忘れてしまって、
あとで読み返して教えられることは、ちょくちょく。
というか、書くとすぐに忘れるタイプなので、
あらためて、
書評を書いて終わりじゃないのだと、
思い知ります。よい読者になる難しさ。
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ラッキー。

2012-05-12 | 前書・後書。
鎌田浩毅著「次に来る自然災害」(PHP新書)の
「おわりに」は
「『3・11』は日本人をすっかり変えようとしています。東日本大震災は、わが国にとって戦後最大の試練と言われています。」とはじまっておりました。
ひきつづき、引用。
「地球科学的に見ると、戦後の復興は、じつは地震が少ない時期に重なるという幸運に恵まれていたのです。こうした恵まれた時代が終わりを告げたのが、1995年に神戸を中心に起こった阪神・淡路大震災でした。くりかえしますが、日本の復興期と高度経済成長期に大きな地震がなかったのは、ラッキー以外の何物でもないのです。・・・・『3・11』も日本とアジアを根本から変えると思われます。これからどうやって生き延びていくかを考えなおすきっかけを東日本大震災という大きな犠牲とともに、日本人は与えられたのです。」

本文はたいへんに読みやすい一冊となっております。
ところで、「おわりに」をもう少し引用してみます。

「9世紀の日本では、869年に東北沖で東日本大震災と同規模の貞観地震が起こり、その18年後の887年に東海、東南海、南海の三連動地震である仁和(にんな)地震が発生しています。」

「じつは9世紀には、あの富士山も大噴火を起こしています。864年に富士山の北西山麓で、大規模な割れ目噴火が起きました。貞観噴火と呼ばれる事件です。このときには長さ6キロメートルにわたる長大な割れ目ができ、その上に火口がたくさん生じました。ここから大量の溶岩が流出し、『富士の樹海』として有名な青木ヶ原樹海をつくったのです。」

そうなんだ。
東北沖の貞観地震のまえに、
富士山では大規模な割れ目噴火が起きていたのですね。

そういえば、
文春新書の徳岡孝夫著「完本 紳士と淑女」(p56)に、こうあったなあ。



「 紳士淑女諸君!
これが最後になるかもしれません。
なにしろ気象評論家・相楽正俊サンのおっしゃることには
『9月10日から15日まで』の間に富士山は大噴火、
東京はマグニチュード8だそうですから。
 覚悟はいいですか?
 いいとも!      」(1983年「諸君!」10月号)


ひきつづきの「覚悟」には、
鎌田浩毅著「次に来る自然災害」がおすすめです。
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最後の書評ポータル。

2012-05-11 | 他生の縁
オンライン書店BK1に書評ポータルがあり、
毎日楽しみにしておりました。

さまざまな方の書評を、読むことができるしあわせ。
ありがたいことに、書評がとりあげられると3,000円分のポイントをいただける楽しみ。

そこの運営を担当されていた辻和人さんが
新しいサイトの立ち上げで、書評の仕事から離れるという挨拶文を
最後の書評ポータルに書かれておりました。

BK1では「書評の鉄人」という名称をいただけたりして、また、その方々のブログをひらくと、「書評の鉄人」のマークがさりげなく掲げられておりました。辻和人さんの企画と編集の機微を、身近に味わう事ができたのは、その「書評の鉄人」に取り上げられる際の、メールのやりとりにありました。「書評の鉄人」になりますと、好意的なコメントがついて、10の書評を選んで並べてもらえる。

こういう魅力的な書評の広場のおかげで、皆さんと共有できる貴重な書評の財産となりました。これをはげみに、本の書評を自分なりにつづけてゆきます。辻和人さん、ありがとうございました。

オンライン書店BK1と辻和人さんのお名前と、
忘れないように、ここに書き込みしておきます。
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見ていなくはない。

2012-05-10 | Weblog

気になった新刊。

松岡資明著「アーカイブズが社会を変える」(平凡社新書)
鎌田浩毅著「次に来る自然災害」(PHP新書)
古田亮著「高橋由一 日本洋画の父」(中公新書)
小林信彦著「黒澤明という時代」(文春文庫)
曽野綾子著「堕落と文学 作家の日常、私の仕事場」(新潮社)
見城徹・藤田晋著「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」(講談社)
児美川孝一郎編「これが論点!就職問題」(日本図書センター)


あとは、古本で注文した
高橋秀実著「ご先祖様はどちら様」(新潮社)
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極めて薄弱なものだった。

2012-05-09 | 短文紹介
萩尾望都作品集「なのはな」(小学館)が出ておりました。
とりあえずも、その最初にある漫画をひらきました。
うん。まだ全部は読み終えておりません。

