後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日も寒いので熱帯の巨大な竹の写真をお送りします

2010年01月26日 | 写真

今日も寒いですね。そこで筑波植物園で撮った熱帯の世界一大きな竹の写真をお送りします。気持ちだけでも温まって下さい。竹と言えば1990年に、姫路女子短期大学の付属の竹だけの植物園を見たことがあります。世界中の数百種類の竹が植えてありました。竹を割ったような性格。私の憧れの性格ですが、その境地に達する前に旅立ちということになりそうです。

123 122


21世紀のアメリカの世界支配の様相を考える(4)第一次、第二次、両世界大戦で荒廃したヨーロッパから人

2010年01月26日 | うんちく・小ネタ

アメリカ合衆国が強大になった最大の理由は第一次世界大戦と第二次世界大戦でヨーロッパが戦場になり荒廃したのが原因です。戦場にならなかったアメリカへヨーロッパからの金融資金が大量に移動したのです。そして優秀な人材へ市民権を与え、ドンドン新しいアメリカ人として受け入れたのです。

ヨーロッパ諸国の財産・金融資本がアメリカへ移動したことも重要でしたが、もっと重要なことは優秀な人々が大量にアメリカへ移動したことです。

優秀な人材の自由な活躍こそがアメリカの20世紀における世界制覇の原動力になったのです。その上、市場原理にもとずいた自由な資本主義の堅持が大きな成功をもたらしたのです。共産党独裁のソ連や中国との冷戦に勝利したのも共産主義の致命的な欠陥によるものです。共産主義は原理的に持続可能な社会を作れない本質を有していたのです。

19世紀のアメリカはヨーロッパへの不干渉政策であるモンロー主義をかかげ、一方では英米戦争、米墨戦争、米西戦争、インディアン掃討戦争に勝ち抜き領土拡大に成功し、国力の充実をしていたのです。

それが1914年に始まった第一次世界大戦の終り頃の1917年に突然ヨーロッパへ進出して参戦したのです。イギルスやフランスと同盟して勝利したのです。

その頃のアメリカ軍は訓練の足りない弱い軍隊とみなされ英国軍の部隊に合流してイギリス軍の指揮系統に入るように要求されたのです。それを断って善戦し、同盟国側の勝利に大きな貢献をしたのです。ヨーロッパ人のアメリカへ対する評価が急に上がったのも無理はありません。荒廃したヨーロッパから豊かで自由なアメリカ大陸へ移住する人々が陸続と大西洋を渡るのです。

このような現象が一度だけでなく第二次世界大戦の後にも起きたのです。アメリカが一層強大になるのは当然すぎることです。

この2つの世界大戦はそれまで富と科学文明の中心だったヨーロッパの没落をもたらし、代わってアメリカ合衆国が世界の富の中心になる最大の原因になったのです。

アメリカの豊かさは日本人の想像を絶しています。日本が高度経済成長をとげ豊かな生活を楽しんでいるのは事実です。しかしその豊かさもアメリカと比較するとまだまだ雲泥の差があるのです。

例えば住宅は日本の住宅の4倍、5倍の広さがあります。車を入れるガレージは大型車が2台入れます。普通の家では2台の車を持っています。

日本の道路も良くなりましたが、幅はアメリカの半分か3分の一です。日本の高速道度は非常に高い料金を取られますが、アメリカでは全て無料です。

もっと大きな格差はアメリカの大学と日本の大学を比較すると歴然です。

私が1960年に留学したオハイオ州立大学はアメリカでは普通の大学でしたが、当時既に18ホールのゴルフコースを2つも持っていました。学生だった私は200円位の格安のプレイ代を払ってよく2つのコースを回りました。ゴルフ道具のクラブは学生用に中古のもの数本で1000円位の感じの値段で売っていました。

先日、調布飛行場の横から軽飛行機の写真を撮っていて、ハタと思いだしました。これくらいの大きさの飛行場は1960年に既にオハイオ州立大学も持っていました。駐機してある軽飛行機の数十台もあったのを思い出したのです。

敷地も広大で、その中に校舎や研究棟が美しく配置されて並んでいました。

その景観は現在の日本の大学でも見当たりません。日本の大学は小さい敷地に貧しげな建物が雑然とたて込んでいます。文部省が予算の余った時に思いつきで研究棟建設の予算を出すので建物群の統一した美しさが無いのです。

アメリカに住んで一番感激することは生活費が安いことです。車検や強制賠償保険のような不合理なお金を取られない気楽さや自由な雰囲気が楽しいのです。

アメリカの生活のレベルは現在でも日本よりは非常に高いのです。

その原因は19世紀と20世紀にアメリカが蓄積してきた富や公共施設やハードインフラストラクチャーにあるのです。日本が一朝一夕で追いつくのは不可能です。

アメリカの強大さは上に説明した想像を絶する富の蓄積によるのです。しかし実は富の蓄積は理由の半分です。もう一つの重要な理由はその自由な社会のダイナミックな変化能力にこそあるのです。その事は次回以降の続編でいろいろご説明したいと思います。(続く)


こんなバカバカしい趣味はもう止めようと思う、しかし・・・

2010年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

私は50歳になってからヨットという趣味を始めました。もう24年も続けています。しかし70歳を過ぎて体力が無くなってくるとヨットは次第に辛い趣味になって来ました。

辛いことはいろいろ有りますが、その一番は高いマストへメイン・セールを上げる作業です。渾身の力が要ります。その上、何故か途中まで上がったところでワイヤーやセイルが何処かにひっかり上がらなくなります。下の写真も途中で止まっています。頭をセールで覆われながら止まった原因を探しているところです。人生で苦労というものを一切知らない家内が岸壁から気楽に写真を撮っています。

040

写真をご覧頂ければお分かりのようにマストの高さは船体の長さより高いのです。メインセールは丈夫に作るので厚く、重い布です。

そこで数年前にマリーナの友人に頼んで薄くて軽い、そして半分の大きさのセイルを購入しました。小型ヨット用のセイルです。楽々とセイルが上がります。自分の発想に自分で感心しながら、得意になって沖を走っていました。すると、すれ違った若者が大きな声で忠告してくれます。「オジサーン!今日の風はセイルを完全に上まで上げるとよく走りますよー!」と言ってくれます。返事に窮するとはこのような場合です。「アリガトー!、でも上まで上げられない事情があるのですー!」。若者が首をかしげて通り過ぎて行きました。

しばらくして猪苗代湖でヨットに乗せてくれた大学時代からの友人が霞ヶ浦へ来ました。得意気に小さいメインセールを上げて見せました。彼は軽蔑しきった顔になり一喝しました、「メイン・セールを完全に上げられないならヨットなんか止めてしまえ!」

この一言があまり怖かったので小さいセイルは止めにして又重い大きなセイルに取り替えました。頑張ってマストの天辺までセイルを上げると確かに壮快です。ヨットの醍醐味が体中に染み渡ります。

しかし、もう24年も続けたのですからそろそろ卒業をしても良いとも思い悩んでいます。これこそ我が人生で最後の、そして最大の悩みです。体が止めなさいと言いますが、心では絶対に止めたくないのですから。皆様にはこのような悩みは御座いませんでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人