和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

養生訓の晩年。

2021-01-16 | 本棚並べ
貝原益軒『養生訓』(松田道雄訳・中央公論・昭和48年)。
古本で300円。はい。買いました。函入で、装幀は田村義也。

では、300円分の要約をはじめます(笑)。

最後には松田道雄氏による「毅然とした晩年」と題した
18頁の文がありました。その締めくくりはというと、

「『養生訓』は、ただ長命を願うためにではなく、私たちの
祖先がおくった毅然とした晩年の姿を知るために読むべきである。」

とあるのでした。その18頁のなかから適宜引用。

「黒田藩のお抱えの学者として70歳までつとめ。
70歳から80歳までに20巻をこす著書をかき・・・」(p233)

うん。この箇所をもう少し引用。

「益軒の病理学は現代の病理学からみれば形態学をまったく
無視している点で信じる気になれないけれども、禁欲をすすめる
彼の結論は、いまの老人の衛生学に合致する。

『養生訓』が2世紀半を通じてロング・セラーでありえたのは、
老人たちの体験によってたしかめられたからであろう。

いまひとつは、著者益軒の80歳をこえておとろえをみせない
精神の偉容が、読者を圧倒したのだろう。・・・・・

『養生訓』にある個々の医学的な知識は、今日の水準からみれば
つたないものもあるだろう、しかし、それは晩年のなかに幸福を
とらえて動じない精神の姿を、いささかもゆるがすものでない。
精神の安定は、各時代の科学の知識とは無関係に達せられる
ということだろう。」(p232)


はい。本文からパラリとひらいた一箇所を引用しておきます。

「人生は五十にならないと、血気がまだ安定しないで、
知恵もまだ開けない。古今にうとく、社会の変化になれていない。
言うことに間違いが多く、行ないに悔いを残すことが多い。
人生の道理も楽しみも知らない。
五十にならないで死ぬのを夭という。
これもまた不幸短命といわねばならぬ。

長生きすれば、楽しみ多く益が多い。
日々いままで知らなかったことを知り、
月々いままでできなかったことができるようになる。

だから学問が進んだり、知識が開けたりするのは、
長生きしないとできない。こういうわけだから、
養生の術を行なって、何とでもして年を保って
五十歳をこえ、できればもっと長生きし、
六十以上の寿の世界に入っていくことだ。

昔の人は長生きの術があるといっていた。
『人の命は我にあり、天にあらず』ともいったから、
この術をやろうとふかく決心すれば、長生きは
人の力でどうにもできるわけである。疑ってはならぬ。
・・・・・」(p16)

うん。もう一箇所引用しちゃいます。

「老後は、若い時の十倍の早さで時が過ぎていく。
一日を十日とし、十日を百日とし、
一月を一年として楽しみ、

むだに日を暮らしてはいけない。
いつも時・日を惜しむべきである。・・・・

老後はただの一日でも楽しまずに過ごすのは惜しい。
老後の一日は千金に値する。人の子たるもの、
このことを心にかけずにいていいだろうか。」(p193)

はい。300円の古本の楽しみ。


コメント (3)
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