ということで、
思いつくままに、

大越健介著「ニュースキャスター」(文春新書)の第一章に

「後に、いわゆる民間事故調(福島原発事故独立検査委員会・北澤宏一委員長)は、官邸中枢の政治家やスタッフへの詳細な聞き込みをもとに、事故の検査結果をまとめた報告書を発表している。報告書では、事故発生からの数日間は、東京電力も官僚機構も混乱の中で十分な情報を持ち得ず、原子力には素人の限られた政治家たち(当時の菅直人総理大臣を含む)が、場当たり的に事故対応にあたらなければならなかった事実を公表した。この例をはじめとして、本来信頼されるべき政府発表が、実は根拠が極めて薄弱なものだったことが次々に明らかになるたびに、その時の報道を担ったひとりとして、何とも言いがたい気持ちになる。・・」(p19)

さて、萩尾望都作品集「なのはな」の最後には、萩尾さんご自身のあとがきが2ページ書かれておりました。そこから

「・・私は東京の隣の埼玉県に住んでいました。電源が喪失、炉心が出ていると報道されていました。12日から次々と建屋が爆発して行きました。ああメルトダウンだと思いましたが、政府も電力会社も、30キロ県内の避難や自宅待機を促しながら『大丈夫』と言っています。私は胸のザワザワが止まらず、といって誰に聞いていいか解らず、何も手がつかないままでした。・・」

こうして、この作品集が生まれる経緯を語っておられます。

もどって、あの時のことを、大越健介氏のコラムからピックアップしてみます。

「思えば、あの日以来、誰もが手探りで来たのだ。震災の被災者も、政府も、そしてわれわれ報道機関も。・・・・事故から数日間は、ほどんど神頼みに近い日々だったことがわかる。『まったく手ぶらで、何も(情報を)持たないで記者会見に臨んだ』という、その官房長官の発言に、われわれ報道機関も頼らざるを得なかった。ただちに健康に被害が出る状況ではないといいながら、後追いを繰り返した避難指示。放射性物質の広がりをある程度は予測できながら、公表が遅れた文部科学省のシステム・SPEEDI。あの時植えつけられた情報への不信・・・」(前書p226~227)


大越健介氏の新書から、もう一箇所、
ここも、この機会に引用しておきます。


「福島第一原発の事故を国際原子力事象評価尺度でチェルノブイリ並みのレベル七に引き上げると、原子力安全・保安院が発表した日のこと。菅直人総理大臣はちょうど震災から一ヶ月という節目で、記者会見を行った。当然、レベル七の引き上げをめぐって、国民の不安や懸念をどう払拭するかという質問が飛んだ。だが総理は、『専門家の判断だ。きょうだけの状況をとらえれば、一歩一歩前進している』とはなはだ要領を得ない、問いをはぐらかすかのような態度に終始していた。それについて僕は、番組の中で『放射能という見えない恐怖にさらされる人たちに、リスクへの心構えを含めた確かなメッセージを発することは大事な政治の役割です。情報発信の最高責任者が、このことに鈍感であっていいはずはありません』と発言したのだ。いま振り返ってみても、このコメントでよかったのだと思う。・・・・・『レベル七』という衝撃に、総理がまともに向き合おうとしていない。」(p129~130)


萩尾望都さんの作品集のはじまりに「なのはな」はありました。
そこには福島の少女が、霧の向こうでチェルノブイリの種を蒔く少女と出会っておりました。
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中央、中枢に近い会議ほど。

2012-05-08 | 短文紹介
隈研吾対談集「つなぐ建築」(岩波書店)を、新聞の書評で知りまして、とりよせました。一回ごと別な方との雑誌の連載対談で、その連載途中に東日本大震災があったのだそうです。そのあたりの対談を、まずは読み始めました。

読んだのは伊東豊雄氏との対談でした。
そこで、
伊東】  ・・・・線引きが公表された時点では、もう変更がきかない段階であることがほとんどです。住民説明会の場で初めて、自分の家に道路が引かれていることを知る可能性だっておおいにある。・・・
隈】 愛知万博の会場設計にかかわったときに、日本の行政システムの現実を思い知って、ただただ疲れました。あるのは会場計画委員会の座長というポジションだけで、計画への実質的な関与は一切許されないにもかかわらず、マスコミからはあたかも僕が絵を描いたかのように思われる。今度の復興計画でも、中央、中枢に近い会議ほどそうした性格が強くなって、そこからは何も期待できない。復興構想会議のメンバーが発表された翌日、僕と磯崎さんは偶然、上海空港の待合室にいた。磯崎さんは、新聞を見るなり『ここに入ったやつは、皆犠牲者だな』と言っていました。磯崎さんは70年代大坂万博で痛い目にあったからわかるんです。行政システムの内側に取り込まれずに、絵を描いていく道を探るしかない。こういうとき、どちらかと言えばおっちょこちょいというのか、少し危なっかしいくらいの人たちが、おもしろいことを考え始めるものです。たとえば・・・(p130~131)

