後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

江戸時代や明治の雰囲気漂う植物園ー小石川植物園ー

2010年01月28日 | 写真

幼いころは動物園が好きでしたが、高齢になるのしたがって植物園が好きになりました。旅先でも時間があればよく植物園を訪問し、静かな時間を過ごします。

私の記憶では、寺田寅彦の随筆に小石川植物園が出てきます。子供とドングリの実を拾いながら亡くなった妻を偲ぶ場面が出て来ます。去年は妻も一緒に楽しくドングリを拾ったのに、その妻は病死して今は居ない。ドングリを一個一個拾いながら若い妻の面影を偲んでいる場面を思いだします。何十年も一度行って見たいと思いつつ74歳になってしまいました。

いろいろな植物園に行きましたが小石川植物園ほど淋しく古い感じがする所はありません。小石川養生所のあった所です。

江戸時代の御薬園や明治時代の植物学研究所の雰囲気が残っているようです。

江戸や明治の頃を想いながら下の写真をご覧頂ければ嬉しく思います。

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あなたはネット社会とのかかわりを何時お止めになりますか?(1)

2010年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

「ネット社会とのかかわり」という意味を分かりやすく言いますと、ブログやホームページを書いてコメントを頂き、他の方々と心の交流をするということです。そして趣味人倶楽部やBYOOLのような社会人ネットワークの入会して、会員の方々と心の交流をすることです。

自然や人生に対する感じ方や考え方で共鳴し合える人々を見つけ、人生の充実感を掴むことです。それはネットを情報伝達の道具として便利に使うこととは別です。道具として使っている限り生活が益々便利になり別に困ることは一切ありません。

しかし実際に会ったことの無い人々と心の交流をすることはそんなに簡単な事ではありません。深く考える時間が必要です。文章を書くのに長時間がかかります。写真も添えて自分の考えも分かりやすくします。写真を撮って、掲載するまでいろいろな手間がかかります。しかし心の交流が出来たときの喜びは大きなものです。交流できた方々のことは忘れられません。ところがそういう方々が時々ネット社会を止めて行きます。実名も住所も知らないまま居なくなるのです。ショックです。

それがネット社会の虚構性を示していて淋しいのです。

最近、私は自分がネット社会を止める可能性も考えています。まあ、色々な理由がありますが、面倒くさく感じることもあるのです。虚構性に疑問を感じる時もあります。

人間は変わるものです。何か淋しいですね。

趣味も年齢によっていろいろと変わるものです。読書も音楽鑑賞もしました。盆栽や山登りも趣味にしていた時代もありました。でも何も達成出来ないうちに飽きてしまいました。

先輩や先生に「人間は興味の対象をアチコチ変えないで一つのことに打ち込め!」、「それが立派な人生だ!」と耳にタコが出来るほど教わりました。

「変えることは不実な生き方だ!」という言い方も聞きました。

ですから趣味でも道楽でも一旦始めたら死ぬまでやる!そんな生き方をしてみたくなります。ヒョッとしてそんな生き方が美しい生き方なのかも知れないと思います。

このブログでは7人の方のブログを「推薦したいブログ」として左サイドバーに掲げています。長い間変えないで掲げています。しかし掲げた後で、多くの人々へ推薦したくなるような素晴らしいブログを幾つも見つけました。でも「推薦したいブログ」としては掲げていません。一旦決めたら変えないのが美しい人生と教わったからです。ところが広くブログを見回すと「推薦したいブログ」をドンドン変えている人がいます。毎日変えている人もいます。

インターネットの上で心の交流をするという趣味に飽きたら止めれば良いのです。気軽に考えると人生が楽になります。幸福になれますね。

先日、ヨットの趣味は体力が無くなってきたので止めるべきか?という記事を書きました。趣味人倶楽部の方々には人生の達人が多いと分かりました。体が止めろ!と言っているのなら気楽に止めなさい!という尤もなご意見を多く頂きました。

しかしそうも行かないから悩んでいるのです。 別に決心している訳ではありませんが、多分、ヨットも、ネットでの心の交流趣味も死ぬまで止めないでしょう。

さて改めてお聞きしますが。「あなたはネット社会での心の交流は何時お止めになるでしょか? 何時ネット社会を卒業なさいますでしょうか?」

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人