後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今年の桜の花の写真をお送りします

2010年01月27日 | 写真

江戸幕府の薬草園を明治政府は東京大学の付属植物園にしました。文京区の東洋大学の傍にある小石川植物園です。昨日、病院の面会時間の調整に時間をつぶす必要があったので散策してきました。桜が咲いていました。春に咲く桜とは違う冬桜という名前が書いてありました。今年初めて見た桜の花なので写真をお送りします。

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命の危険がともなうヨットという趣味

2010年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

帆走子さんは「ロスミナの風」というブログhttp://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/を書いていらっしゃいます。内容が大変ユニークで他のブログにはあまり例のないものです。ヘリコプターや、飛行船や、飛行機のことなどと共にヨットの記事もあります。

大空とか、碧い海や風の動きがお好きなロマンチストです。以前に飛行船のことでいろいろ教えて貰いました。昨日、私も老人になったのでヨットは止めにしようと思う、という記事を出しました。ヨットを動く居酒屋くらのつもりで続けるのも良いという趣旨のコメントを頂きました。嬉しかったです。実は私も船へ這い上がれるうちは止める予定はありません。ヨットはジブだけで帆走しても楽しいものです。ジブだけなら片手で出し入れできます。帆走子さんのコメントはヨット乗りの気持ちで送ってくれたので勇気づけられました。そこでこれから帆走子さんのブログの内容を数回に分けてご紹介いたしたいと思います。転載のお許しは今朝頂きました。

今日はまず彼がヨットから落ちて、大変に危険な体験をした文章をご紹介します。彼のブログの2009年5月11日掲載記事です。その前に彼のヨット、「ロスミナ2世号」の写真と荒れる海の写真を転載します。19フィート艇で私の大好きな往年の傑作艇です。美しい艇です。

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====帆走子著、「ソロセーリングでフネから転落した」====

一人で乗っていたヨットから転落した!
海は荒れ気味、セールは半降り、エンジンは微速前進。
あっという間にフネは1m以上も離れてしまった。

シーマンとしての恥を忍んで、死に損なった体験談を公表します。
 世のセーラーたちの安全を、切に願って・・・。

         2004年7月25日(日)は晴天で暑く、東京湾北部は風が強かった。
気象に関する注意報、警報は出ていない。ギラつく真昼の太陽がまぶしい。
 仲間のドタキャンで、私は一人で自艇ロスミナ‐Ⅱに乗り、千葉市いなげの浜沖5㎞、観潮塔付近の海上にいた。数日来の予報から、気象海象はこれ以上悪くはなるまいと判断する。
 主帆を揚げるのにかなり苦労したくらい波がきついので、前帆は安全のため揚げない。
 しかし危険なほど悪い情況とは思えず、主帆のみで飛ぶように走る。ジャジャ馬慣らしのような操縦感覚は捨てがたい。
 私はまだ豪快なオーシャンスポーツと、ワインを楽しむ余裕があった。風速10mくらいか、あたりは白波一面。

 早めに切りあげるべく、千葉港口の5番ブイ方面に向かう。キャビン内はもまれてメチャクチャだが、フネには特に異常はない。学生たちの小型艇は引き上げたようだ。
 エンジンを微速前進に入れ、風に正対し帰港準備にかかった。舵はゴムひもで結んであるが、それでも波がきつく直進してくれない。
 帆を降ろしにかかったが、風が振れて途中で引っかかった。暴れまわるフネを立直しながら、コックピットとデッキの間を何度も往復した。何度目かに引っかかった帆を解いているうち、大きい横波を食って体が右舷側に落ちかかった。

 「やばい!」と立て直そうとしたが、ワインの酔いもあって踏ん張れず、体は水中に落ちた。フネのライフラインをつかんでとにかく離れないようにしたが、次の波を食らったときはあっという間に1m近く離れてしまった。15時過ぎ、引き潮の始まる時刻である。

 微速とはいえ前進に入れてあるエンジンと、降ろしかけで半効きの主帆でフネは結構速い。ライフジャケットをつけ衣服を着たままでは、追いつけるものではない。体力の消耗する方を恐れた。こんなときに限ってフネは正直に直進し、港の奥に向かっている。

 海水は暖かく、風と波は激しいが、とにかく浮いていられる。水を飲まないように気をつけた。水を飲むと、急速に体力を失うものらしい。ライフジャケットだけが頼りだ。いつまで浮いていられるのか。幸いケガや打撲はしていない。眼鏡を失わなかったのは、ラッキーだった。

 岸からはおよそ3km、海上に浮いている標識ブイまで700m位あるだろうか。
 意を決して5番ブイに向かう。風と波は真向かいの方角になる。果たして行き着けるか、たどり着ければ助かる。
 幸い日没まではかなり時間の余裕はある。泳いでみても進んでいるのかどうか、全く判らない。少しでも疲れないように、波の静まったときを見ては「ちょっとタンマ」と休んだ。