うん。まだ読んでいないのですが、
とりあえず気になった箇所でした。
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本への道順。

2012-05-07 | 本棚並べ
道に迷ってウロウロするように、
本をウロウロと読むことがあります。
どこを歩いているのかわからない。
うん。そういうとき
わすれないように、目印をつけてみる。

震災のあとに、何冊か読み始めたなかに
方丈記がありました。
それから、堀田善衛著「方丈記私記」を読む。
鴨長明を読む。
つぎに、方丈記に出てくる、
「和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり」
とあるので、往生要集へ目が行くのですが、
それが、それ手が出ない。
ここらで、私の興味も袋小路かなあ。
などと思いながら、
法然・親鸞・一遍がどうもつながっているらしい。
そこで読んだのが
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(ワイド版岩波文庫)。
この魅力の一冊と出会えた。
なあんだ、柳宗悦はこの本を読めばよいのだ。
と感じ入ったわけです。
まあ、とりあえず読みました。
というところです。

以前に買ってあったところの
中央公論社の日本の絵巻20「一遍上人絵伝」が
ありまして、ちっとも興味が湧かなかったのですが、
柳宗悦の「南無阿弥陀仏」を読むと、
この絵巻が、あっというまに輝いて見える不思議。

一遍からなら、
難解そうな、親鸞も法然も往生要集へも
辿るためのフリーキップをもらえるような気分になりました。
それにしても、絵巻の楽しみを知りえたのは
私には収穫。
本から本へのウロウロとたどって行く道順。
本の内容よりも、
本への道順が大事なときもあります。
そうですよね。きっと。
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宗教的契機ともいうべき。

2012-05-06 | 短文紹介
日経の古新聞をもらってきました。
といっても、私では、そんなに見るところがなく、
ただ気になった連載がはじまっていました。
連載のはじまりは3月4日。
山折哲雄氏の「危機と日本人」という連載。
毎週日曜日。日経俳壇・歌壇のページに、
それはありました。
まだ、読んでいないのですが、
連載に花を添える画を
畠中光享氏が描いております。
鮮やかな色彩感覚。
その画をみているだけで楽しい。

さてっと、山折哲雄氏の
第一回目の最後にこうありました。

「この地震の不可解な正体をみつめているうちに私は、ああ、地震という自然災害には宗教的契機ともいうべき性格がはらまれいるのではないかと思うようになった。・・・・地震という自然災害に対処するためには防災、減災の努力に加えて、人知をこえる危機に立ちむかう覚悟のようなものがどうしても必要になってくるのではないか。防災、減災は政治、経済の側の課題であるが、覚悟はそもそも人間の領分に属する事柄なのだ。」

私には、いまだに、よくわからない連載なのですが、
画といい、この覚悟といい、
気になります。
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手の平を出して。

2012-05-05 | 本棚並べ
曽野綾子・クライン孝子対談「いまを生きる覚悟」(到知出版社)を読んでいたら、ある箇所で司馬遼太郎追悼の文を読みたくなった。というわけです。
まずは、本棚をさがす。
お目当ては、多田道太郎の追悼文。
三浦浩編「レクイエム司馬遼太郎」(講談社)に
それはありました。
「司馬遼太郎の『透きとおったおかしみ』」
下に小さく「大阪ジャーナリズムが生んだ偉大な才能を悼む」とある、多田道太郎の文。
司馬遼太郎の追悼文で、私はこれが鮮やかな印象を残しております。

たとえば、こんな箇所があります。

「僕は、どちらかというと司馬さんの長編小説よりも短編小説のほうがいいし、短編小説よりもさらにいいのが晩年にお書きになったものだと思うんですが、これは、エッセーとも学問とも文芸とも言いにくい、非常に不思議なジャンルをつくられたものです。それで、あるとき、僕にこう言われました。『僕の人生で一番いい仕事、将来残るであろう仕事は[街道をゆく]だ』。・・・」(p161)

まあ、何箇所か引用したいところが多田さんの文にはあるので、たまに読み直さなくちゃとは思うのですが。すぐに忘れる。

さて、読み直したかった箇所の引用をしてみます。

「何かの名誉を受けられたとき、彼の車にたまたま同乗させてもらったら、こんなことがありました。梅田駅まで行く途中で風景も覚えているんですが、『司馬さん、このたびはおめでとう』と言ったら『いやいや、ありがとう。ありがとう。だけど・・・・』。その後が非常に印象的なんです。手の平を出して、『この上に一粒か二粒ぐらいの塩みたいなものがある。これがなくなったときは大体もう人間として、あるいは芸術家として、しまいや』と、その自覚のある人でした。」(p158~159)

この「手の平を出して・・」というのが、どうも私には、わかったようで、わからない箇所でした。
それが、曽野・クライン孝子対談の
この箇所を読んだら思い出したのでした。

