新年明けましておめでとう御座います。年頭にあたり誇り高く、前向きに生きて行くための心構えを書きたいと思います。
昨年には在日アメリカ軍の基地について米軍側が作っているホームページを見ました。三沢基地、横田基地、横須賀基地、厚木基地、嘉手納基地、普天間基地、そしてドイツのSpangdahlem基地のホームページです。それぞれ詳しくこのブログでご紹介しました。それらのホームページを見て誇り高く生きるための心構えが出来あがりました。今日はその事を書いて見たいと思います。
(1)米軍基地があっても属国では無い!
日本に米軍基地が有るから我が国は独立国ではない、という言い方をよく聞きます。この言葉は俗耳へなじみやすいのですが、大変卑屈な考え方です。多くの人々の投票を集めようとする俗な政治家が時々使う台詞です。
世界を見回すと、ロシア、中国、反米的なイスラム諸国以外の全ての国々に米軍基地が設置されているのです。これは歴史的現実です。しかしどの国もアメリカの属国とは思っていません。日本人だけが時々その卑屈さから「占領国だ!」とか「属国だ!」と公言するのです。その台詞は自分自身を貶めているのです。現代における「独立国」の意味は第二次世界大戦以前とはすっかり変わってしまったのです。心を広々として、自分自身で考えた誇り高い世界観を持つことが大切と思います。
今日の文章は長くなるので、ここで心が広くなるような写真をお送りします。
洋々たる東京湾を一隻のヨットが満帆に風を受けて、風上に向かって走っている様子です。昨年5月に三崎から東京へ帰る途中にすれ違ったヨットです。
(2)米軍基地の軍人は独立国に駐在する外交官です
数ケ所の米軍基地のホームページを見てみるとその内容は非常に外交的な意味で配慮が行き届いています。勿論軍事基地ですからその基地の軍事的な役割や守備範囲(攻撃範囲)は良く整理されて明記されています。しかしその類の情報はホームページの奥の方に有って、2、3回クリックをしないと出て来ません。表紙のページには必ず基地と地元の友好的な交流イベントの写真やニュースが出ています。米軍基地の司令官から一兵卒に至るまで地元の日本人と草の根外交を進めているのです。これこそアメリカの草の根民主主義です。
(3)米軍基地の司令官は駐在国を属国や占領地として考えていない
ホームページにはトップ司令官の顔写真とメッセージが有ります。そして基地の役割がMission の項目の下に書いてあります。それを見ると司令官は駐在している国へ敬意を持っているように書いてあります。自国、アメリカの防衛と駐留国の防衛が表裏一体で軽重が無いのです。「アメリカの為に基地があるので、イザという時、日本人を守ってくれない!」という発想は卑屈な発想です。ホームページからアメリカ人は誇り高い人々を守ってくれるという印象を強く受けました。すねたり、ひがんだりする人々は守ってくれないという印象を受けました。
(4)それでは誇り高く生きるための心構えとは?
抽象論ではなく、具体的にどのような心構えを持つと人々は誇り高く生きることが出来るのでしょうか?それを考えるヒントとして下に2枚の写真をお送りします。東京湾を巡航する豪華客船と貨物船の写真です。一枚目の写真と同じ日に撮りました。一休みなさって下さい。
左の写真は世界を巡る豪華客船です。日本人も外国人も何十日も一緒に生活します。そこでは個人個人が草の根的な文化交流が自然発生的におきます。右の貨物船も船長は日本人でもそれ以外のクルーは全て外国人の場合が多いのです。このような船の中の世界では日本が完全な独立国か否かはあまり重要な問題ではありません。個人個人が良い意味で誇り高いか否かが重要なことになります。
誇り高い心構えとは「何か一つでも他人へ自慢出来るものを心の中に持つこと」です。「私は音楽の才能がある」、「私は科学研究能力が高い」、「私は会社の経営能力が抜群に高い」、などと確信を持つことです。しかしその事を決して他言してはイケないのです。言ってしまっては誇りでは無くなり、単なる自慢屋になり下がるのです。そして才能の無い人々は、「私は他人へ親切な強い性格をもっている」、「貧困国へ行って何年か飢えた子どもたちを助けた経験がある」、「特にボランティア活動はしないが、それをしてる日本人を誇りに思っている」などなど幾つもの心構えがあるのです。他言しない限り、「妻の美貌が私の誇りだ」とか「子供が東大へ合格した」、などなど何でも良いのです。他言しない。それこそが誇りの必須条件なのです。
(5)誇り高い人々が充満すると「誇り高い国家」が出来あがるのです
1億人以上の日本人は誇り高くなり、お互いに尊敬するようになれば日本という国は自然と誇り高い国になります。これこそが民主主義です。国会議員の投票で政権交代をさせるのも民主主義の重要な役割ですが、それだけが重要なのではないと信じています。まず個人個人が誇り高い心を持つ。結果として誇り高い国が自然に出来る。昨年の政権交代がその切っ掛けになれば、これほど嬉しいことは有りません。
(6)それでも残る2つの疑問、海外出兵とアメリカ兵の裁判権の問題
「お金だけを出して、血を流さない」という日本人の現在の選択は誇り高いと言えるでしょうか?
日本に駐留する米軍は一種の軍事行動をしているので犯罪は軍事裁判が優先する。基地内の軍事裁判を優先して、支障が無ければ日本の警察へ容疑者を引き渡す。この現在の進め方と日本人の誇りとの整合性をどの様にとるのでしょうか?
この二つは私の心の中にどうしても疑問として残ります。
それは難しい問題としてもっと深く考え続けたいと思っています。
今日は年頭にあたり、人々が一層誇り高くなり、お互いに尊敬しあうようにと、お祈り申し上げます。 藤山杜人