後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

オハイオ州の風景写真をお送りします

2010年01月11日 | インポート

Columbusohiolevequetower1_2 オハイオ州はアメリカ中西部にあり北側にはエリー湖があり南はケンタッキー洲です。

首都はコロンバス市です。学生数が6万人近い巨大な州立大学があります。私は1960年から1962年までと1988年から1990までの通算4年間この大学にいました。この記事の後でオハイオ州に於いて参加した生活術に関するセミナーのことを紹介する記事を掲載します。そこで挿絵代わりに3枚の写真を示します。高い建物はコロンバス市の中心街にあるものです。その上の方の階にあったディッシュラー・ヒルトンホテルで1961年に結婚式をしました。2枚目と3枚目はコロンバス市の郊外の風景です。コロンバス市にはサイオート河とオレンタンジー河が流れていて、このような水の豊富な風景が多く見られます。どちらの河もケンタッキー州へ下り、ミシシッピーの大河へ合流します。写真の出典は、Wikipedeaのオハイオ、コロンバスなどの項目から引用しました。

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マイフレさんのブログ記事が突然止まり、心配ですー何方かご存じありませんか?

2010年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログを通して友人になる。このようなネット上の友人をマイフレさんと呼ぶようです。お互いにブログを読み合い、コメントを交換してきたmachanさんのブログ、http://blog.livedoor.jp/ricecurry2007/  の記事が昨年の11月12日で突然止まってしまいました。心配になります。普通、ブログを止める場合は、忙しくなったので止めます、とか病気になったので止めます、というご挨拶の文章が出ます。それも無いのので突発的な不幸が起きたのかと心配をしています。machanさんは以前はバンコック在住のひかるのさんのブログへも何度もコメントを送っていました。松坂に住んでいてサイクリングで良く走り回る元気な方でした。

何方かmachanさんのご様子をご存じでしたならお知らせ下さい。感謝します。

宜しくお願い申し上げます。藤山杜人

下の写真は彼のもう一つのブログ、「風とともに」の昨年の春に掲載されていた花の写真です。サイクリングで行った松坂のそばの宝塚古墳の傍の農家で咲いていたそうです。http://machan1947.blog46.fc2.com/ から転載致しました。

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冬の雑木林の写真をお送りします。

2010年01月11日 | 写真

冬の雑木林はすっかり落葉して、梢のシルエットが背景の蒼穹に浮かび上がります。幻想的な美しさを見せてくれます。お楽しみ頂ければと思い、2枚の写真をお送りいたします。1月7日、川崎市立、日本民家園で撮りました。

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悲劇の国、ハンガリーに住む盛田常夫さんを誇りに思う

2010年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

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明治維新以来、日本人はイギリス、フランス、ドイツを手本にして富国強兵を進めて来ました。留学するときもこの3国へ行く人が多く、少し後になってアメリカやロシアへ留学する人も出て来ました。日本人はこれらの強国のことは尊敬し、よく研究し、その文明や軍備を導入して来ました。

ところが世界にはもっと多くの、そして日本人の理解を超える国々が存在しているのです。色々な国々の歴史を少し見ると、「幸運な国々」と「悲劇的な国々」が存在することが分かります。生まれつき幸運な人。そしてどんなに努力しても不幸が次から次へとやって来る人。この世の不条理です。国々もこの世の不条理を逃れることが出来ません。ハンガリーが悲劇的な国と思うのは私の勝手な思い込みかも知れません。でも以下の、文章をお読みください。Wikipediaのハンガリーの項目にある文章です。

===========ハンガリーの共産革命========

オーストリア=ハンガリー二重帝国の体制下、資本主義経済が発展し、ナショナリズムが高揚したが、第一次世界大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離された。1918年にハンガリー初の共和制国家であるハンガリー民主共和国が成立し、社会民主党系のカーロイ・ミハーイenが初代大統領及び首相を務める。さらに共産党との連立によってハンガリー革命が勃発しハンガリー・ソビエト共和国と化したが、ルーマニアの介入で打倒される(ハンガリー・ルーマニア戦争)。1920年に結ばれたトリアノン条約により、ハンガリーはトランシルヴァニアなど二重帝国時代の王国領のうち、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。

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ソ連の共産政権崩壊とともにこの国も一気に資本主義国家になります。国家財産の略奪が混乱を極め、国民生活が闇の中を彷徨うような状態になります。コネと賄賂が民族文化です。そのような国に、盛田常夫さんが個性豊かに悠々と住みこんでいるのです。ネットの上で知り合った私の数少ない若い友人です。何故、彼はハンガリーに住んでいるのでしょうか?私の好奇心がムラムラとします。生まれ故郷を離れ悲劇的な国に住む。東京で一度会い、その後何度かメールの交換で聞き出そうとしましたが、その理由は未だに分かりません。ハンガリーの社会・経済体制の変革に関する学術書を最近出版されました。そして最近、彼が主宰して出版している「ドナウの四季」という季刊誌を郵送してくれました。この雑誌は電子化されていて皆様もお読み頂けますhttp://www.danube4seasons.com/quarterly_magazine/d4s_2010-05.pdf です。

盛田さんは私の疑問に対して詳しい個人的な事情を綿々と書いてくれました。明快な文章です。個人的な事情はよく分かりました。しかし「何故、ハンガリーに住んでいますか?」という私の疑問は晴れません。しかし、「ドナウの四季」を読むとハンガリーについて、色々な日本人が随筆を書いています。少し住んでみるとハンガリーが嫌になって逃げ出す日本人と、その魔力のような魅力に取りつかれてしまう日本人の2種類に分かれる、という文章を発見しました。

そこで私は仮説を立てました。「悲劇的な歴史を背負った国の人々は個人的に非常に魅力的です。誰でもその魅力に引き込まれればつい住みこんでしまいます」。

単純なパック旅行ではハンガリーの人々の深い苦悩と、そこから生まれる美しい人生の過ごし方は見えません。盛田さんのようにハンガリー語を駆使して現地語で本を出したり、テレビに出たりしなと理解出来ない境地です。このような個性豊かな人生を、独創的に作り上げて、外国で生きている日本人が最近増えています。

私はそのような独創的な人生を外国で過ごして居る日本人を誇りに思っています。それは日本の文化的な財産なのです。国力とは経済力や軍備の優劣だけではありません。外国で尊敬される日本人が何万人居るか?これが日本の安定を支えているのです。

さて私の仮説を盛田さんへ送りました。ハンガリーの魅力についてはノーコメントでした。気恥ずかしく言えないのだと勝手に理解しています。「ドナウの四季」はもう一つの目的があるそうです。日本人が誇り高く、現地の政治、経済界へ積極的に働き掛けるために出版しているそうです。そうです盛田常夫さんも誇り高い男なのです。盛田常夫を検索すると彼の内容豊かなブログや出版物の案内が出て来ます。上に書いた私の想像や仮説が正しいか否かをお考え頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

尚、上と下にある写真はハンガリーを流れるドナウ河のブタペスト近辺の風景です。出典は、Wikipedeaのハンガリーの項目にあった写真です。

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