後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

奇想天外で感動的、美しくて楽しい歌川国芳の版画、肉筆画展覧会のご案内

2010年03月21日 | うんちく・小ネタ

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幕末の浮世絵師、歌川国芳の230点に及ぶ一大絵画展が府中市美術館で開催されています。3月20日から5月9日までです。

004_3 浮世絵といえば美人画、役者絵、武者絵、風景画というふうに限られてきましたが、国芳の絵画は美人画、役者絵、武者絵は勿論ですが、他に江戸の風物、子供の遊ぶ姿、ペットとしての猫の色々、奇想天外な妖怪の絵、隅田川のウナギ取り漁師の絵、そして開港された横浜の風景などと絵画のテーマが幅広いのです。見てまわるだけでその独創性と美しい構図に魅了されてしまいます。

江戸時代の人々の生活が身近に感じられます。家内と一緒に両国橋や佃島近辺の江戸の町をゆっくり散歩して来たような気分になりました。町々には子供たちがいろいろな遊びをしていて賑やかです。

版画や肉筆画をある個人が蒐集したものを分かり易く分類展示してあります。その上、学芸員によるスライドを使った解説講話がありまして大変楽しかったです。

府中市立美術館までの交通はhttp://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/に出ています。撮影禁止なのでパンフレットの写真を示します。是非ご覧頂いて、お楽しみ下さい。(終り)


私共の神父様は求道者です

2010年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今日のミサで使った「聖書と典礼」にはパウロの手紙が印刷してありました。その文章が今日の説教の主題でした。

33年前に山本主任司祭様が神父になるための叙階式がありました。私共の現在の司祭はその時、「神父」になった山本量太郎さんです。叙階式に私も出たのであの時の厳粛な光景を忘れていませんでした。

山本神父の説教は叙階式の記念カードに印刷した文章についてでした。分かり易く言えば、神父になっても一生求道者として生きることの重要さを説明した説教でした。記念カードの印刷文は使徒パウロの手紙からとった文章です。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようとと努めているのです。・・・目標を目指してひたすら走ることです。」

そして33年経ちましたが相変わらず山本さんは一求道者です。カトリック小金井教会を10年以上も導いてきた実績のある偉い神父様ですが、いつも「偉い」という感じがしません。我々と同じ迷える求道者だからです。しかしキリストを信じる「信仰心」は圧倒的に群を抜いています。我々一般の信者は神父様の「信仰心」の強弱を見てついてゆくのです。神父様の学識には関係ないのです。神学上の知識は無論ですが、信仰心が一般信者より圧倒的に強いことが重要なのです。

私が39年前に洗礼を受けた立川教会の塚本金明神父様も一求道者の雰囲気が濃厚な方でした。

今日、教会を出る時、山本神父様が私を呼びとめ、神父になっても求道者であれと教わったのが立川の塚本神父さまでしたと教えてくれました。

そうです。絢爛豪華な法衣を着たローマ法王でさえ一求道者です。ヨハネ・パウロ2世が1981年に長崎を訪問した時、「私は一巡礼者として長崎へ来ました」と言いました。そんな事を思い出しながら今日の山本神父様の説教を聞いていました。

今日は日曜日なのでミサの説教の内容を書きました。カトリックの信仰の具体的なあり方としてご理解して頂ければ嬉しく思います。(終り)

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今日は日曜日、樹木の写真をゆっくりお楽しみ下さい

2010年03月21日 | 写真

神代植物公園の桂の大木の林です。晩秋に甘い香りの落葉が地面を敷きつめます。

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左下が山梨県北杜市の山林の中の小屋の近所の白樺林です。右下は小金井公園のユーカリの大木です。

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下の写真は昨日、武蔵野公園で撮った若々しい緑の葉がでた柳の木です。この近所では一番先に緑の葉が出るのは柳の木です。

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国家の消滅と再興を繰り返す東ヨーロッパ(6)完結編

2010年03月21日 | うんちく・小ネタ

これまで5回にわたって東ヨーロッパやロシアで20世紀に起きた悲劇を書いてきました。第一次大戦によって独立国家になったエストニア、リトアニア、ラトビア、ポーランド、などが第二次大戦で消滅したのです。戦後はソ連の衛星国として独裁者スターリンの圧政に苦しみました。

