ブログ仲間とお付き合いするのは実に楽しいものです。その一人の湯浅さん(ブログ名;乾燥芋のおにいちゃん)が袋田の滝の付近の自然豊かな土地でピザ店を開店しました。石窯を手製で作り、ピザ焼き修行を重ね、ついに美味しいピザへ到達して開店したのです。そのHPをご紹介しますので是非お訪ね下さい。HPのURLは、http://www.castanea.jp/hakoishi です。
下にそのHPから、タイトル・ページと、お店の写真とミックス・ピザ(小:550円、大:650円)の写真をご紹介いたします。
ブログ仲間とお付き合いするのは実に楽しいものです。その一人の湯浅さん(ブログ名;乾燥芋のおにいちゃん)が袋田の滝の付近の自然豊かな土地でピザ店を開店しました。石窯を手製で作り、ピザ焼き修行を重ね、ついに美味しいピザへ到達して開店したのです。そのHPをご紹介しますので是非お訪ね下さい。HPのURLは、http://www.castanea.jp/hakoishi です。
下にそのHPから、タイトル・ページと、お店の写真とミックス・ピザ(小:550円、大:650円)の写真をご紹介いたします。
バンコックやネパールのカトマンズに住んで25年。アジア各地の野蚕の手紡ぎ、手織り布を広く蒐集して東京で展示会をしてきた ひかるのさんがガンになり、急遽、帰国して入院治療を始めたのが1月中旬。それ以来、抗癌剤治療の実況放送のような生々しい報告をブログで発表されて来ました。昨日、一応ご退院されました。腺ガンで胸水が溜まり息苦しい状態で帰国され、東京厚生年金病院で抗癌剤治療を受けてきました。抗癌剤は効きます。胸水も減りましたし、ガンで膨らんだ背中も普通に戻ったそうです。しかし副作用が大変なようです。私も前立腺ガンを切除したので今度再発したら抗癌剤治療になると覚悟しています。ひかるのさんの抗癌剤の副作用を詳しく書いたブログ、http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season/35506715.html は大変参考になりました。ガンの再発をご心配をしている多くの方々にもご参考になると思い、ひかるのさんのブログをここにご紹介致します。
尚、アジア各地の野蚕の手紡ぎ、手織り布を販売していますので、是非お買い上げの件も宜しくお願い申し上げます。
いきなり私事で恐縮ですが、1969年から1970にかけて西ドイツのシュツットガルト市にあるマックスプランク研究所の金属研究所で研究をしたことがあります。その時共同研究をした人がブルッシュケル博士でした。彼は第二次大戦中は東ドイツの農村に住んでいたそうです。戦争の末期にソ連に占領され、同じブルッシュケル姓だけが住んでいた村人の99%が殺されたそうです。彼と2、3名だけが生きのびて西ドイツへ逃げて来たそうです。「酷い話ですね。ソ連を許せませんね」と私が言いました。ブルッシュケル博士は眉毛ひとつ動かさず平然として言います、「ドイツ人はソ連で2000万人を殺したのです」と、それだけを言って沈黙します。
それ以来、ある国の人間達が他国の人間を2000万人も殺すことが可能なのかと自問自答をしていました。この連載の前回の記事でウクライナでユダヤ人50万人も含めて700万人も犠牲になったと書きました。ウクライナだけで700万人です。他に当時のソ連領のエストニア、リトアニア、ラトビア、ベラルーシ、モルドバ、グルジア、そしてレニングラード攻防戦やスターリングラード攻防戦の激戦地域などのロシアを含めると2000万人は決して大げさな数字では無いと思います。私もこの数字を信じています。
ところが堀江豊さんという誠実な日露通訳の専門家が書いていらっしゃいます。「最近のメドベージェフ大統領の指示による調査で、2660万人が第二次大戦で犠牲になったのです」と。そしてこの膨大な殺戮に加担したのはドイツ軍だけで無かったのです。ドイツ軍に同盟国として協力したのは、ブルガリア、ハンガリー、イタリア、ルーマニア、スロバキア、およびフィンランドでした。この戦争の事をロシアは「大祖国戦争」と呼んでいるそうです。
