後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

曇り日の桜花の写真です

2010年03月31日 | 写真

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今日は朝から寒い、憂鬱な曇り日です。しかし桜の花が気になって、彼方此方へ行って写真をとりました。武蔵境の桜堤団地、小金井公園、小金井市貫井南町の野川沿いの3ケ所です。肉眼で見ると、美しく咲いていますが、カメラで撮ると、暗い雲の影がさしている写真になりました。下手な写真で恐縮ですが、スモモと桜の写真3枚をお送り致します。(終り)

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北海道の地名の8割はアイヌ語、そして富士山、利根川、能登もアイヌ語です

2010年03月31日 | うんちく・小ネタ

北海道に住んでいる人々は北海道の地名の8割ほどがアイヌ語をカタカナや漢字で表現した地名であると知っているそうです。しかし北海道以外の日本人は意外にこの事実を知っていません。札幌も稚内も石狩川もすべてアイヌ語の地名を漢字で書いたものです。

その上、驚くべきことは、富士山や利根川や能登半島もアイヌ語だそうです。そして神佛などというときの「神」もアイヌ語から来ているそうです。このことは明治時代に、東京帝国大学の教授であったバジル・ホール・チェンバレン教授によって明らかにされたのです。彼は英・アイヌ・和語辞書を作った学者です。

アイヌ人は縄文時代末期まで、関東地方にも広がって住んでいたのです。その後、大和朝廷に少しずつ北方へ追いやられ、江戸時代には北海道(蝦夷地)にだけになりました。しかし本州の関東以北にはアイヌ語の地名をいくつも残して退却していったのです。

話はいきなり飛びますが、アメリカの内陸部の地名、河の名前がインディアン語のものが多いのです。オハイオもそうですが、オハイオ州の河や地名の多くはインディアン語由来のものです。先住民は消えて行いきます。しかし先住民から受け継いだ貴重な名前を軽々しく変更すべきではないと信じています。

最後に参考資料として、「北海道の地名・駅名」についての資料を付記しておきます。

「北海道の地名・駅名」というキーワードで検索すると、北海道のアイヌ語由来の地名をカタカナや漢字で表すときの一般的な規則らしいものが分類され出ています。

=========Wikipediaの「北海道の地名・駅名」より抜粋======

北海道の地名・駅名は、概ね以下のように分類できる。

  • アイヌ語に由来するもの
    • アイヌ語に日本語(漢字)表記をあてたもの
    • アイヌ語をそのまま使用しているもの
  • 内地からの開拓・入植に際して地名が決められたもの
  • 周辺に存在した施設・自然状況、あるいは周辺の風土などから命名
  • 上記によって定められた地名・駅名に、方向や大小などの接頭語・接尾語をつけたもの

@アイヌ語に由来するもの

アイヌ語地名に日本語風の地名・駅名につけるにあたっては、以下の方法が見られた。

  1. アイヌ語に漢字の表記をあてたもの
  2. アイヌ語の音に漢字をあてずカタカナで表記しているもの(日本語を割り当てていない)

@アイヌ語に漢字表記をあてたもの

老者舞(おしゃまっぷ)
(釧路町老者舞集落入口にある標識)

漢字の当て方には、次の2通りが見られる。

  • 音訳 - アイヌ語の「音」を流用し、漢字を当て字(仮借)したもの
  • 意訳 - アイヌ語の「意味」を解釈し、似た意味の日本語を割り当てたもの
音訳したもの

音訳の例としては、「ホッキ貝の多い所」を表す「ポク・オ・イ」からとった母恋や、「川口の汚染された所」を表す「オ・トイネ・プ」からとった音威子府・音稲府(枝幸町)などがある。また、アイヌの地名をそのまま日本語地名としては冗長であったりごろが悪かったりする場合には一部短縮・省略したものもある(オペレケレケプ->帯広、ピウカ->美深))。

これらは音のみに着目した「当て字」である。漢字表意文字であるが、あてられた漢字の意味にアイヌ語原義との直接的な関連性があるとは限らない。例えば、道内に数多く見られる「内」「別」は、それぞれアイヌ語で川を意味する「ナイ」「ペツ」に当て字されたものであり、「内側」「別れる」の意味は持たない。同じように「幌」は「大きい・広い」を意味する「ポロ」の当て字で、「幌」の字の持つ意味とは関係がない。

========以下省略==================


アイヌ民族は1912年には北海道に先住民族として実在していました

2010年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

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(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C)

1947年の頃、私は仙台の郊外の開拓に住んでいたアイヌの少年と遊んでいました。ほんの2年たらずで色白のアイヌ少年が何処かに引っ越して行ってしまいました。気だての優しい子で、いつも静かな黒い瞳で私を見ていました。それ以来、アイヌという民族へ関心があり、いろいろな本を読みました。北海道を旅した時は旭川や平取では観光客の為のアイヌも訪問しました。

昨日、ヨットのキャビンの本棚で、以前に読んだアイヌに関する本を見ました。これは是非、皆様へもご紹介したい本です。1912年にチェコのヤン・ハヴラサという旅行家が北海道のアイヌを訪ねて撮った写真が沢山掲載されています。1912年のアイヌでは伝統的なアイヌの衣装を着て生活をしていたのです。独立した民族としての最後の頃の写真が多くあります。日本人はこの全く違う文化を持った他民族を消し去ったのです。現在は2010年。丁度100年位後です。多くの日本人はアイヌが北海道に堂々と住んでいたことを忘れてしまいました。しかしたまにはアイヌ民族のことを思い出してみることも良いと信じています。日本人も多民族を犠牲にして発展して来たのです。どうしようもない人間の悲しさが感じられます。

その本は、ヤン・ハヴラサ著、長与進訳、「アイヌの秋ー日本の先住民族を訪ねて」という本です。未来社から1988年9月に第一刷が発行され、1994年1月に第3刷が発行されています。(終り)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人