司馬さんは、いろいろな方と対談されるので、ひょっとして、
司馬遼太郎と福永光司との対談が、探せばあるかもしれない。
ネット「日本の古本屋」で、両氏の名前を併記し検索すると、
簡単に見つかる。居ながらにして本検索ができるありがたさ。
未読本「司馬遼太郎歴史歓談」(中央公論新社)をひらく。
最後の内容一覧に、『日本の名著』③「最澄 空海」付録
(1977年5月)での対談とある。対談の題は「経国の大業」。
その題と関係のありそうな箇所を引用してみることに
司馬】 解説で空海の文章に先行するいくつかの例をあげて、
対比してくださったのはありがたいですね。『古事記』の序に
しても倭王の上表文にしても、起草にあたってたくさんの人が
目を通している。まず、草案を作る人とか、場合によっては
中国人がそれをもう一ぺん検討したりしてできあがったのだろうと
思うんですよ。それくらい文章というのは、建築物を造るように
様式があって、大工さんがかってに恣意的にやるということはない。
そして国家が他の国家に文章をおくるということは、たいへんな
盛事ですから、それくらいみな文章というものにおびえと厳粛さを
もっていたと思うんですが、
空海の場合には『三教指帰』を、24歳で率然として、現代人のように
自分の書斎で書いたわけですね。まあ個人的なつきあいのある人が
多少見たかもしれないけれども。しかも文章として変なところがない。
約束事をきちっと守っている。自分のいわば個人的創作なのに、
国家的事業のようにして書いているでしょう。
あれはあの時代の人間だからそうなのでしょうか。
福永】 六朝隋唐の時代には、『文章は経国の大業』という
曹丕(そうひ)の言葉がずっと生きていたんですね。だから、
今のわれわれの文章感覚とはちょっと違うと思いますね。
司馬】 長安に行くときにそれを持っていくでしょう。
生死を賭した渡海をして、荷物のなかに入れておいて、
向こうでつきあう人に見せるというのは、かわいらしいことでもあるし、
しかし当時、文章というのは本来人に見せるもので、
見せなきゃ文章にならないんだ、ということもある。
・・・・
福永】あの文章に賭けていたということができると思います。
・・・・・・(単行本p135)
ここに、曹丕の『文章は経国の大業』と出てくるのでした。
そうだ。と思い浮かべるのは藤原正彦氏の本の題名でした。
『祖国とは国語』(新潮文庫)。藤原氏はこの本のあとがきで
「なお、題名の『祖国とは国語』は、もともとフランスの
シオランという人の言葉で、それを私の敬愛する今は亡き
山本夏彦さんが引用したのを、あまりにカッコよいので
ちゃっかり再引用したものである。」
とありました。うん。それならと本棚からとりだすのは
山本夏彦著「完本 文語文」(文藝春秋)でした。
その帯には「祖国とは国語である」と、本の題と同じ
大きさで書かれておりました。
この本には「祖国とは国語だ」と題する6頁ほどの文
があり、その最後を引用しておくことに。
「旧幕のころの遣米使節一行が皆々敬意を表せられたのは
四書五経のバックボーンがあったからである。彼らは折にふれ
歌を詠み詩を賦している。芸術ではない。たしなみである。
言うまでもない最も学ばなければならないのは国語なのである。
シオランという当代の碩学の言葉を繰返してあげたい。
(出口裕弘訳紀伊國屋書店刊)
―――私たちは、ある国に住むのではない。
ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。
それ以外の何ものでもない。 」(p142~143)
うん。長くなりますが、司馬・福永対談の
この箇所も引用しておくことにします。
司馬】当時の中国語の音(おん)なんですけれども、
ひじょうに混乱期にあって、今なおその子孫である
われわれは、その混乱期のなかで日本語における
漢音、呉音その他の音をこなしつつ言語生活を営んでいるんですが、
『三教指帰』を書いた空海というのは、すでに長安の音が入っている
時代に成人しておりますのでしょう。ですから、彼はそれをマスター
したわけでしょうが、それは長安に行けばそのまま通用するという
音でしょうか。
福永】空海の前に遣唐使が何度も行っておりますが、
長安の音が全部であったとはいえません。
仏教の関係で南方に留学した者もありますから。
けれども、長安の音がもちこまれてきたことは
確実といっていいでしょうね。ただ、空海の船は福州の近く
に漂着するわけですね。ところが福建のあたりというのは、
私も戦争中うろついてまわったんですけれども、
私の中国語が全然通用しないのです。
司馬】先生のは北京音だから。
福永】しかし輓馬砲兵であった私たちは、
馬に与える水とえさを調達するために、
必死で現地の中国語を憶えるわけです。
ところが50キロも移動すると、
その中国語がまったく通用しなくなる。
だから、空海も初めのあいだは
だいぶん困ったのではないかな。
司馬】きっと会話には困りましたでしょうね。
『三教指帰』の漢字の発音の仕方は長安の音に
ひきずられているわけでしょうか。
福永】 と私は思います。・・・・・
とりあえず、シオランと曹丕との言葉が結びつき。
福永光司氏と山本夏彦氏とに補助線がひけました。
なんだか、言葉が晴れやかに、にぎやかになって令和の
新春の話題にはふさわしいかもと、思えてくるのでした。