周りの人々へ時々、「私はキリスト教の信者です」と言います。すると親しい人の中には、「私は宗教は嫌いです!宗教は戦争の原因になるから嫌いです!」とニベも無く言う人がいます。「そうですか。そうですね。」と答えて話題を変えます。キリスト教の欧米諸国が宗教の理由で数多くの戦争と殺戮をして来た歴史上の事実は否定出来ません。
昨年11月の読売新聞の「時代の証言者」という連載記事でヨゼフ・ピタウさんの話が二十数回続きました。日本人はキリスト教は宗派の対立が激しすぎると非難します。キリスト教の排他性が原因で対立が起きますとも非難します。この非難に対して明快な答を与えています。
11月17日の「時代の証言者」にはこう書いてあります。
(1)ヨハネ・パウロ2世はキリスト教の全ての宗派を再び融合・統一する努力をした。
例えば聖ピエトロ寺院での祭祀にはイギリス教会(聖公会など)のカンタベリー大主教と東方の正教会のコンスタンティノポリス総主教と一緒に司祭しました。
東方の正教会とはギリシャ正教、そしてロシア正教、日本正教会などを含みます。
2000年前のイエス様のころはこれらの別々の宗派は存在しなかったのです。その状態へ戻し、正しいあり方に復帰しようとする運動をエキュメニズム(教会一致促進運動)と言います。ヨハネ・パウロ2世は、別々の宗派の存在がキリスト教としてあるべき状態でないという強い信念を持っていたのです。
(2)キリスト教が犯した排他的な殺戮の大罪を認め、謝罪し、神に許しの祈りを何度もした。
十字軍のイエスラレム奪還の為の遠征と殺戮、それも正教徒も殺戮した大罪。ガレリオ・ガレリイなどの科学者の裁判、魔女狩りと種々の異端裁判、宗教戦争などなど日本人の常識から見て明らかな大罪をローマ法王として始めて公式に認めたのです。
その上、その大罪の許しを神へ祈ったのです。特に2000年(キリスト生誕2000年の大聖年)の3月の許しを求める祈りは壮絶だったそうです。体力が衰え倒れそうな体で長時間、ひざまずいて祈ったそうです。(2005年に亡くなりました)。
日本人の常識ではキリスト教が戦争の原因になっているとしか見えません。
しかし洗礼を受けて信者になってみると違う理解になります;
「人間はどんな理由でも戦争をする。他民族を殺戮する本能を持っているからそうするのです」、
そして「キリスト教が原因ではないのです。ただ戦争の口実にキリスト教の名を利用するだけです」と理解できます。
ですからヨハネ・パウロ2世の神に許しを求めた内容は2つに分けられと自分は考えています。十戒の一つの殺人を大量にした罪。その殺人の正当性を主張するために、それを禁じていたイエス・キリストの名前を勝手に使った大罪。この二つを一緒にして神の許しを祈ったのだと、私個人は理解しています。
ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の日本へ来た時の話などは続編に書きます。此処までお読み下さった方々へ感謝いたします。(続く)
下の写真は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時のローマ法王の写真です。(2005年4月2日、84歳で旅立ちました。)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人