後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ガンの検査、悲しい結果、そして独り街に佇む

2010年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

彼とは3度、神田、小石川町で会った。彼はアジアの手織り布の展示会を毎年2回開いて居た。優しさと、悲しみに満ちた黒い目でこちらを見ながら静かに話す。その彼がバンコックの大学病院でガンの精密検査を受けた。胸水がたまっている。血液検査を受け、胸水と肺の生体細胞を採取した。胸水の中にガン細胞が見つかる。

病院の帰り跨線橋の上に独り佇んで夕日を見つめる。何故、私はこのアジアの街に26年も住んでいるのだろう?そして何故独りでここに佇んでいるのだろう?Hさんは決して後悔しているのではない。長いインド、ネパール、ブータン、タイなどなどのアジアの放浪の旅を懐かしく思い出している。日本に住めなかった自分が、自由に生きた結果である。安らかな諦めの気持ちが身を包み、そんなHさんの体を夕日が赤く輝かせている。

Hさんは瀬戸内海の小島で生まれた。家がミカン栽培農家であった。幸い色々な種類のミカンや、柿、イチジク、モモと果物が豊富で、それを食べて育ったという。その頃の農家ではかまどで薪を燃やしてご飯を焚き、七輪の炭火で料理をしていた。そんな思い出があるから私とあまり年が違わないのだろう。18歳の時、東京へ来て、その後30歳過ぎまで東京近辺で働いていた。おりしも狂乱怒涛のような日本の高度成長期。趣味と言えば数多くの詩集を買いそろえ、詩をくちずさむように読むことだった。詩は韻律の美と描く情景の美しさがが響き合うのだ。

独り詩を口ずさむ青年にとって高度成長期の社会は残酷過ぎる。なんとなく貯まったお金と数冊の詩集を持ってフラリとアジアの国々の旅へ出る。インドやタイの田舎まで放浪する。「ああ、こここそ私の住むべき所だ。何故か故郷のような安らぎを覚える」と感じた。その頃のインドやタイはまだ経済成長前だった。全ては手仕事で生活が出来あがっている。発展してしまった日本には無い人間の手の優しさに満ちているのだ。とくに野蚕から手織りで作った布を草木染めした着物には魂が奪われる。インドからブータン、ネパールと手織り布を求める旅を繰り返す。たまに帰国し、展示即売会をする。収入が出来る。また安住の地、タイやネパールへ帰る。

天涯孤独な生活。しかし彼には28歳になる一人の息子がいる。その息子は親に捨てられたストリートチルドレン。9歳のときタイで知り合い、その後11年間一緒に棲んでいた。そして手織り布を探し求める放浪の旅を彼と一緒にする。アジアの隅々までの2人旅。血は繋がっていないが肉親愛が流れる放浪の旅。やがて2人はバンコックに落ち着く。20歳になった息子は独立して働き出し、街外れのアパートに住んでいる。お互の誕生日やお釈迦様の誕生日には会って一緒に豪華な食事をする。少しばかりのビールも飲む。そんな生活が8年。

チェラロンコン大学病院で肺ガンの宣告。運命の分かれ目のようにHさんは感じたという。すぐに息子に電話する。仕事の合間をぬって彼が駆けつけて来る。その後は病院へ何度も付き添って行って面倒を見てくれる。体が動かなくなったらHさんの家に引っ越してきて世話をすると言ってくれる。ストリートチルドレンだった息子にとってHさんは唯一人の肉親だ。

病院の帰り、息子と別れ、独り跨線橋の上に立って夕日を見る。自分の淋しい人生と、そして息子の悲しい人生。そんな2人が一緒に旅をした楽しい思い出。

そして息子と別れて帰った、次の日に珍しく冬のバンコックに雨が降る。Hさんのその日の日記。(http://asiancloth.blog69.fc2.com/

 どういう訳か 乾期のバンコクに雨が降る。
 眠れず うつらうつらしていると ベランダ辺りから雨音がする。
 日本なら差し詰め 今の時期なら雪ということになるのだろうが、
 この暑いバンコクでは 季節外れの雨である。

 フランスの詩人 ベルレールの詩 『都に雨の降るごとく』の一節が思い浮かぶ。

      都に雨の降るごとく
      わが心にも涙ふる 。
      心の底ににじみいる
      この佗びしさは何ならむ 。

      大地に屋根に降りしきる
      雨のひびきのしめやかさ
      うらさびわたる心には
      おお 雨の音 雨の歌 。


 暑いバンコクの暗闇の中に降りしきる雨は パリに降る雨とは 異なった雰囲気の
 ものではあるが、若い頃から口ずさんでいたこの詩は 雨が降れば、自然に思い
 浮かんでくる。

 一刻の爽やかさと涼しさが この雨によってもたらされ、少しばかりの心地良い眠りを
 楽しむことが出来た。

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私は、優しさ故に悲しみが満ちたHさんの人生に何故か涙する。その彼がガンになったのだ。運命の残酷さ。しかしそれで終わるはずは無い。もう一度Hさんは元気に回復し、息子と一緒に快気祝いのビールを飲む。絶対にそうなる。Hさん自身のためにも悲しい少年期を過ごした息子のためにも絶対にガンを克服するのだ。

Hさんもそう信じている。息子の為に回復すると決心しているに違いない。アジアの片隅に存在しているある愛へ幸いあれと祈らざるを得ない。(終り)20100106133510dcc1