1960年5月22日、チリー沖地震で生じた津波は翌日、日本を襲い、多くの被害が出ました。
今回の津波警報と住民の避難、鉄道路線の運休は大げさすぎたと非難があると思います。
しかし1960年5月の日本の被害を考えると決して大げさすぎたと非難すべきではありません。
津波の高さを予測する科学的方法に大きな誤差があるのが当然ですから避難や予防措置は大げさ過ぎるほうが良いのです。
下記はWikipediaの「チリ地震」の項目から抜粋しました。
日本では地震による津波の被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6メートルの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した。
津波による被害が大きかった岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現・南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布では11名が死亡。この浜中町では8年前の1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度目の市街地壊滅。街の中心でもある霧多布村がこのチリ地震津波により土砂が流出し北海道本島より切り離され島と化す(現在は陸継きだった所に2つ橋が架けられており、北海道本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するため)。
また、同じく度重なる津波被害を受けた田老町(現・宮古市)では高さ10メートルの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。この田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設される。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震でも津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。
地球の反対側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かった事が指摘され以後、気象庁は日本国外で発生した海洋型巨大地震に対してもたとえばハワイの太平洋津波警報センターと連携を取るなどして津波警報・注意報を出すようになった。以下省略。