私は戦後の冷戦時代に歴史教育を受けたので、ロシア側から見た第二次世界大戦史を習ったことがありませんでした。東ヨーロッパとロシアにおける戦争は「ソ連とドイツの戦争」という単純な内容ではないのです。以下に引用しましたロシア側から見た第二次大戦の悲劇をお読み、お考え下さいますようにお願いいたします。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
以下の文章の出典は下記のURLの堀江豊さんのブログからです。
http://blogs.yahoo.co.jp/horierussia/18232875.html
『第二次世界大戦ソ連の戦争犠牲者は2660万人、戦没者の再調査始まる』
第二次世界大戦のうちソビエト連邦がナチス・ドイツとその同盟国であるブルガリア、ハンガリー、イタリア、ルーマニア、スロバキアおよびフィンランドと戦った戦争を『大祖国戦争』と呼ぶが、64年経った今、戦死者の数の再調査が始まっている。
1953年、ドイツは自国の戦死者数は650万人で、軍人はそのうち325万人と発表したが、その当時でも、政府の報告書で、『実際の数はもっと多くなるだろう』と試算していた。
現在、公式にはドイツ軍人の死者は553万3000人と計算されているが、今後、さらに増加するだろうと見ている。
ロシアでは1993年に行なわれたロシア軍軍事記念センターのグループ調査により、人口消失は2660万人とされ、この数字は一般に認められている。だが、この死者数のうち戦場での直接の死者がどのくらいかが、『敵を死体で埋め尽くした』かのような、軍指揮者の責任もからんで問題になっている。
最近、メドベージェフ大統領の指示で国防省戦死者記念局による戦死者電子データベース化で、ソ連軍人の戦死数は866万8400人という驚くべき結果が発表された。これは、軍事史の中で『死体放棄』事件の疑いがあるとも言われている。しかも、これは最終的な数字ではなく、10万、20万あるいは30万人が増えるかも知れない。
上に述べたソ連軍戦死者数866万8000人の中にはドイツの捕虜となり、帰還しなかった者と、ソ連軍事法廷で脱走兵として銃殺処刑された者10万3000人も入っている。
また、戦死者記念局の計算では、ソ連軍人の捕虜は約450万人で、そのうち約200万人が帰還したが、大半は捕虜中に死亡し、39万人から70万人が西側諸国、あるいはドイツにとどまるか、捕虜で残った。
来年5月、電子データベースによる大祖国戦争の犠牲者の最終的な数が発表される。
しかし現在すでに、1800万人という、ソ連国民の膨大な犠牲者数が明らかになってきた。しかも、軍に動員され、軍服を着せられた一般人の数324万人は、軍人の戦死者と区別することはできなくなっている。
第二次世界大戦のソ連の戦争犠牲者は人類史上類を見ない驚愕と戦慄を惹き起こす。戦死者と犠牲者の数は正確には永久に分からないだろうと、専門家はみているが、メドベージェフ大統領の指示で、戦没者の電子データ化で、戦没者の数は確実に増え続けていることは事実だ。
堀江豊さん
○略 歴: 駐日ソビエト連邦大使館勤務、ロシア語専門学校卒業、東京都立板橋高校卒業、モスクワ国立大学留学。
? ロシア滞在暦10年以上、ロシア及びCIS?各国歴訪100?都市以上。
?全国知事会ロシア語主任通訳を45年以上勤めている。
?国際会議同時通訳、国際会議、セミナーなど100?以上を組織・実施、コンサルタント暦50年以上続ける。
?主な通訳暦として、ソビエト連邦初代大統領ミハイル・ゴルバチョフ、ソ連・ロシア政府高官、ロシア連邦の各知事、日本の歴代首相、全国の知事、政財界の指導者の通訳を勤める。
?天皇陛下、皇太子殿下の通訳を拝命した。
?航空自衛隊、海上保安庁、裁判所の通訳実績、(以下省略)