後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

何故か淋しい詩を一つお送りいたします

2010年01月10日 | うんちく・小ネタ

タイのバンコックで独り暮らしをしている、ひかるのさんの最近のブログに掲載してあった高木護さんの詩です。高齢者の私の心に響く詩なので、皆様へもご紹介したいとおもいます。(出典:http://asiancloth.blog69.fc2.com/

    「夕御飯です」              
               高木護
   灯がゆれると
   私の胸に想いがいる
   想いを 箸でつつくと
   おまえらの瞳の中に
   遠い湖があり
   青い魚が跳ねている
   呼ぼうよ 遠い日を

   ここには父が座っていたね
   そこには母が座っていたね
   今その暗い影に
   私が座り
   お前らが座っているね

   時の流れ
   それは 哀しみのぎっしり
   敷き詰められた小径だった
   私が歩いていく
   どんどん歩いていく
   お前らは手を振っている

   私が引き返す
   お前らは泣く
   時の流れ
   みんなもう遠い湖だ
   跳ねている青い魚だ
   屋根はひおり
   天は星の冷たさ=======================================================

◆『交通安全ジャーナル』2004年6月号
ゆっくりのんびり生きる 力の抜けた老人力

 本誌に「随筆・人間だから」を連載している高木さんが、こんなに数奇な人生を送ってきた方とは知らなかった。
 戦争中に罹った熱病の後遺症で定職に就けなかったと言うが、今までしてきた仕事が、なんと、山番・伐採手伝い・日雇い土方・炭焼き・闇市場番人・トラック助手・ちゃんばら劇団の斬られ役・古着屋の手伝い・商人宿の番頭・ジガネ掘り・飯場の人夫・沖仲士・コークス拾い・浮浪者・ニセ坊主・ニセ占い師などなど……というから、すさまじい。といっても彼の放浪は、元気な若者の放浪とは違う。ぶらぶら・ふらふら・よろよろ・へなへな・ふわふわ・ゆらゆらとしたものなのだ。
 そんな高木さんが七十歳を超えた。立派な爺さんだ。いや、そんなに「立派」ではないかも。相も変わらず、ぶらぶら・ふらふら・よろよろ・へなへな・ふわふわ・ゆらゆらと生きているから。
 今は定住している横浜の家から、大田区あたりの仕事場にしているアパートに出かけ、帰ってくるまでのある老人の一日。本の体裁はそうだが、その合間合間に挿入される、彼が今まで出会った人たちの言葉や思い出が優しい。


ダチョウと東京大学ー国立大学へも事業仕分けを!

2010年01月10日 | うんちく・小ネタ

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民主党政権になってのヒット政策は「事業仕分け」です。官僚が無駄なお金を勝手に使って来た実態を国民に対して明らかにしたのです。

しかし馬鹿馬鹿しいお金の使い方は、国立大学でも伝統的にされています。学問の自由とか、素人には理解できないとか理由にもならないことを根拠に長年無駄なお金を使ってきたのです。

実例をお見せします。上の写真は東京大学の田無にある付属農場で飼われているダチョウの写真です。餌をやっている先生に何故飼育しているか?聞きました。ダチョウは糞が臭くないので市街地で飼える家畜になる可能性があるので研究しているという答えでした。皆さんはそんなことを大学が多額の研究費を使ってするべき研究と思いますか?そんな事を研究するくらいなら日本が非常に遅れているDNAの研究や新薬探求の基礎医学や生命科学の研究をすべきです。

何万坪もある広大な農場が大学に本当に必要なのでしょうか?農場内の古い建物や温室は何年も使用した様子がなく朽ち果てています。農場で働く人はダチョウの飼育をしている先生以外居ません。裏の方には牧畜の研究に使っていた放牧場がむなしく広がっています。下の写真です。

このような無駄な広い土地は即刻民間へ払い下げて有効に活用すべきです。

実は東京大学には北海道にも広大な演習林があり、その上、数多くの附置研究所があります。その研究内容が問題なのです。産業界は日進月歩、どんどん変化して行きますが、国立大学の研究は古色蒼然で時代錯誤のものが多いのです。

学問の進歩に何も役に立たない。そして工業の進歩へも役に立たない研究が多すぎるのです。これは自分がかつてしていた事なので書けるのです。

民主党の事業仕分けを是非、国立大学の事業内容(研究内容)とコストの比較まで切り込んで貰いたいと思っています。(終り)

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死が訪れるまで明るく生きる簡単な方法

2010年01月10日 | うんちく・小ネタ

どんな状態になっても希望を失うな!という台詞を良く聞きます。しかし何か空々しいセリフに聞こえる場合もあります。

私も先日、2つのガンの検査を受けました。前立腺ガンの再発の検査と咽頭ガンの内視鏡検査です。100%安心という結果ではありませんでした。しかし毎日明るい気持ちで遊び回っています。その原因は父や母を許すことにしてからです。10年以上前に父が死んでから完全に許す気持ちになりました。父は社会的に立派な職業につき、子供たちの教育費も充分に出してくれました。外見的には申し分が有りません。しかし子供を圧迫し、自分の価値観を押しつけ通したのです。母は子供を育てることに無関心でした。そんな家族から逃れるためにアメリカへ留学したのです。

貧しい親で食べるのに困った。親に捨てられて養護施設で育った。世の中には悲しいことが満ち溢れています。「それに比較して自分の境遇に感謝しなさい!」と説教する人がいます。無力な説教です。人の幸福は皆同じようですが、不幸は人の数だけ違うのです。そして人々は年老いて、やがて死が訪れるのです。特に高齢になると死が目に見えてきます。

その時一番良い方法は、今まで恨みに思っていた肉親を心の底から許して上げるのです。優しくて申し分の無かった両親を持った人は許す相手が居ません。そのような人々は幸いです。死を恐れている人へ関心を持って上げるのです。

そうすると自分も一層明るくなり、楽しくなります。自分に死が訪れるまで明るい気持ちで毎日が過ごせます。この生き方は別に宗教を信じていなくても簡単に出来ます。

宗教をしんじているとより簡単に肉親や他人を許すことが出来ます。宗教のエッセンスはなにせ、「許す訓練をすること」にあるのですから。

私はカッとなる性分で、瞬間的に怒り、憎みます。以前は必ず復讐しようと考えていました。長い間教会へ通い、宗教的訓練を受け続けたお陰で、カッとなる性分は治りませんが、すぐに許すことが出来ます。宗教的訓練を佛教では「行(ぎょう)」と言うことがあります。

しかし、別に宗教的訓練を受けなくとも、気持ちの持ち方で貴方の周りの風景が途端に明るくなります。許せばよいのです。簡単なことです。明るく生きることが出来ます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

最後に昨年撮った庭の明るい花の写真を一枚お送り致します。

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