長い小説は読まない。読めない。
短文ならば読めます(笑)。
まるで手首の脈をとるように、
本の一部分で脈をとってみる。
はい。トンチンカンな頁をひらけば、
本の脈拍は捉えられずに終わります。
さてっと、山本夏彦著「完本 文語文」を
昨日もってきたので、ついでにパラリとひらきます。
向田邦子をとりあげた『東京なまり』という5頁の文。
その最後の箇所を引用してみます。
「私は彼女(向田邦子)が小説中に東京弁を用いて
他を用いないのに驚くのである。
戸のあけたてと言ってあけしめと言っていない。
湯あがり湯かげんと言って風呂あがりと言っていない。
松の内は早仕舞いといって店じまいといってない。
抵抗がある、店じまいは店をたたむことだ。
向田邦子は父の転任に従ってはじめ東京、宇都宮、鹿児島、高松、
小学校だけでも転々としている。それにもかかわらず
東京の言葉しか用いないのは母方の祖父が日本橋の建具屋で、
邦子は戦後その家に4年近く下宿させてもらって専門学校を
出たからである。この時東京弁を自分のものにしたのである。
東京弁が中心だったのは漱石の時代までである。
漱石の弟子は多く田舎の高等学校(旧制)出の帝大生である。
上京直後の1年間かけずり回って寄席と芝居を見て
東京弁を自分のものにしようと試みた。
40年近くたって向田邦子はそれに似たことをしたのである。
以後それをする人は絶えたから私は懐旧の情にたえないのである。
(単行本・p192~193)
月刊雑誌に連載短文の、その最後から引用しました。
うん。わたしはこれだけでもう満腹感。それなので、
小説は苦手、向田邦子さんの小説もいまだ読めない。