曽野】 ・・・足が悪い時は別ですが、基本は自分の足で歩いて、自分で切符を買って電車に乗る。・・・足のリハビリということもありますが、生活が浮き上がっては小説って書けないんですね。だから自分の生き方は現実から浮き上がらないようにしていました。
クライン】 わかります。物書きにとって生活が浮き上がったら絶対に人の心を打つような作品は生まれませんよね。(p145~146)


ちなみに、
多田道太郎さんの文をさがすのに
「司馬遼太郎の世界」(文芸春秋編)と
「司馬遼太郎の跫音」(中公文庫)も
本棚から取り出しました。
ということで、
山崎正和の「風のように去った人」を再読。
あと、松本健一の「歴史は文学の華なり、と」を
パラパラとめくっているところ。


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特に男の方。

2012-05-04 | 短文紹介
読売新聞の古新聞をもらってくる。
うん、夕刊があるのが、ありがたい。その文化欄の楽しみ。
というか、普段は夕刊と縁がない(笑)。
4月9日の「生老病死の旅路」は古井由吉氏が登場しております。
古井由吉氏は1937年東京生れ。
ちなみに、私は小説を読んでおりません。

そこから、すこし引用。

「まず7歳のとき、東京と岐阜で二度、空襲を体験しました。子供というのはもっぱら受け身です。・・・だから、空襲という死の脅威がそのまま内側に入ってしまった。」

あと病気のお話になったりします。
そのつぎにこうあります。

「こんな少年時代だったから、その後平和になったけど、これは間違いじゃないかってずっと思ってきましたね。・・・だから、今度のような震災が起こると、実相が現れただけのような気がします。・・・」

最後も引用しておかなければ。

「今は年をとるのが難しい時代です。特に男の方。昔の年寄りのように責任感とか統率を委ねられていない。だから、見た目は若いんだけど気持が老け込みやすいんですよね。長い平和と豊かさの中で、老も病も死も考えずにいられる世の中を作ってきちゃったから、老病死が身に着かない。この国の歴史上、これほど平和が続き、豊かだった時代はない。けれど、災害が多い国で先祖はどういう心持ちで生きてきたのかを日本人は忘れてしまった。」

うん。そのあとも引用しましょう。
せっかくの古新聞です。

「空襲も震災も、人生はいつ破滅が起こるか分からない。僕は若い頃から老病死に苦しめられました。だから、こうして生きている方が自然じゃないような感じもします。だけど、生命力も死の恐怖の中にあってこそじゃないかしら。人は、そんな中でもどれだけ楽天的になれるか、前に進めるかということなんでしょう。」

あと、4月24日の高橋秀実さんの「受け身のマナー」も、よかったなあ。
と、古新聞の楽しみ。
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夢を見た。

2012-05-03 | Weblog
昨日は、へんな夢を見た。

学校へ行けなくて、
授業日数が、これじゃどうしても足りない。
進路指導が、はじまっている。
学校の階段をあがって、その指導の
順番の列を見て、駄目だと、
また帰ってくる。
その際、順番を待つ列の中に、
どういうわけか、ワゴンに
図書館の本をわんさか並べている人がいる。
その本の題名を確認しながら、
私は学校から外へとでる。
というところで、目が覚めた。

豪雨となるかと思っていた
雨は、時折激しく降るばかりで、
断続的なまま通過してゆきそうだなあ。


夢で思い浮かぶのは、
歯医者さんのこと。
歯槽膿漏があり、
歯の4つある根というか足の
2つをカットしましょう。
ついては、今年やりましょう。
といわれていて、そのつもりで
いたのですが、痛まないのを幸いに
歯医者へと行かずにおりました。
昨日、違う歯のかぶせた型がとれて
ゆくことになり、
歯医者さんは、歯槽膿漏のことには
触れずにいてくれて、
こっちは気まずい思いをしてきたのでした。

まったく、こういうことが夢に出てきたのかもしれないなあ。
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風雨の夜。

2012-05-02 | 本棚並べ
机の上にある数冊。


「方丈記」(岩波文庫ワイド版)
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫ワイド版)
日本の絵巻20「一遍上人絵伝」(中央公論社)
「安心決定鈔講和」(よび声社)
「聖典講義 白隠禅師坐禅和讃」(仏教年鑑社)
釈徹宗著「法然親鸞一遍」(新潮新書)

曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社)
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)
曽野綾子・クライン孝子対談「いまを生きる覚悟」(到知出版社)

日下公人著「思考力の磨き方」(PHP)
大越健介著「ニュースキャスター」(文春新書)


読んでない本・読み直したい本・読まないですますだろう本。
ということで、机上にある本たち。

きょうは、いまにも振り出しそうな午前中。
しっかり降り出した午後。
豪雨となりそうな風雨の夜。
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