日本は仏教国と言われます。ですから皆がお釈迦様の教えを知っています。人間も自然もこの世の全ては変わるのです。ですから物事に執着し、こだわってはいけません。生き物の命を大切にしましょう。慾を捨てれば毎日が平和に暮らせます。幸福になれます。
しかし人間には生まれながらの利己心があります。お釈迦様の教えを知っていても実行出来ません。
ですから知っていても何も役に立ちません。ですから多くの日本人は佛教とは無縁の生活をしています。
しかし仏教に対する信仰をもつと教えの一部分くらいは実行出来ます。信仰を持つとは佛教で教えている神秘的なことを信じることです。村のお寺の薬師様の像を拝めば母の病気が治ると信じ、毎日お寺に拝みに行くのです。合理的に考えないで率直に信じて実行を繰り返します。これを宗教的訓練と言います。
訓練を軽視すると信仰の道へ入れないのです。科学的な思考を捨てなくてはならないのです。日本人が明治維新以来、西欧の科学を取り入れ、全てを合理的に考えないとバカな人間だと思い込むようになりました。これは西欧文化に対する大変な誤解です。西洋文化の半分しか輸入しなかったのです。
ですからお寺の和尚さんが毎朝お経を読んだり、鐘を鳴らすのを不合理な無駄な行為とバカにする風潮になります。それは和尚さんが自分の宗教的訓練を毎日しているのです。ついでに人々に宗教的訓練を重ねるとお釈迦様の教えを実行しやすくなるというメーッセージを送っているのです。
日本人は富国強兵の為に、それ以前に信じていた佛教をかなぐり捨ててしまったのです。
以上の事情は自分がカトリックの洗礼を受けてから鮮明に理解したことです。
今日も教会にミサへ行きます。宗教的訓練を受けに行くのです。
日本人はキリスト教の教えを、「教養」としてよく知っています。でも洗礼を受ける人は非常に少なく人口の0.3%くらいと言われています。
以前から、「キリスト教は日本に根付いているか?」という問題を考えてきました。
仏教は現在の日本に根付いているか?という問題と同じことです。
そのような事をたまに考えるのも良いこととと信じて、この小文を皆様へお送りします。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人