後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

独立国、北朝鮮が潜水艦で韓国の小型軍艦を撃沈

2010年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

今日、韓国の小型軍艦が沈んだ原因の国際的原因究明の結果が、正式に発表されました。北朝鮮の小型潜水艦が韓国の軍艦を北の領海近辺で、魚雷を発射して撃沈したという発表でした。下にアメリカの小型潜水艦の写真を示します。出典はWikipideaの「潜水艦」の項目の写真です。

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これを見ると北朝鮮が独自に、そして自由気ままに軍事力を使っています。外交交渉の上でもアメリカや中国に対立して核兵器開発の自由を手中に収めつつあります。このように自国だけの判断で、軍事力の行使が出来、外交交渉でも大国に屈しない国があるのです。こういう国を真の独立国家と言います。このグローバル化が進んだ今日でも北朝鮮のような冒険主義に満ちた独立国家が存在しているのです。この事実は、アメリカの勢力圏に組み込まれている日本人にとって驚異であると同時に、非常に大きな脅威です。

戦前の日本も似たような独立国家でした。自由勝手に、朝鮮を併合し、満州国を作り、それに反対するアメリカを撲滅するために真珠湾攻撃をしたのです。北朝鮮が破れかぶれになって核弾頭をつんだミサイルを同時に何発も韓国と日本の都市へ撃ち込む可能性があります。それを避ける為に、はたして鳩山さんは何か外交政策を展開するつもりなのでしょうか?彼の起こした普天間騒動を見ると、私は諦めています。皆様はどのようにお考えでしょうか?心配ではありませんか?(終り)


キリスト教の排他性を打破しようとしたヨハネ・パウロ2世の勇気

2010年05月20日 | うんちく・小ネタ

周りの人々へ時々、「私はキリスト教の信者です」と言います。すると親しい人の中には、「私は宗教は嫌いです!宗教は戦争の原因になるから嫌いです!」とニベも無く言う人がいます。「そうですか。そうですね。」と答えて話題を変えます。キリスト教の欧米諸国が宗教の理由で数多くの戦争と殺戮をして来た歴史上の事実は否定出来ません。

昨年11月の読売新聞の「時代の証言者」という連載記事でヨゼフ・ピタウさんの話が二十数回続きました。日本人はキリスト教は宗派の対立が激しすぎると非難します。キリスト教の排他性が原因で対立が起きますとも非難します。この非難に対して明快な答を与えています。

11月17日の「時代の証言者」にはこう書いてあります。

(1)ヨハネ・パウロ2世はキリスト教の全ての宗派を再び融合・統一する努力をした。

例えば聖ピエトロ寺院での祭祀にはイギリス教会(聖公会など)のカンタベリー大主教と東方の正教会のコンスタンティノポリス総主教と一緒に司祭しました。

東方の正教会とはギリシャ正教、そしてロシア正教、日本正教会などを含みます。

2000年前のイエス様のころはこれらの別々の宗派は存在しなかったのです。その状態へ戻し、正しいあり方に復帰しようとする運動をエキュメニズム(教会一致促進運動)と言います。ヨハネ・パウロ2世は、別々の宗派の存在がキリスト教としてあるべき状態でないという強い信念を持っていたのです。

(2)キリスト教が犯した排他的な殺戮の大罪を認め、謝罪し、神に許しの祈りを何度もした。

十字軍のイエスラレム奪還の為の遠征と殺戮、それも正教徒も殺戮した大罪。ガレリオ・ガレリイなどの科学者の裁判、魔女狩りと種々の異端裁判、宗教戦争などなど日本人の常識から見て明らかな大罪をローマ法王として始めて公式に認めたのです。

その上、その大罪の許しを神へ祈ったのです。特に2000年(キリスト生誕2000年の大聖年)の3月の許しを求める祈りは壮絶だったそうです。体力が衰え倒れそうな体で長時間、ひざまずいて祈ったそうです。(2005年に亡くなりました)。

日本人の常識ではキリスト教が戦争の原因になっているとしか見えません。

しかし洗礼を受けて信者になってみると違う理解になります;

「人間はどんな理由でも戦争をする。他民族を殺戮する本能を持っているからそうするのです」、

そして「キリスト教が原因ではないのです。ただ戦争の口実にキリスト教の名を利用するだけです」と理解できます。

ですからヨハネ・パウロ2世の神に許しを求めた内容は2つに分けられと自分は考えています。十戒の一つの殺人を大量にした罪。その殺人の正当性を主張するために、それを禁じていたイエス・キリストの名前を勝手に使った大罪。この二つを一緒にして神の許しを祈ったのだと、私個人は理解しています。

ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の日本へ来た時の話などは続編に書きます。此処までお読み下さった方々へ感謝いたします。(続く)

下の写真は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時のローマ法王の写真です。(2005年4月2日、84歳で旅立ちました。)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人

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