彼女は私を銀座三越の7階にあるカトリッククラブに案内してくれました。そこには非常に大柄な、ユーモアのあふれたチビサー(本当の名はティビサー)神父がおられ、彼から公教要理を学びました。
キリスト教の教えは、海綿が水を吸うようにすうっと頭に入ってきました。マリアの処女懐胎についての質問に対する答えは今でも覚えています。神父さまは神秘という言葉を使わず話されましたが、私もその神秘を感じることが出来ました。3ケ月半後に受洗し、その2ケ月後の堅信の秘跡の後、公教要理を教えるように神父さまから言われ、必死に勉強しました。
@27歳で神学校へ
27歳になった私は、神父さまからも兄からも結婚を勧められましたが、司祭の仕事に興味を持ち、神学校に行きたいと思ったのです。神学校は無試験でしたが、勉強、特にラテン語は大変でした。ロス司教さま(イエズス会)が「あなたたちが今勉強しないと、後で司牧する信者たちに大変迷惑をかけます、信徒の救いに関係します」と涙を流して諭されるので、神学生は全力投球で勉強しました。卒業の2年前、キリストの代理者になることが不安になり、28日間の霊操を受けたこともありました。
寡黙な私には、トラピストが向いているのではないかと卒業した年の夏、函館のトラピストを訪れました。結局、トラピストには入りませんでしたが、今でもトラピストは好きです。
@まだまだだなあと思います
他の人よりも遅くキリスト教の世界へ入り、亀のようにゆっくりゆっくりと石橋をたたきながら、少しずつ前進して信仰の道へと深入りしました。
神父になって50年たった今、神さまは幼少時から自分を導いてくださっていたことを感じます。子供の頃の教育、教育勅語、陸軍士官学校での訓練(戦争の仕方以外)が今でも役に立っています。子供のときからずっと神さまの御手に導かれていても気づかず、神さまからのインスピレーションもその時はわからず、後になってから気づく始末。モーゼは神の後ろ姿を見たが、私は後ろ姿もすぐには見えず、何年もたってしか分からないというのは、まだまだだなあと思います。
(2009年11月29日小金井教会での講話の概略です)
写真は函館トラピスト修道院です。出典は、http://www.bfh.jp/theme/theme_searchdetail.html/80000044 です。