後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

フィリッピンへ追放された高山右近と内藤如安のその後

2010年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

1614年10月7日に一隻の帆船が長崎の港を出て行った。日本を徳川家康によって追放された、キリシタン大名高山右近とキリシタン武将の内藤如安を含めた100人以上が寿司詰め状態になった船である。季節外れの無理な出港で逆風に悩まされ、マニラ到着が11月21日と言われている。狭い船内は不衛生になり病没するものも多かった。

しかし、右近と如安は無事マニラに上陸する。当時のルソン総督のファン・デ・シルバが儀仗兵を従え、岸壁で右近や如安を凱旋将軍のように迎えたのです。

右近と如安はゼズス会学院を宿舎にして、大歓迎され、宴会続きの生活が始まります。その上スペイン国王から俸禄を授けるという申し出を受けます。しかし、自分は家臣を日本に残してきた日本の武将としてスペイン王から俸禄を貰うことはできないと丁重に断ったのです。

その後で直ぐ、過酷な船旅で疲れた右近は病に斃れます。マニラ到着後、40日余りで死にます。1615年、慶長20年の正月8日でした。遺骸はゼズス会の管区長が葬られるサンタ・アンナ聖堂の主祭壇の傍らに葬られたのです。一方、如安はその後12年間マニラで生活をし天寿をまっとうします。

私が本当に書きたいことは、歴史学者、海老沢有道さんのことです。かれは明治43年生まれの歴史学者で、吉川弘文館から「高山右近」という本を出します。昭和33年12月初版で平成元年9月に新装版第一冊が出版されています。

彼は第二次大戦中に右近の遺跡を調べていました。葬られた聖アンナ聖堂は間もなく崩壊したため、遺骸はサン・ホセ学院へ移葬されたのです。

フィリッピンはその後アメリカの領有となり、ゼズス会学院はアメリカ軍の兵舎になったのです。右近や如安の遺族の消息は杳として消えてしまいます。

海老沢さんは右近の埋葬地を探そうとしますが、第二次大戦へ徴兵され、それどころではなくなります。しかし彼の友人がマニラへ行って、ゼズス会学院の跡地を探し出し、そこへ、「高山右近終焉之地」(埋葬地)という木柱を立てたのです。しかしアメリカ軍がマッカーサーとともにマニラを再占領すると、その木の柱も撤去されてしまうのです。

海老沢さんは右近や如安を尊敬し、誇りに思っていたのです。

海老沢さんのような日本人を私は尊敬します。(終り)

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悲しみや不幸をそっとして生きる方法(1)独り暮らしの悲しみと歓び

2010年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

どんなに恵まれた境遇の人でも悲しい事が起きたり不幸な境遇になることがありま す。あるいは悲しい経験をしたり不幸な時期をすごしたこともあるでしょう。010

今回から始める、「悲しみや不幸をそっとして生きる方法」という連載記事ではそのような場合の過ごし方を書いて行きたいと思います。悲しみは忘れなさい。明るい希望を何時も持っていれば不幸が逃げて行きます。というような説教臭い話ではありません。そんな空々しい説教で皆が幸せになれるのなら何も苦労はありません。

この連載では、悲しい事や不幸な境遇を具体的に取り上げ、そしてそれ以上悲しくなったり不幸になったりしない方法を考えて見ようと思っています。

今回は独り暮らしの悲しみと歓びということを取り上げます。いきなり個人的な話になりますが、私は甲斐駒の麓に山小屋を持っています。実に質素な小屋ですが36年間、毎月のように通っています。そこで気がついたのですが、その近所に独り暮らしの初老の男性が4人居ます。お互い離ればなれの別荘に住んでいるのです。その人々とは時々会って雑談をします。山の生活の様子を聞き、淋しくないかなどと話合います。一生独身の人もいますし、奥さんは都会で生活していて自分だけ独りで別荘に暮らしている人もいます。あるいは奥さんが亡くなってから山の別荘へ引越して来た人もいます。4人とも10年以上独り暮らしを続けています。共通していることは中年まで一所懸命働いて貯金を作り山では車を持って生活しています。食料の買い出しも病院通いも車が必要なのです。それぞれ趣味に没頭しています。花々を植えている人、大工仕事が趣味の人、ゴルフ場通いをしている人、大きなリモコンの飛行機を八ヶ岳の裾野で飛ばせる趣味の人。10年以上のお付き合いなので親しくなります。「独りで暮らしていて悲しくありませんか?淋しくありませんか?」と時々聞きます。はじめは虚勢をはって言下に否定します。親しくなってくると本音で答えてくれます。独り暮らしが悲しくない筈はありません。不幸です。しかしもっと不幸な時期があったのです。山で独り暮らして毎日が楽しいのです。自然に囲まれていると何故か歓びを感じるのです。誰にも干渉されないで四季折々の自然の移り変わりを見ながら生活する歓びは経験の無い人には理解出来ないでしょうとも言ってくれるのです。

そしてお酒を一緒に飲む時などに不幸な経験や恵まれない境遇を話してくれます。そこで重大な事に気が付きました。悲しみや不幸をソッとそのまま運命として受け入れています。誰も他人を恨んでいません。他人の悪口を言いません。不幸になった理由や原因を他人のせいにしません。悲しみや不幸は無理に忘れようともしません。そっとそのままにして生きて行くのです。運なのですと笑っています。自然体の生き方です。不幸をはねのけて幸福になろうしません。不幸をそっとそのままにして生きていると、それ以上不幸にはならいのと言っているようです。第一そんな説教めいたことは一切口にしません。

そんな生き方を私は真似をしています。もう少し正確に言えば時々真似をしています。皆様は悲しい事が起きたときどのように対応なさいましたでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈りしています。藤山杜人