毎年、お正月が来るたびに人々はお雑煮を食べ、神社へ元朝参りへ行きます。
私も昨日はお雑煮と御節料理を食べました。毎年、同じように作ったお雑煮ですが、その味は昔とすっかり変わってしまいました。終戦前後の貧しい食生活では毎日が栄養失調気味でです。その頃は、お正月だけでも、ご馳走をと、お汁粉やお雑煮や御節料理を必死で作り、食べられるだけ食べたものです。日頃、貧しい食生活をしているのでお正月の御馳走は年に一回の感動的な味でした。お汁粉の甘さに感激し、お雑煮の鶏肉の美味しかったことが忘れられません。第一、餅そのものが年に一回なので非常においしいと感じたものです。餅を食べた後の充足感は凄いものでした。
その後、日本が高度成長し、毎日豊かな食生活をするようになりました。外食産業も全国に栄え、中華料理、イタリアン、アメリカのハンバーグ、日本の寿司、や懐石料理などなど何でも手軽に食べているのです。お正月だけがご馳走を食べるのではありません。それは毎日のことです。如何に素晴らしいお節料理やお汁粉やお雑煮を食べても昔のように体が震えるような感動がありません。決して特に美味とは感じないのです。
しかし同じようなお正月料理の味も年々歳々変わって行きます。それは食べている間に考えることが変わるからです。家族がそろってお正月料理を食べると幸せに感じます。今年もこうして家族そろって健康にお正月を迎えたのです。感謝しながら食べます。しかし高齢になってくると昨年亡くなった親しい人々のことをつい思い出します。昨年の夏には何十年も私を引き立ててくれた松S先生が亡くなりました。晩秋になってからご奥様の所へ行きました。明るく話しをされていましたが淋しそうです。お正月料理を食べながらフッとそんなことを回想します。家族の健康を感謝しながらも昨年亡くなった親しい人のことをツイ思いだすのです。お正月料理の味も少し淋しいものに変わります。毎年、少しずつ私の周りの風景が変わります。それに従って、同じように家内がつくるお正月料理の味も少しずつ変わります。(このお正月にふさわしい挿絵はマイフレのちひろさんの写真をお借りしました)
料理の味だけではありません。昔の元朝参りは寒くて辛いものでした。毎日の栄養が悪く、暖房が不完全で、冬が現在より寒かったのです。神社へ登る石の階段に雪が積もり、手足が凍え、辛い思いをしたものです。厳しかった父が朝早く元朝参りを必ずさせたのです。結婚してからは無理をせず陽が登って暖かくなってから近所の神社へ行きました。別に深刻に祈るわけではなく気軽に家族の健康をいのります。賽銭を少し入れるのが何か気持ちが良いのです。お正月には欠かせない小さな行事です。しかし初詣も毎年状況が変わります。最近は行く人が増えて来ました。近所の神社は参拝する人々が長蛇の列を作っています。その長蛇の列を見て私の心が幸せになります。人々が家族の健康や家内安全をお祈りしていることが嬉しく感じるのです。このような喜びは毎年強くなっていきます。若いころは感じることの出来なかった喜びです。他人が祈っている姿を見て嬉しいのです。老後を明るいものにします。元朝参りにまつわる感じ方が年々歳々変わって行きます。
年を重ねるにしたがって淋しいことも沢山起きますが、嬉しいことも沢山おきます。老後の日々の輝きの中で、お正月に考えることが変わります。新しい年を迎えたという実感が湧いて来ます。今年はどのような年になるのでしょう?
皆様の新しい年が幸多くなりますように!そしてご家族が健康に一年を終えることが出来ますように御祈り申し上げます。藤山杜人