入江敦彦著「読む京都」(本の雑誌社・2018年)。
この本を、私は、テキストにして、今年読むのだ。
はい。遅くなりましたが、新年の抱負。
この本の「まえがきにかえて」のなかに
「・・・京都人ほど平気で京都の悪口をいうし、
お上にも逆らうし、『京都ぎらい』なんて本も書いちゃう。
だけれども、どんなにエライ先生でも・・作家でも、
その目的が金でも名誉でも自己承認欲求でも
『京都を利用してやろう』という性根がちらとでも覗くと、
とたんに牙を剥く性質があるのだ。
それが京都人の責任感の表れである。」(p16)
はい。関東圏に生れ、そこで住んでいると、それはもう、わたしなど、
『東京を利用してやろう』という発想が、前提として染みついている。
何で、それがイケないのかと、すぐに反応してしまうほど、
私など体臭としてプンプンさせて、歩いているようなものです。
「行政は『産めよ増やせよ』的に観光客を集めようと躍起。
有名社寺のライトアップや秘仏公開を寺院に要請している。
だが、そんな客寄せパンダ目当てより、
みうらじゅん、いとうせいこうの名著『見仏記』を読んで
普通に御開帳されている仏像を拝みにやってくる人たちの
ほうがよほどこの都市を涵養してくれる。
彼らはキョートランドに興味はないし、
それらを避けるアンテナもある。」(p18)
「まえがきにかえて」は、その最後を
こうしめくくります。
「本書を捲っていただけば京都に興味のある人たちが
手に取るべき百読が必ずや発見できる。
一冊一冊ではいかな名著であれ怪物のごとき身体を持った
千年の古都の、その一部を照射するにすぎない。
が、それらを複合的に熟読してゆけば必ずやなんらかの像を結ぶ。
ひとりひとり見えている像は異なるけれど、
それが≪あなたの京都≫なのである。」(p19)
はい。さいさきの良い本にめぐり合えました。
この本に、私はどれほどチャレンジできるのか。
なあに【棒ほど願えば、針ほど叶う】というじゃありませんか。
今年が楽しくなりますように。
うん。本文からも、パラリとひらいたこの箇所を引用。
「現役組だと写真集を得意とする『光村推古書院』や
茶道関係書籍の元締め『淡交社』、『京都書院』の志を
継いだようにアーティスティックな『青幻舎』などなど、
それぞれが良書と評してかまわない本を作っている。ただ残念
ながら、そこには京の失われた出版社が持っていた香気はない。
気概はあっても経済行為として出版を続けていこうとしたら、
やはりおもねる必要があるのだろう。きぐしねいです。
現在、在京都で京都についての書籍を最も多く手掛けているのは
『京都新聞出版センター』だ。地元の利を活かした緻密な本作りは、
ときに読者を想定(マーケティング)していないのではないかと
笑ってしまうくらいマイナーなネタも活字にしてしまう。
そういう観点からも京都らしい京都の出版社といえるだろう。」
(p125~126)
はい。行先を指さすように、
巻末に、6ページの「書名さくいん」。
はい。『注』として追記しておきます。
東京堂出版の「京都語辞典」(昭和50年)をひらくと
『きぐしねい』はありませんでしたが、
『キズツナイ』があります。以下そこを引用。
「キズツナイ(気術無い)≪形≫気づまりな。
『えらいキーツコー(気使っ)てモロて キズツナイことドスナ。』
大阪・大津・和歌山も。キガズツナイとも。
ズツナイ(術ない)はつらい、せつない意。」(p41)