 干潮時に入り、少しずつブイが大きく見え出した。引き潮はブイへの接近を助けてくれるが、つかまりそこなったら、沖に流されてしまう。抜き手を切る腕がだるくなった。
 およそ50分泳いで、ブイのはしごまで数10mにせまったが、自分自身に「あと100m」と何度も言い聞かせる。1回でつかまないと、再度挑戦する気力体力が残っているか。波と風を見計らって慎重に接近した。
 ブイのはしごに取りついて時計を見たら15時50分。                
      
 滑りやすいはしごを注意深く登り頂きに着いたが、海面上10mではゆれはさらに大きい。ブイの頂上は腰をおろせるくらいのスペースがあり、周囲は手すりで囲まれていて、ゆれてもつかまっていれば危険はない。問題は日没である。今日はおよそ18時半ごろ。
 フネが港内方向に無人で走っていたのは確かなので、いずれは発見され落水事故として捜索されるだろう、という希望的観測はある。幸い寒くはないが風が強く、夜間になったらどうなるか。
 作業船や釣り舟が、操舵している船長の顔がはっきり見えるくらいの近くを通過し、躍起になって手を振ったが全く気づかない。

 時間だけが過ぎ16時40分、太陽は大分低くなってきた。
 海上保安庁の巡視艇らしい船や大型ヘリコプター、千葉県警の小型ヘリなどが、稲毛観潮塔付近を行き来しているのが見える。やはり捜索が始まったのだろうか。
出港届にはいなげの浜、観潮塔付近としてある。
 海上保安庁機は、洋上を往復しながら次第に近づいてくる。まだかなり遠いが、こちらを向いたときに遭難信号を送り続けた。せめて鏡でもあれば、まだ日光があるので、反射信号を送る事は出来るのだが。

 何回か繰り返しているうち、突然ヘリがまっすぐこちらに向かってきた。ランディングライトを点滅させている。発見された!! 17時22分。
 私はヘリで捜索救助に従事した事はあるが、救助される方になってみると、ヘリが神様に見える。そのうち2艘のランチが高速で、まっすぐこちらに向かってきた。助かった!!

 千葉県警水上警察の巡視艇「いぬぼう」の新田艇長は大男で、ご自身もヨットマンだそうだ。
「ヨットは水警の桟橋に繋いでありますよ。損傷はありません」という。艇内を調べて、船舶検査証から私の連絡先その他を把握したらしい。すぐに雄和マリーナに連絡が行き、出港届がチェックされた。
海上の事故なので、海上保安庁の所管だそうだ。
 
  海難事故として海上保安庁千葉支部で事情聴取を受けたが、係官は親切で応対は丁寧だった。
「この電話で、まず家族に知らせなさい。こちらからすでに連絡はしてある」という。防水ケースに入れた携帯電話を、艇内に残してきたことを、今ごろ思い出した。不注意のきわみだ。

 そして、水警も海保も“海のおまわりさん”たちは粋でもある。新田艇長は「赤ワインの瓶が空いていましたな」とニヤリと白い歯を見せたのが、印象に残った。

 落水はシーマンとして恥であり、自己過信を深く反省して、今日もしぶとく生きている。

                                           (了)


天は自ら助くる者を助くー飛行場から病院へ入院したひかるのさんの事

2010年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

タイのバンコックに住んでいる ひかるのさんが ガンになり1月12日に苦しい体をいたわりながら独りで成田空港へ帰ってきました。空港では車椅子で公衆電話まで行き病院の手配をし、江東区の区役所へ行き、国民健康保険証を入手し、東京厚生年金病院にその足で入院したのです。胸に水が溜まり呼吸も苦しい体で独りでバンコックの大学病院でガンの検査を受け、ガンと分かったのがこの1月の初めでした。食欲が無く、夜も睡眠が十分にとれない体は衰弱する一方でした。体力の残っている間に一度日本へ帰り医療を受ける決心をします。

彼はそれまでの苦しい状況をブログ、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ に詳しく書いて発表していました。それが1月11日に止まり、2週間のブランクの後の1月24日に再び記事掲載が始まりました。入院に到るまでの苦しい道行きの詳報です。

日本に家族の居ない人が成田空港に辿り着き、その足で区役所へ行き、それから病院へ入ったのです。苦しい息をしながら、休み休み歩いて、電車で移動したのです。まったく他の人の世話を受けず自分の努力だけで入院したのです。不撓不屈の精神です。その精神に感動しました。感動のあまり昨日、お見舞いに行って来ました。

天は自ら助くる者を助く(God [Heaven] helps those who help themselves. )というベンジャミン・フランクリンの言葉通り、天は彼に素晴らしい病院を与えたのです。

下の写真は東京厚生年金病院の様子です。

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人