後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ハッと胸つかれる彫刻を発見しました

2010年05月29日 | 写真

002 所沢の航空公園を散歩しているとき突然、芸術的な香りの漂う彫刻を発見しました。

左の写真です。3人の少年が何故か悲しそうに空を仰いでいます。真ん中に大きな鳥の翼を抱えて立っています。

ここには敗戦まで陸軍飛行場があったのです。

しばし見とれてから説明板を見ました。3人は少年整備兵でした。我々のような年配の者にはすぐに分かります。

地味な整備の仕事をしている少年兵は目立たない存在です。自分の整備した戦闘機に乗って同じ年頃の少年が特攻隊として飛び立って行く姿を悲しげに見上げているのです。

これを創った彫刻家の特攻隊への限り無い慈しみの気持ちが整備兵の顔を通して表現されているのです。私にはそのようにしか感じられませんでした。悲しい作品です。

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3人の少年整備兵の彫刻を造った人は長沼孝三という方です。山形に、上の右の写真のような記念館があります。長沼孝三彫塑館は山形県長井町にあり、詳しくは、http://www.j-1.net/j-1/kikaku/museum/naganuma/naganuma.htm をご覧下さい。

尚、長沼孝三さんの紹介文を以下に転載致します。

明治48年、長井市の丸大扇屋と呼ばれた商家に生まれた長沼孝三は、昭和6年に東京美術学校(現東京芸大)を卒業し、昭和初期のモダニズムを彫刻で実験的に表現、現代具象彫刻の先進的気鋭として評されてきた。その作品は、日本独自のデザイン感覚に根ざしたフォルムを追求しており、底辺に一貫して流れるのは、母子像に代表される清新な人間愛、慈愛である。氏の生家である丸大屋敷は、隣接する明治の旧郡役所の跡地を含め、歴史空間を活かし文教の杜として整備されており、長沼孝三彫塑館は、その一角に建てられている。 館の収蔵品は466点、他にコレクションの郷土玩具、所蔵の書籍も寄せられている。(終り)


鳩山首相の選挙事務所にある茶室の不思議

2010年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

鳩山さんの選挙区は北海道の室蘭市で、そこに住んでは居ない形式的な自宅と大きな事務所があるそうです。その事務所の最上階に本格的な茶室があるそうです。

その不思議な話へ入る前にまず2つの茶室の写真をお楽しみ下さい。

Wikipedeaの茶室http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E5%AE%A4)より、転載させて頂いた兼六園の茶室、夕顔亭(上の写真)と大胆な丸窓がある高台寺遺芳庵(下の写真)です。

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鳩山さんは想像を絶するお金持ちなのです。私の友人から先日聞いた話です。若い鳩山さんが初めて自民党から衆議員へ立候補するとき、選挙を手伝ったそうです。その頃の事を良く知っていました。室蘭市の繁華街にいきなり3階建の立派な鳩山事務所のビルを建てたそうです。初めての選挙で応援する人々がいささか殺気立っているのに本人はヒョウヒョウとしています。最近の普天間騒動をご覧になるとご想像がつくと思います。そして鳩山事務所に行くと3階にゆったりした茶室があったそうです。水屋つきの本格的な茶室です。人々はすっかり吃驚してしまったそうです。

千家が京都から茶室専門の腕の良い大工さんを斡旋してくれたそうです。本人が茶道の達人という話はマスコミに出ていません。きっと毎月巨額のお小遣いをくれる母上の趣味なのでしょう。北海道にも茶道の好きな人がいるから茶会へ招いて投票をお願いしようというのでしょうか?なにか茶道の精神から遠く離れたことです。

お金があるからという理由だけで首相になれたのではありません。政治家としての家系が良かったというのも大きな理由です。その上、八方美人で誰にでも愛想がよいのです。

それにしても政治の世界はなにか間違っていませんか?民間では家系がどんなに立派でも本人に能力が無ければ偉くなれません。決断力と実行力が無ければトップになれません。不思議です。鳩山さんも不思議なお人ですが、政治の世界の不合理さ、不思議さに驚いています。それだけの話です。済みません。(終り)


日本人が失った貴重なもの(2)家族のきずなと故郷

2010年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

001 あなたには毎年帰る故郷がありますか?あなたの帰りを待っている祖父母が居ますか?楽しかった幼少の頃を思い出して懐かしく思っていまか?

多くの日本人が心の宝のように大切にしていた「故郷への想い」が無くなったようです。

何時頃から無くなったのでしょうか?

高度成長期は地方の人々が良い仕事のある都会へ集まってきました。家族の生活が少しでも良くなるようにと単身都会へ出て来て働いたのです。望郷の念をもって働いたのです。そして都会の人々の暮らし方の影響を自然に受けます。夫婦が独立しています。祖父母や親類とはあまり行来をしていません。気楽そうです。日本の経済が良くなり都会に家が買えるようになります。地方の家族を呼び寄せます。親類ともなんとなく疎遠になります。海外の彼方此方へ観光旅行へ行くようになります。

そうすると今まで素晴らしいと思っていた故郷もそれほどには思えません。もう祖父母も亡くなり帰る気持ちもなくなりました。先祖代々のお墓のあるお寺へ墓参へ行くのも数年に一回くらいになります。都会の近所に自分達夫婦の入る墓も作ってしまいました。

このような現象が一段と加速されたのは1990年頃のバブル経済の崩壊によってでした。

家族や親類との絆が切れたために、高齢者の介護や孤独死の問題が急速に社会問題になってきたのです。昔なら祖父母は勿論、病弱な伯父伯母、叔父叔母の介護は親類の者が当然のようにして来ました。その絆の為にも故郷という場所が非常に重要な意味を持っていたのです。

日本人が昔から持っていた優しさが消えていったのです。温い人情が消えていったのです。家族が殺し合ったというニュースや孤独死のニュースが多くなって、社会に功利主義が広がっています。ギスギスした社会です。日本人が失った大切なものとは家族や親類の絆だったのです。温いに人情の溢れてる社会を失ったのです。

そんな社会を少しでも住みよいところにしようと努力している人々も居ます。次回はその事を書く予定です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人