後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

熊笹の広がる平林寺の雑木林の写真をお楽しみ下さい

2010年05月25日 | 写真

先日、平林寺を散策していましたら一面に熊笹の広がっている雑木林がありました。南アルプスの甲斐駒に登ったとき中腹にそのような所があったのを思い出しました。熊笹は葉の周りが白くなっていて美しいと思います。好きな植物の一つです。熊笹のお好きな方へ3枚の写真をお送りいたします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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階級社会のイギリスへ帰化した日本人家族が体験した差別と区別

2010年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

現在は辞めてしまいましたが、以前、趣味人倶楽部に英香さんという方が居ました。日本人のご主人がロンドンで事業を起こし、奥さんの英香さんともどもすぐにイギリスに帰化し、イギリス人になりました。そして一人娘を出産し、イギリスで教育を受け、イギリス人になりました。

その英香さんは才媛で明快な文章を何度も趣味人倶楽部で発表していました。倶楽部を止める前にお願いして幾つかの文章をこのブログで掲載させて頂きました。

今回の記事はその最後の転載です。転載を許可してくれた英香さんに感謝して、ご一家のご健康と平和をお祈り致します。

======英香さんの日記より=============

私が英国に住んでいると知ると、心配そうな顔をして「人種差別はありませんか?」と聞かれる事がよくある。

現在も階級社会が存在し、この地球上で最もそういう空気を漂わせている国であったから、英国に住むと決まった時、私も多少なりともその事は脳裏をかすめた。実際英国に住んでみると「差別された!」と嘆く人も少なからず居る。

ただこれは、英国のどの地域で、どのような立場で、そして何人として住んでいるかによっても、感想は大きく違ってくるような気がする。だから、あくまで日本人の私の立場で・・・としか答えようはないのだが・・・『人種のるつぼ』と言われるロンドンの街で、旅行者の立場で訪れた日本人が、差別を意識する場面に遭遇する事はまず無い。限られた期間駐在員の立場で暮らした時も『個人的な』被害は無かったような気がする。ただ、永住者として英国の地に深く根を下ろした時、それまで見えなかったものが見えて来る事はあった。

地元密着型の商店で、明らかに自分より後から来た英国人客を優先したなどと言う事は、良く耳にする些細な事例であるが、車の接触事故を起こされた被害者である友人が、裁判になった途端、目撃者の英国人が証言を翻して加害者の英国人の肩を持った為、被害者の友人が有罪の判決を受けた等と言う話になると、笑い事では済まされない。
特に私が英国に住み始めた頃は、実は凄まじい『ジャパン・バッシング』の時期と重なった。

TVを点けると夜のゴールデン・アワーの時間帯に戦争映画が放映される事が多く、日本兵が残虐な殺戮を繰り返す場面が殊更強調されるような映像が毎日のように流された。日本人の俳優であったら高いギャラを積まれてもやりたくない様な日本兵の役所は、どう見ても中国人そのままの俳優が憎憎しげに日本兵を演じる姿は、むしろ滑稽でもあった。

世界でも超一流と称されるロンドンのボンドストリートの有名店に、スニーカー姿の日本人観光客が団体で押し寄せ、高価なブランド品を買い漁る姿は度々新聞やTVに取り上げられ、酷評されると同時に失笑を買った。

極めつけと言えば、天皇皇后両陛下のロンドンご訪問でのパレードの最中、退役軍人とその遺族達がお馬車が通過するその瞬間、最前列に集団を組み、一斉にお尻を向けて抗議行動に出た事があった。ご訪問決定直後から、日本の戦争責任問題を追及する記事を連日のようにニュースに流していたマスコミ各社は、ここぞとばかりに翌日の新聞一面にデカデカとその瞬間の写真を掲載し、TVは悲しそうに伏目がちにされた両陛下のお顔を繰り返し放映した。
こんな事があった数日間は、さすがの私も、近所の人と顔を合わせないようにコソコソしている自分が情けなかった。

日本人ビジネスマンが、名門ゴルフ場で(コンペ等で)集団で大騒ぎする姿が顰蹙を買い、以降日本人の入会を拒否する倶楽部が続出したなど、こんな事例を挙げ出したらきりが無い程・・・この時期ほど自分が日本人である事を痛感し、恨めしく思った事はなかった。

ただ、こうしたバッシングを受けた為に、ある事実に気がついた。
当初私は『人種差別』と聞くと、白人至上主義の国における有色人種の受ける差別の事しか念頭に無かったが、むしろ日本人固有の行動習慣や、それ以上に、過去の戦争による英国人の心に刻まれた深い傷跡が、その背景にある事を知った。折りしも、日本がお金にものを言わせて世界中を買い叩いていた時期でもあったから、尚更、出る杭が打たれた事も事実であった。

それが証拠に、今はそのような『ジャパン・バッシング』の陰も形もないし、殊更日本人をターゲットにしたマスコミの記事も報道もない。もはや日本は、叩くに値しない程の国力に成り下がったのかも知れない。英国人は妥協を知らない国民である。