チェコ、スロバキア、ブルガリア、ハンガリー、ウクライナ、ベラルーシなどの現在の独立国家は1989年のベルリンの壁の崩壊以後に資本主義義の民主国家に復活したのです。

これらの東ヨーロッパ地方は、我々日本人には想像も出来ない深刻な悲劇を体験したのです。その悲劇は二重、三重に重なり民族同士が殺戮しあい、そしてユダヤ人が絶滅収容所で600万人も殺された地域なのです。その実例を少しだけ列挙します。

(1)ポーランドはバルト3国同様にドイツに占領され、その後ソ連に占領され国家が消滅します。ポーランドの軍隊はフランス、イギリスと共にドイツ軍と戦い、一方、ソ連に投降した部隊はソ連軍とともに東側からドイツへ攻め入ったのです。

ドイツ占領中のワルシャワでは地下に潜った抵抗軍が大規模な蜂起をしますが、完全に鎮圧されワルシャワは徹底的に破壊されるのです。

(2)ドイツ占領中のポーランドではアウシューヴィッツ収容所と同じ絶滅収容所が9ケ所も作られ、ポーランドのユダヤ170万人、ハンガリー在住の50万人、そしてウクライナ在住の多数のユダヤ人が殺戮されたのです。

(3)ソ連が占領したバルト3国では、指導的な人々を強制収容しシベリア等へ流刑にしました。その後ドイツが占領すると、住民を徴兵しソ連と戦わせたのです。ソ連が再占領すると同じことを強要したのです。この悲劇はアメリカが占領した日本では想像も出来ない悲劇です。(しかし朝鮮人を徴兵し、アメリカと戦わせた日本も同じ事をしたのです。)

(4)ポーランドとバルト3国は第二次大戦後、ソ連の傘下の共産国家として一応独立をします。しかしポーランドの領土は大幅に削られ、西側へ200km以上も移動させられます。エストニアとリトアニアは領土の東地域は大きく削られソ連領になります。その結果、現在のウクライナとベラルーシは西側へ大きく移動するのです。

これらの国々の現在の国境線は、第二次大戦後のソ連の軍事占領に従って、ソ連が一方的に決定した通り固定されています。もしロシアが日本の北方四島を返還すれば東ヨ-ロッパ諸国の国境線を大々的に引き直さねばならないことになります。ロシアが広大な領地を失います。ですからロシアは絶対に北方四島を返しません。

(5)ポーランドも、ハンガリーやルーマニア、そしてバルト3国などはカトリック教国でした。ウクライナやベラルーシはロシアと共にロシア正教の信仰の篤い国でした。それが共産独裁国家になり過酷な宗教弾圧を受け、聖職者は逮捕、処刑されたのです。日本の江戸時代のキリシタン弾圧と同じことです。その遺恨や信仰上の混乱は現在でも続いています。

(6)独裁的共産国であった地域では人々が怠惰になり汚職が蔓延し市民的モラルが崩壊しました。所謂、「人間の劣化現象」が深刻に起きたのです。一度劣化現象が起きると、正常な人間に戻るのに何十年もかかります。現在の東ヨーロッパ諸国はこの共産主義の悪い後遺症で苦しんでいます。経済発展がうまく行かないのもこの後遺症のお陰です。

20世紀は人類がかつて経験したことの無い大規模な殺し合いをした狂気の時代でした。そして共産主義というイデオロギーが多くの民族を塗炭の苦しみへ突き落したのです。しかし長く続いた冷戦も共産陣営の敗北で終了し、世界は平和になりました。21世紀は大規模な戦争の無い平和な明るい希望の時代です。

しかし前世紀に人類が経験した悲劇の内容を理解し、忘れないことが重要と信じています。二度と悲劇を起こさないように常に努力をするべきと信じています。このシリーズ記事を完結するに当たって人類の平和が何時までも続くことを祈ります。(完)

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