
昨日は日本人が失った貴重な財産として自己犠牲や忠誠心を重要視する精神文化を書きました。失うものがあれば得るものがある。人間世界の原理原則です。失った大切なものばかりへ目をやって、新しい時代を非難するのは高齢者の偏見です。悲しい偏見です。
戦後、経済の成長期を通うしてアメリカ文化の影響が入ってきて、少しずつ組織より個人を大切に思うようになって来ました。しかしその速度は非常に遅々たるものでした。日本では個人より組織を重視する社会だったのです。
日本の復興と高度成長は、官僚組織主導による大会社中心の大量生産・大量輸出という組織的な活動で成功したのです。中小企業は親会社の傘下になり、産業界は強固な上下関係の組織になっていたのです。その上に君臨していたのは経済産業省(元の通産省)などの中央省庁でした。政府は日米安保や国連との関係など外交と防衛問題に力を注ぎ、経済活動は大会社中心主義の民間企業へ任せていました。そして、収益を上げた企業は土地投機に走りバブル経済が続いたのです。ニューヨークのタイムズスクエアの土地や建物を日本の会社が買って物議をかもしたのもその頃です。しかし1990年頃このバブル経済が一挙に崩壊したのです。大会社の凋落が起き、中小企業が傘下を離れ、個人の起こすベンチャー起業が盛んになったのです。中央官僚組織主導の大会社中心主義は一挙に瓦壊したのです。
個人の考えよりも会社の中の組織の団結を重視して来た日本の精神文化も崩壊します。転職が盛んになりました。大会社がつぶれそうになって転職をせまったからです。本人にとって辛いことです。中年過ぎてからいきなり放り出されるのですから。
しかし転職が盛んになった結果、人々は本気で自分の人生を自分で設計し始めたのです。これが団体より個人を大切にする文化へ変化する引き金になったのです。欧米型の文化になってきたのです。これを貴重な精神文化にするためには注意深い考えが必要です。個人を重要視することの危険性と、それがもたらす善い結果についてもう一段、考えを深化させねばなりません。この問題は続編で稿を改めて書きたいと思います。
1990年頃のバブル経済の崩壊によって日本人が貴重な財産を持つことになったのです。それは組織より個人を大切にする新しい精神文化を意味します。一人一人が真に自由に人生を考えて生きて行ける社会になったのです。戦後45年でやっと真の民主主義という財産を持つことが出来たのです。
1990年前後とそれに続く長い不況で多くの悲劇が起きました。悲しいことが身の周りにも起きました。しかしそれを乗り越えて新しい文化が生まれたのです。もう一度立ちあがる人々も沢山います。日本は明るい元気な社会になると信じています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人