このブログではキリスト教の話題を時々取り上げます。しかし一度も信者になったほうが良いですと勧誘したことはありません。信仰の道は他人に勧められて入るものではないと思っているからです。昔の友人の多くは私が中年になってからカトリックの洗礼を受けたことを知りません。久しぶりに会ってビールなどを一緒に飲むとキリスト教の悪口を言う人が時々います。
「クリスチャンは猫なで声で親切そうに話す偽善者ばかりなので大嫌いです。第一、ヨーロッパの連中は宗教が原因で殺し合ったり、戦争をして来たではありませんか?宗教は人間へ害毒を流します。無宗教が一番良いのです!」ーーーまあ、このような論旨です。納得しますとあいづちを打ち、反論をしません。しかし偽善者のクリスチャンにしか会ったことのない友人の不運へ深い同情を覚えます。
”ヨーロッパの連中は宗教が原因で殺し合ってきた”という話も歴史的な事実です。反論の余地はありません。昔の友人は私へ宗教が原因で他人と争ってはいけませんと忠告してくれているのです。とても有難い話として静かに聞くべきで、声を大きくして反論をするのは愚かなことです。
日本人の多くは無宗教が良いとよく言います。それは一つの考えであり尊重すべきことと思っています。しかし時々、キリスト教のことを勉強したいので適当な本を数冊教えて下さいという依頼を受けます。あるいはチョット教会へ行ってみたいのですが何処が良いでしょうかとも聞かれることがあります。本のほうは簡単に答えられます。文庫本の「教養としてのキリスト教」とか「聖書入門書」とかを3冊ぐらい上げます。それから遠藤周作の本を2、3冊教えます。「沈黙」という小説は少し難しい内容なので後で教えます。
何処の教会へ行けば良いのですか?この質問は難問です。しかし一般論的には次の段階を経てキリスト教へ近づくと自然な気持ちで入ることが出来ると思います。
(1)自宅から便利に行ける所の、なるべく大きな教会の日曜日のミサや礼拝に試験的に出て見る。例えば東京のJR中央線沿線にお住まいの方なら四谷駅前の上智大学の入り口にある聖イグナチオ教会へ行く。あるいはお茶の水駅のそばの日本正教会のニコライ堂へ行きます。大きな教会は人数も多いので初めての人々も多く、不審がられないからです。そして急にいろいろ干渉されない自由さが有難いのです。
(2)その大きな教会の掲示板を見て、「聖書の勉強会」の日時を調べ、毎週、1、2回出席してみます。大体、神父様や牧師様が教えてくれますが、運が良ければ素晴らしい指導者に巡り合えます。そしたら何回も勉強会へ出て、「いずれ洗礼を受けたいのですが」と相談をします。
(3)その相談のあとは指導者も本気でいろいろな話をしてくれます。そんな期間が数カ月過ぎたら洗礼を受けるか、延期して一休みするかを気軽に考えるのです。無理は一番いけません。気軽に考えてイエス様に呼ばれていると思ったら洗礼を受ければ良いし、まだ呼ばれていなければ延期するだけです。その時、洗礼をせっつくような指導者なら止めた方が良いのです。
(4)さて洗礼について日本人は抵抗感を持つのが普通です。一千年以上にわたって日本は仏教国だったので洗礼へ抵抗感を持つのが当たり前です。それを感じないようでしたなら日本人として育っていなかったのでしょう。さてこの抵抗感の解決方法はあるのでしょうか?
(5)簡単です。従来通りお寺へ行って墓参りもする。神社では家内安全の御祈りもする。神式でも佛式でもお葬式へは義理堅く参列することに決めれば良いのです。そんな事をしたら破門だという教会があったらこちらからご縁を切れば良いだけの話しです。この辺を日本人は誤解をしていて、クリスチャンになったら先祖代々の墓参りも出来なくなると狭量に考えている人がいます。家族や親類に不快感を与えるような愚か者をイエス様が喜ばれる筈が無いのです。
(6)キリスト教のある宗派で洗礼を受けたら他の宗派に変わることが出来ますか?これも簡単です。たとえばプロテスタントからカトリックへ、またその逆もできます。このブログで昨年11月に何回かの記事でご紹介した日本正教会のニコライ堂の伝教師の金田一豊さんはカトリックの聖職者から正教会へ変わった方です。その理由も11月のこのブログの記事でご紹介いたしました。
(7)洗礼をうけたが数年して教会へ行くのを止めてしまったのですが、それで良いでしょうか?こういう場合はそのまま自然にしていれば良いのです。イエス様が呼びもどしてくれるのを待っていれば良いのです。信仰を持てば、「完全な自由な境地」に入ることが出来るかもしれません。
(8)信者は聖書に書いてあることを皆本当のこととして信じているのでしょうか?答えは簡単です。疑う時があります。四六時中信じている訳ではありません。しかし確信を持って信じることの出来る瞬間があるのです。それが信者というものです。
以上は思いつくままに書いたものです。ご参考になれば嬉しくおもいます。下の挿絵の写真の白鳥の一家のように思い煩わないで全てを神様にまかせてしまえば楽になります。(終り)