アメリカでひどく感動したことはチャレンジすると周りの人々や社会が応援したり、経済的に支援したりする事です。このことは日本の社会と本質的に違うと思います。このような社会なので世界一の国になれるのだと信じています。
アメリカ社会では昔から機会均等、チャレンジすればチャンスはいつでも有る。周りの他人が本気で応援します。昔からのコネや人脈を使うのは卑怯なことだと忌み嫌れます。そんな素晴らしい社会なのです。アメリカ社会にも暗部はいくらでもありまする。でも、以下のような体験は、現在の日本の若者にも参考になるに違いないと信じています。
熱心に研究するから引き受けて下さいという手紙をセント・ピエール先生に送りました。すぐにOKという返事が来て、1960年、オハイオ州立大学のセント・ピエール教授のところへ行くことになった。 お金が無いから高等教育が受けられないというのが日本の実情。太平洋の向こうでは自分で自分を売り込めば、学費と生活費は大学側でだしてくれる社会なのです。
◆人脈やコネを使わないで月給と研究費は自分でチャレンジして稼ぐ
後にこのセント・ピエール教授がオハイオの材料科学の学科主任になった。1988年に客員教授として呼んでくれた。着任した最初の日に主任が言う。
「一年間、月給は10ケ月だけ出します。2ケ月は休むなり働くなり自由にしてください。最初の一年の研究費は学科で出します。しかし二年目からは自分の月給と研究費は外部の会社や軍隊の研究所から貰って来てください」「先生、そんなことは無理です。アメリカでは人脈も無いので一年以内に外部から研究費など持って来られません」。
セント・ピエール教授の目が静かな怒りでキラリと光り、筆者の顔を見つめながら言う。
「古い人間的なつながりを利用して経済的な利益を得ようとしてはいけない。その考えが社会を腐敗させるのです。研究費を貰うには人脈やコネを使ってはいけません。将来の研究計画をきちんと書いて先方に送り、会う約束を取り付けて自分の研究がなぜ先方の役に立つか明瞭に説明して研究費を貰いなさい。」「手紙を送る相手の名前も住所も知らないし、昔の友人に頼んでもいけないのですか?」
「君の研究内容に興味を持ちそうな人の名前と住所はあとで沢山教えるよ。しかし友人を使うのは止めなさい。自分の経済的利益の為に友人を使えばアメリカでは友人がいなくなりますよ」「人脈やコネが重要な国は良くないとおっしゃるのですね?」「いや、そのような文化の国も尊重します。でもアメリカは違うのです。いつも新鮮でダイナミックな社会を維持するにはアメリカでは人脈を排除しているだけなのです」
◆日本での就職・転職先の探し方の変化に見る社会の変化
就職・転職先はどのようにして探すか?人生の一大事。
その方法がその国の文化の性質を浮き彫りにしている。両親や学校の先生に頼る。人脈やコネを使う。それが望ましい方法であると周りの人が言う。社会からも歓迎される。昔の日本はそうだったのです。
第2次大戦後のしばらくは人脈やコネの重要さが戦前とあまり違わない。第2次大戦後、日本で軍隊は無くなったが、人間関係はあまり変わらなかった。
社会の変革をしないで、工業技術のみ追いつき追い越せ。こんな風潮でした。
しかし1990年前後のバブル経済の崩壊によってこんな日本の社会も変り出したのです。特にインターネットの普及が社会の変質を加速すたのです。就職情報、転職情報がインターネットで隆盛を極め、その勢いは人脈やコネという言葉を廃語にしてしまいました。
ある人々は非常に淋しい思いでそんな変化を嘆いています。しかし、社会の公平性の前進という視点でみれば良いことではないだろうか?そして何よりもチャレンジする人々を支援する社会になれば日本人の独創性も伸び、経済不況も消えて無くなるのです。
就職・転職の仕方が変わったから日本の伝統文化も無くなるという議論は浅薄すぎると思う。
日本の社会の倫理性が向上したと理解すれば幸せになる。(続く)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人