和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

新田次郎・てい・正彦。

2021-01-25 | 本棚並べ
森功著「鬼才 伝説の編集人齋藤十一」。
その第四章「週刊誌ブームの萌芽」のはじまりの頁に、
「週刊新潮創刊号」の表紙写真が載っています。
その裏ページに新田次郎の仕事机にむかう写真。

第四章は、新田次郎のことが語られてはじまっていました。
新田次郎著「小説に書けなかった自伝」からの引用もあり、
編集者と書き手との両方から浮き彫りにしてゆくのでした。

それはそうと、新潮文庫の「小説に書けなかった自伝」は、
パラパラ読みしただけでしたが、この機会に最後まで読む。

最後まで読むと、印象が違ってきます。
新田次郎が気象庁をやめてからのことでした。
家での妻・藤原ていとのやりとりが出てくる。
そして、この新潮文庫には、
本文の終りに年譜があって、さらに、
そのあとに2人の文が掲載されていたのでした。

藤原てい「わが夫 新田次郎」。
藤原正彦「父 新田次郎と私」。

はい。自伝の最後の方と、そして2人の文とを読む喜び。
3人の視点が、それぞれに交差する醍醐味がありました。
編集者による行き届いた配慮によって、文庫が光ります。

ここは、藤原ていさんの文のはじまりを引用することに。

「早春の光の中で、雪どけの水が小さな川になって流れていた。
その坂道を母の後について私は下っていった。

今日は見合いの日である。『今度こそは藤原さまだからね』と、
くりかえし母に云われていた。わざわざさまをつけるのは、
母が相手の家を尊敬していたからである。

それまでにも何回か見合いはしているのだが、
すべて失敗をしていたので、母は今度の見合いには
異常なほど熱を入れていた。
きめられた上諏訪駅前の旅館の玄関を入った。
背を丸めて階段を上る母の後姿を見た時に、
妙に母がいとおしくなって来た。
お前はうれ残りになると、なかば脅迫めいたことを
いつも云われていたけれども、その母の気持を
考えてやりたいような気持になっていた。・・」(p254~)

うん。藤原正彦による家族の切り取り方の妙もあり、
引用しようとするとキリがなさそうなのでここまで。
はい。わたしは、読めてよかった(笑)。

コメント (2)
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