皆様へ、
ユダヤ人を助けたのは杉原千畝さんだけではありません。その2年前の1938年、シベリア鉄道でやって来たユダヤ人へ、満州の通過許可を与え、日本軍が占領していた上海租界のユダヤ人街へ送りこんだ高級軍人が居たようです。居たようです、と不確定な表現にしたのは、以下のような2つの資料を発見したからです。
どちらが本当なのか皆様のご意見やご指導をお待ち致しています。
敬具、藤山杜人
満州国境のソ連側のオトポール駅に溜まったユダヤ人5000人を助けた樋口中将のことを、Wikipediaは以下のように書いています。
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1938年3月、5000~2万人のユダヤ人がナチスの迫害下から逃れるため、ソ連~満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅まで避難していた。しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、足止めを食らっていたのである。樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった安江仙弘大佐や河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った(オトポール事件)。樋口は「彼ら(ユダヤ人)の何千人が例の満洲里駅西方のオトボールに詰めかけ、入満を希望した」と書き記しているが、芙蓉書房は彼の手記にある数字を勝手に2万人に改竄している。樋口がナチスの人種差別政策に激しい憤りを抱いていた背景には、ポーランドやドイツに駐在武官として赴任していた際に受けた人種差別が根底にある。ドイツなどでは一般の家庭であっても宿泊を拒否されることがしばしばであったが、一方でユダヤ人の家庭だけは樋口を温かく迎えてくれた。
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(2)、「樋口季一郎中将とユダヤ人・史実編」ttp://homepage2.nifty.com/funi/higuchisijitu.htm に客観的、かつ詳細に検証しています。
その結果、上の記述は助けたユダヤ人の数が多すぎるという検証結果を記述しています。その冒頭部分のみ以下に転写します。
===オトポール事件の史実としての検証=======
話の一つのヤマとなっております樋口中将(最終階級)が満州でユダヤ難民2万人を救った逸話(「オトポール事件」とこの稿では呼称します)の事実関係について少しふれたいと思います。
私もこの話を最初にきいたときは、拍手をおくりたくなるような思いにとらわれましたが、実はこれは少し怪しい話なのです。
といいますのは、このエピソードは、樋口中将自身の手記「アッツキスカ軍司令官の回想録」(芙蓉書房)以外には記述されている書物が見あたらないのです。ほかには光人社から出版されている相良俊輔氏の「流氷の海」がありますが、この本は樋口中将の手記を小説風に描いたものですので、事実確認をとるには無理な本ですし、根拠にはできません。
2万人ものユダヤ人を助けたのであれば、「私はゼネラル・ヒグチに助けられた」という証言者があっていいはずですが、私の調べた限りでは皆無です。ちなみに、かの杉原千畝氏が救ったユダヤ人は6千人といわれていますが、こちらは何人も証言者がおりそういった本も出ています。オトポール事件が事実ならば、杉原氏の3倍以上の人数を助けたことになりますので、それなりに証言者がいていいはずなのですが。
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結論は慎重な態度なので明確には書いていません。しかし、助けたユダヤ人の数は数十名くらいであったと暗示の文章が終りのほうにあります。
(続く)