あくまで持論を主張するが、一旦納得すれば尾を引かない、誇り高き大人の集団でもある。

英国での子育ての過程で、子供が学校側から差別を受けた事は全く無かったし、むしろ理数系に強い日本人の子供達は、英語も出来ない内から英雄扱いされ、先生達は人種にかかわらずその子達の能力を更に伸ばす努力を惜しまなかった。

娘が、その時々で最高峰の教育のチャンスを与えられたのも、そんな教師達の並々ならぬ指導のお陰だったと感謝している。

英国は、今では私にとって世界で一番住みやすい国になった。ただ、一つ付け加えなければならない重要な事は、英国には差別はともかく『区別は』間違いなくある・・・という点である。

住む地域や学校、街中の酒場に至るまで、見えない糸に区切られて、しっかりと区別されている事である。「階級社会とは互いに無用な摩擦を避ける為の『差別』ではなく『区別』なんだ・・・」と力説していた英国人の友人の言葉が、深い意味を持っているようで、印象に残った。(終り)


国家の崩壊(5)昭和7年から始まった軍部独裁が敗戦を招く

2010年05月25日 | インポート

日本は明治維新以来、急速に近代国家になる努力をして来ました。急がなければ西欧列強の植民地になる恐れがあったのです。近代国家としてのいろいろな法整備や政治組織や官僚組織が調和して進歩したのではなく、いろいろな分野がバランスを欠いていたのです。例えばシビリアンコントールの欠如が軍部の独走を招きました。そして敗戦後は、その反作用として戦後の日教組の跳梁が可能となったと見るのが自然な理解の仕方ではないでしょうか?

前回の国家の崩壊の記事は、国家の崩壊(4)戦後の日教組の反戦教育が日本人から愛国心を奪ったでした。

敗戦後、ソ連の共産党に結びついた日教組が反戦教育を徹底したお陰で日本人から国家意識も愛国心も消滅し、国家としての大きな弱点を抱えることになったのです。ヨーロッパの資本主義国では小学校、中学校や高校の教育にソ連の影響があったとは寡聞にして聞いたことがありません。

この日本特異の現象は戦前の軍部独走が人々を悲惨のどん底へ落とし入れた事実に深く関係していると考えざるを得ません。

軍部独走は昭和7年の5・15事件に始まり、昭和11年の2・26事件へ続いたのです。中国大陸における関東軍の勝手な侵略戦争がやがて日独伊三国軍事同盟へ発展し、真珠湾攻撃へと続くのです。

しかし昭和20年の敗戦によって明治維新以来、営々として築き上げてきた日本帝国が崩壊したのです。

日本の敗戦は勿論大きな悲劇です。しかしその悲劇は戦後における日教組の勢力拡大という弊害を招き、2重の悲劇となって日本を襲ったのです。その影響は甚大で現在に至るまで尾を引いています。

日本にあるアメリカ軍の基地を将来どのようにすべきかという国家としての基本的な戦略を立てる能力が日本人に無くなってしまったのです。日本がアメリカの隷属国を脱して、独立国家にろうという意思も無いし、その方法も考えていないのです。

私はそろそろ全ての日本人がこの問題を正視して、真剣に取り組み出す時期に来ていると信じています。それは普天間基地を沖縄北部へ移転させることよりも、日本の将来にとってもっと重要な問題だと信じています。

吉備野禅三さんはそのブログ(http://zenmz.exblog.jp )で昭和7年の5月15日に起きた5・15事件を詳しく紹介しています。以下にその冒頭部分だけご紹介いたします。詳しくは吉備野禅三さんのブログをご覧下さい。(続く)

★ 今日は、日本の現代史で特筆されるべき殺人テロ【5/15事件】記念日です。
 77年前の昭和7年(1932)のこの日、国家改造・軍部政権樹立を画策した旧海軍青年将校らが首相官邸を襲撃して犬養毅首相を射殺しました。
★ 実は、犬養首相は岡山のご出身です。その生家は我が家から南へ車で40分、岡山市内西部の庭瀬(にわせ)というところにあり、現在も大切に保管されており、隣接して「犬養木堂記念館」が建っています。
★ 毎年、受難日の今日、「木堂祭」がここで開催されますが、ことしは午後2時から、木堂研究家で倉敷芸術科学大学の時任英人教授が「犬養木堂・健・道子」の演題で記念講演がありますので私も出かけたいと思っております。今の私たちに「5/15事件」の教訓は非常に大切です。
★ この事件は、その後の日本現代史の展開に決定的な役割を演じました。
 翌日、内閣は総辞職し、替わって海軍大将を首班とする”挙国一致”内閣が発足しました。明治維新以後の政党内閣制は崩壊し、日本は軍部が牛耳る軍国主義国家に衣替えしたのです。

=======以下省略。4編のシリーズ記事へ続きます===========